2016年02月11日

初IKEA








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初めて、IKEAに行って、その大きさに唖然とした。
開始時刻30分前に到着して、サービスのコーヒーを飲みながら、シナモンロールをパクリ。
北欧風コストコ。
暴力的な商品の氾濫にびっくりした。
昨晩に新たに作り始めた松の葉のパン酵母は、順調に生育して、明日から、フレッシュなパンが焼けそう。



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2016年02月07日

薄っすらと雪化粧









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昨晩の雨は雪に変わって、里山は薄っすらと雪化粧している。
雪というちょっとした演出で、里山の印象は随分と変わる。それが楽しいからジョグに出かける。
枝の雪が溶けて降ってくる。風に吹かれて雪が落ちてくる。飛沫で濡れる。
雨と違うのは、リズムが一定でないことだ。
枝に乗っかっていた雪が溶け始めると、雪の重みでしなった枝は徐々に力を回復して、バサッという音をたてて、雪を放り投げる。
谷の右に左にそんな音を聞きながらトレイルを走るのは楽しいもんだ。
あと、数時間で雪の白さは薄らいで、平常の姿に戻るだろう。
二人のトレイルランナーと遭遇した。
こういう日にトレイル走るのは楽しいもんね。
空気が住んでいて、富士山がくっきりと近くに見えて、富士山の手前の山並みのスカイライン上に拳の塊のような雲がラインダンスしている。
トウノスヤマで、今年はそこまで走らなかった武甲山がすぐそこに見えた。




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2016年02月06日

心拍数192!

毎週末は、往復20キロのシングルトラックを走っている。
あんまり頑張り過ぎると、明日からのトレーニングに差し支えるので、程々の体力を使うように自制心を使ってのんびりと走るようにしている。
といっても、平地はキロ5キロより速く走るのを励行しているので、普通に疲れるのだけれど。
今朝は、途中、往路トレラン3人組とすれ違ったのだが、復路、高麗峠手前の坂道で彼らに追いつき始めた。
ペースを落として、距離を広げておくとかして調整するのが得策なのは、一度追い越したら、追い越した相手に抜かされないようにガンバって走ラなければならないからだ、っていう決まりがあるわけではないが、また、抜き返されるって、カッコ悪いからね、後ろを見ずにひたすら走ることになってしまう。
自転車でもそう。
前を走るローディがちんたら走っていて、抜かすことはよくあることだけれど、抜かされることによって、相手の闘争心に火がつくこともあって、ず〜っとスピルバーグ監督の「激突」みたいに、付きまとわれるという経験をしたことがある自転車乗りも多いことでありましょう。
圧倒的な走力があればね、それは、相手も諦めるだろうが、こちらには、そんなものないから困るのよ(涙)
抜いた相手に抜かされるのも悔しい思いがあって、なかなかこのあたり思案のしどころなのだ。
「あなた、馬鹿じゃないの?そんなことどうでもいいじゃない。笑って抜かされればいいのよ。見栄を張っていいことなんか一つもないんだから」
という声が聞こえてきそうで、それは、まさしく正論なのだが、誰にも当てはまる正論がわたしにとっての、あるいはあなたにとっての正論であるわけではない。
というわけで、抜かしてしまって、ゲーム開始。
その瞬間から、長いインターバルトレーニングさ。
空気が足りなくなって、息を吸った瞬間に体が酸素を求めるものだから、肺を膨らませたりする筋肉は2サイクルのエンジンのように血液を体中に送るべく収縮膨張を初めて、なよなよと下半身には力が抜け始めて脱糞寸前。
心拍数は青天井。
さえぎるものなく上がり続け、心拍計をふと見ると、心拍数192。この10年、こんな数を刻んだことはない。
ちょっと、感動した。そのため、心拍数は一拍くらい上がったかもしれない。感動していてはいけない。
が、足がもつれてくるし、目に映る映像の理解力が落ちているような気もするし、少しペースを落とすけれど、心拍数は176を維持している。
それに、高麗峠の階段の坂道、キロ4分台で走っている自分が信じられない。
ボクの周りの空気が薄くなってしまって、ハイカーが皆、酸欠で倒れこんでしまうんじゃないかと思えるほど、回りの酸素を二酸化炭素に換えながら、肺で空気を濾して濾して濾しまくって、酸素を燃やし、燃え尽きるころようやくアスファルトの路面出て、抜かされなかったことにホッとして、自尊心を保ちながらも、自らの自制心の無さを反省したのだった。
アスファルトをキロ5キロで走っていたら、八幡神社付近で左のふくらはぎの最上部のところが、ピキピキ攣り始めた。
明日も、走れるでしょうか?
というわけで、お腹をすかして、走りながら、今朝焼いたパンでコロッケパンにして食べようと思って戻ってみれば、完売でした(≧▽≦)
それでも、ボクは執念深いので、コロッケだけ近所の肉屋で買い求めて、2つ食べた。
飯能のヒロセという肉屋のコロッケもおいしいよね。でかくて、70円は安いと思う。


