2016年03月09日

英語長文問題精講は読み物としてもとても有益だ。例えば、

The bright child is curious about life and reality, eager to get in touch with it, ebmbrace it, unite himself with it.

利発な子供は人生と現実に対する好奇心に富み、熱心にそれと接触し、それを抱きしめ、それと一つになろうとする。

これは、John Holt という人のHow children failという本の中の一文である。

これまた、原仙作の『英文標準問題精講』に匹敵するような素晴らしい英文の宝庫である問題集『英語長文問題精講』中原道喜著のなか課題文からの引用である。

この一文はなにかとても重要な人生におけるヒントが隠されているような気がしている。

自分の現実や人生しか生きられないはずなのに、そいつから逃れる態度は、もはや、自分の人生や現実をつかみとっているとは言えないはずだ。

アップルの創設者が愛読したオリゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』の中では次のような文章がある。

「私は的が次第にぼやけてくるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいてくるように思われる。そして、それは私と一体になる。・・・

的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。

そして、私ば仏陀と一体になれば、矢は有と非有の不動の中心に従ってまた的の中心にあることになる。矢が中心にある・・・矢は中心から出て中心から出て中心に入るのである。

それゆえ、あなたは、的を狙わずに自分自身を狙いなさい。」

人生や現実というもの自分と対極にあるものと考えているうちは、それは人生や現実と呼べるものではなく、それは存在しないもので、それと一体化することにより、自己は自己として自己回復できる。なぜならば、人生や現実を包摂していない自己というのは、本当の自己とは呼べないから。

こうした態度で過ごしている人は、多分、傍から見ると、困難な状況にあっても、その困難を困難な状況とは思わず克服してしまう人なんだろう。

僕の中のタオのイメージもこんな感じである。

タオに一体化することによって、主観も客観も超えたリアリティを獲得して、自然の流れの中に紛れ込んでいる自分を発見するというような。

まだまだ、語り尽くせないけれども、こんなことを考えるきっかけになる名文が満載のこの大学受験用の問題集は優れている。

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2016年03月04日

アドラー心理学『嫌われる勇気』の続編『幸せになる勇気』も素晴らしい本でした。

昨晩は、夜遅くまで某所で会社法について喧々諤々議論をして会議終了。

久しぶりに勉強の世界の中で、半ば忘れていた会社法の定義とかを、脳味噌の奥の奥から取り出した。

不思議な事に、こういう場になると、定義がちゃんと出てくるんだねえ。自分でも驚いたわ。

これも、基本ができているから、新たに生じた問題をあれこれ知識を総動員して、解決策を講じることが出来るんだね。

東大首席卒業生の勉強法の本を読んで、ああ、なるほど、勉強はし続けないと・・・というか、目的意識をもって、身につく勉強しないとなあ、と感じいったので、今日からココロを入れ替えてまた勉強してみよう。

ベストセラーになった『嫌われる勇気』という本は素晴らしかった。

メモを取りながら、1年ほど前ふむふむと2度ほど読んだ。ニーチェが本当の姿の世界を痛烈な言葉で露呈させるのと似て、めくるめく新たな世界が眼前に現れてワクワクした。

けれども、どんなことが書かれていたかと思い起こせば、まったく心もとない。

というのは、その続編『幸せになる勇気』という本を手に取り、躊躇なく新刊を久しぶりに買って、その中で、前作で触れた箇所が何回か出てきたのだが、その記憶は曖昧なのであった。

アドラー心理学、素晴らしいです。

心理学というより哲学に近い。

ソクラテスが、問答形式で、我々が知っていると思っていることが、実は、全くわかっていないことを明らかにするように、はっとすることがかかれてある。

ところで、僕が唯一楽しく読める哲学