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2016年02月05日

ささやかだけれど役にたつこと

ブラックコーヒーと焼きたてのシナモンロール。
数あるコーヒーとの組み合わせで、これを超えるものはないのではないだろうか。
一連のシナモンロールの動きも、ここから始まったわけだし。
そういえば、レイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役にたつこと』という小説で、シナモンロールが子供を失って悲嘆にくれている夫婦が、人生に対する前向きさというものを取り返すための、ささやかだけれど役に立つものとして描かれていた。
おいしいものを、たべること。これは、実に、ささやかだけれど、役に立つことだということを忘れまい。
そういうささやかな楽しみ事に支えられながら、日々をなんとか乗り越えていっていることを忘れまい。


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Be on the cutting edge

周りのことに気をかけず、ただひたすらに好きなことをやり続けて、ふと立ち止まってみたら、だれも到達していない高みにたどり着いてる自分に気がついた。
そんなことを夢見て、今日も、走り続けるのだよ。
たしかに、時代の最先端、あるいは、最後尾にいるのかと、こんな雑誌を読んでいて思った。
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2016年02月04日

Agrifood-wise

Nigel  slater(ナイジェル・スレーター)というイギリスの料理人のBBC製作の料理番組のDVDを、すこしづつ妻と見ているのだけれど、フランス料理ともイタリア料理とも少しずつずれている個性的な料理がとても美味しそうなので、今週末は、ナイジェル・スレーターのレシピで料理を作ってみよう。

このDVDの中では、ナイジェル・スレーターのキチンと庭が舞台で、時々ハーブや野菜を庭に出て行って、ナイジェル自身が摘み取って料理の具材にしている。

わが家でも、ローズマリーやミントやレモンバームやローレルなんかは、庭にあるので、そのまま摘みとって料理にしているけれど、ナイジェルの庭では、葉物野菜や人参なんかも調達しているのに好感が持てる。

野菜は、自宅で育てたいもの。スーパーの野菜とは、一味違うのは確かだから。

NHKラジオの素晴らしい番組の一つ「実践ビジネス英語」は、トピックが面白くて、英語の勉強にも、アメリカで起きている最新情報を入手するにもいい。

そのなかで、agrihoodという単語を勉強した。

英辞郎にも乗っていない単語で、ググるとヒット数は、15000件足らずだから最新の英単語の一つであろう。

それは、農園密着型住宅地のことで、それは、なんのこっちゃといえば、家のすぐ近くに農園があって、そこの住民が農作業をすることが出来るようなそんな住宅地のことであるようだ。

日本で言うと、畑付きの宅地っていうものも、ずっと機能的に整理された住宅地で、リタイアした富裕層が買いたがる裕福な感じの写真がグーグルで検索すると見つけることが出来る。

最近友人が、田舎の母親を引き取って東京近郊で住まいを探しているのだが、母親と農作業は離れられないほど密着な関係があるので、できれば、近所で畑が借りられる場所を探しているという。

というわけで、こうしたagrifood住宅地というのは、かなり潜在的な需要があるように思えるのだがね。

巨大な休耕畑を中心に、そのまわりに宅地が取り囲むようにし、その世帯に一定割合の畑を分譲して、各自畑作業をして、物々交換をしながら生活をしていくような共同体にはそれがうまく機能するならば住んでみたいかなとも思う。

わが家でも、本当に狭くて日の当たらない庭なのだが、昨年は、ナス、きゅうり、トマトを植えてみて、時々収穫をしては食べていたんだが、今年は、もう少し違った野菜も育ててみたい。

バラが咲き、その足元には、人参が芽を出していて、花と野菜がもつれるように育つカオスな庭に少しでも近づくといいと思っている。

ナイジェル・スレーターのDVDの中では、レシピの説明は殆ど無い代わりに、詳しいレシピは、ここBBCのホームページで見ることが出来る。

http://www.bbc.co.uk/food/chefs/nigel_slater

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2016年02月02日

笑って答えず

山中問答 李白

余に問う何の意あってか碧山に棲むと

笑って答えず心自ずから閑なり

桃花流水は窅然として去る

別に天地の人間に非らざる有り

漢詩が好きだ。

とくに、この李白の詩は好きだな。

なんで、こんなに山深いところに住んでいるのと問われたらので

そんな質問には笑って答えないでいる。わからないかな?この、のどかな気分ったらないよ。

川に落ちた桃の花びらがゆったり流れ去っていくじゃないの

見てご覧、俗世間にゃない味わえないそんな風情がここには確かにあるでしょう

いい加減な訳ですが、ついつい、田舎暮らしなんかしていると、田舎暮らしの良さとか、不便さとか、いいも悪いもつい力説したくなるもんだけれど、ほんとうは、伸びやかな気分で笑って答えないというのが、一番いい回答だとおもうよね。

物事がわかる、わからないというのは、その人の持ちあわせた能力とか努力とか、時間の経過とかが必要で、ある意味、偶然に物事はわかってしまうもので、力説して、わからせようとしても、物事をわからせることは不毛な結果になるのかもしれない。

村上春樹の「1Q84 」でも、「説明されないと分からないなら、説明しても分からない」っていうセリフがあったけれど、人に説明してわかるものなら、誰も苦労しない。

そうだとすると、わからない人に、とうとうと物の見方考え方をとうとうと力説しても、それは、迷惑というもんだ。

だから、そういう人には、笑って答えない。

饒舌よりも、笑って答えない。こちらのほうが、真意が伝わるかもしれない場合も、きっとあるだろう。

だから、ついつい力説してしまう話になったら、笑って答えないようにしよう。

posted by ロビオ at 16:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

Moomin

歯の詰め物が取れてしまったので、それをくっつけてもらうために地元飯能の歯医者さんに行った。

その待合室に、ムーミンの置物が置いてあった。

ここ飯能では、ムーミンがブームなのかもしれない。というのは、宮沢湖という飯能の貯水池のようなところの湖畔にムーミンのテーマパークができるという噂を超えて、新聞の発表もあったくらいだからだ。

それでも、ここかしこで、ムーミンの製品を目にするし、僕の日用使いしているARABIA(フィンランド製)のムーミンのマグカップがわが家には4つ以上あるし、これは、20年位前に買ったものだけれど、今でも店に置いてあるんだから、相当人気のある商品ーなんでしょう、きっと。

昨日は、両親と水道橋で食事会のあと、そういえば、後楽園ゆうえんち近くにムーミンのレストランがあるというので、そこも訪れてみた。

ムーミンといえば、フィンランド。フィンランドといえば、シナモンロールということを知らない人が多い。

僕も、知らなかった。

知ったのは、「かもめ食堂」という映画を見て、日本のソウルフードがおにぎりなら、フィンランドのそれは、シナモンロールというようなセリフがあったから。

そういえば、主人公の小林聡美が、ガッチャマンの歌の歌詞がわからなくて、本屋の中の喫茶室で本を読んでいた日本人観光客である片桐はいりにいきなり、ガッチャマンの歌詞を教えてもらうシーンで、手にしていた本は、「ムーミン谷の夏まつり」だったっけねえ。

というふうに、「かもめ食堂」って、発信する情報が多くて、僕なんかは、どんな料理が出てくるかメモりながら見ましたよ。

店の中では、パンも売っていて、前に知り合いにここのシナモンロールを買ってきてもらって食べたことがあったけれど、今回は、両親にシナモンロールとムーミンとノンノの姿を形どったいちごクリームとなんたらかが入っているパンをプレゼントしておいた。

僕らの世代では、ムーミンは、日曜日の7時30分から毎週カルピス名作劇場で放映されていたんだが、なんか暗いトーンで、少年の冒険心を充たすというよりは、取り残されてしまった寂しさを味合わされたり、学校の世界の論理とは一風変わったルールで成り立っている世界に馴染めなかったり、今いち、乗り気にならなかった。

トーベ・ヤンソンが描くムーミンの絵とTVアニメのムーミンとは、線の粗さとかタッチが違っているのは、モンキー・パンチのルパン三世とアニメが違うのとよく似ている。

本来は、ムーミンの内容がトーベ・ヤンソン描く絵のように厳しい自然と荒々しくも性質が一致しているのかもしれないが、それは、原作を読んでいるときでも味合う感触なので、通底に流れる基調は、こうした不可解な違和感のようなものがあるに違いない。

それにもかかわらず、今でも、繁華街を歩けば、ムーミンのグッズが売られているし、一体どの世代が、これらのものを買っているんでしょうかね。

多分、40代から50代が、ムーミンに親しい関係を持っていると思われるので、オジサン、オバサンがこれらのものを買っているんでしょう。

ということは、やはりね、ムーミン関連のグッズはホンモノの質の良い物がいいでしょうね。

というわけで、ムーミンの食事処へ行ってみれば、う〜ん、子供が列を作って並んでた・・・。

ちなみに、僕の好きなキャラは、ミイですね。ガミガミうるさいんだけれど、根は正直で、正義感が強い。僕にはない性格だからでしょうね、きっと。

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posted by ロビオ at 13:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Fuefuki wine

基本的にお酒はあまり飲まないのだけれど、知り合いの友人が山梨県でワイナリーを初めて、今年最初の一本を譲ってくれたというわけで、赤白ワインを3本くらいずつ購入して飲んでみた。

あまりワインに詳しくなくて、お菓子のような甘いおこちゃまワインが好きな僕だけれど、それでも、このワインが若すぎるというのはわかった。

味に深みがなくて、まだまだ単純なワインの味。もっと発酵して、腐爛して、土の香がするようにならなければ、赤ワインではないよね、というのがこういう若いワインを飲むとよく分かる。

とはいえ、この若いワインは、それなりに、気軽に楽しく飲むことが出来て、二晩続けて、カレーと一緒に、そして昨晩は、ピッツアと一緒に食べたのであるが、悪いどころか、こういう軽食にはピッタリなのであった。

まあ、妻と二人で、夕食にコップ軽めの一杯ずつしか飲まないので、1本で3日楽しめるんだけれど。

ぶどう畑を所有して、丹念にワインを作るなんて、夢の様な世界だけれど、こうして、夢を実現してしまう人もいるわけで、この若いワインを飲みながら、今度は、このワイナリーを訪れて、ワインの薀蓄を聞きに行ってみましょうかねえ。

夢というのは、正しい道を努力して歩んでいけば必ず叶うもので、叶わないものは夢と呼ばず、叶ったものは夢とはもう呼ばれないという困った存在でもあるんだね。

それでも、夢を追いかけるのは、辛いこともあるだろうけれど、楽しいこと。

叶えたい夢がある人は、そのまま努力を、夢が見つからない人は、朝早起きして近所をランニングするといいことがあるかもしれない。

というわけで、今度わが家でこのワインを飲むパーテイやりましょうね。もう少し時間が立って熟成した頃がよろしいでしょうか?

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2016年01月29日

Farm to table

何時の頃からか、スーパーで購入する野菜がほとんど味がしないのに気が付き始めた。

とにかく、スーパーの野菜はおいしくない。

僕が、農作業をして2年が経つけれど、毎年牛糞をたっぷりと鋤きこんだ畑で出来た野菜は、形は悪いかもしれないが、とにかくおいしいのだ。

最初、畑からとれた野菜をその日に食べるという新鮮さが味となって出てきているのかと思ったのだが、一月以上保管して皺がよってきたような白菜だって、スーパーのものとは違ってとてもおいしい。

ということは、スーパーで売っている野菜が根本的な問題を抱え込んでいるということなのか。

野菜は主に土で育てているはずなのに、それは、土のようなもので育てられた野菜で、化成肥料だけを生長の糧とした野菜という名の別もののものなのかもしれない。

経済効率優先で科学的に育てられた野菜は、野菜の形をした別の食べ物なのかもしれない。

そんな人間も、30代40代にはいくらでもいるけれどもね。

今年の夏、畑でとれたレタスが素晴らしく美味かった。

歯ごたえと、ちょっとした苦味とえぐ味。しんなりとせずに、僕に食べられるその瞬間まで背筋が伸びていた。

しかも、収穫後数日は経っていても、そんな元気があるのだ。

それが、外食等で食べる野菜は、まったく生気がなく、しおれて、疲労困憊して立ち上がる素振りもせず、しなだれかかるレタスの如何に多いことか。

僕の収穫したレタスは、空を飛ぶスーパーマンのようにまっすぐに体を伸ばして、他の食材とは別個の存在感を示していた。

前歯で噛み砕かれるレタスは小気味良い音を立てて、幾分抵抗しながら裂けていく。奥歯で噛み締められても、その存在感は続いて、飲み込まれるまで、消滅することはない。

オリーブオイルとアップルビネガーと塩と少々の砂糖で作ったドレッシングだけで、これは、十分に味を堪能できるレタスだった。

白菜にしろ、人参にしろ、里芋にしろ、何にしろ、スーパーで大量消費用に大量生産された食物というのは、こういう薄味で野性味のないものを作り出しているのではないか。

Farm to tableという言葉がある。農場から食卓へといった意味だ。地産地消ともいう。

自然食品店で売られている野菜は、スーパーの野菜とは一線を画していて、少々効果だけれど、美味しいものが多いようだ。少々値段が張るので、特売品になったものしか買わないけれど。

日本の農家の大方は、スーパーのような巨大な販売網に乗せるような農業をやっているわけではない。

自宅用に、余れば、農協に持っていくというような農業が多いはずだ。

そうした野菜は、多分、スーパーの野菜よりも味はいいことが多いようだ。

田舎暮らしは、まず、おいしい野菜をいかに手に入れるかが大切なポイントになる。

近所の農家と知り合いになるだけで、おいしい野菜が手に入る可能性はずっと高くなる。

中間者が入らず、農家と直に取引できるということで、様々な情報が取り交わされることにもなるだろうし、絆のようなものが生まれることもあるだろう。

食べ物は大切だということはアタリマエのことなのに、疎かにしてしまうことが如何に多いかは、ファストフードやコンビニで食事をするために列を作っている人を見れば明らかだ。

そこでは、どこの誰が(あるいは機械が作っているかもしれない)作ったか、どこでどういう風に栽培されているかわからない食材で、安価に提供できるというかなり危なっかしい経済の上に成り立っている食事をとることになる。

食べ物というものが大切だからこそ、顔の知っている知り合いの農家から手に入る食材は、信頼も置けるだろうし、そういう経済上の立場を超えた絆のようなものができはじめたら、それは、一つの宝物のようになっていくだろう。

こういうことをしないで、田舎に住むのは、不便なだけで何もいいことはない。

とくに、通勤するだけのサラリーマンは多くの利点を捨ててしまっていることだけは確かだろう。

posted by ロビオ at 15:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする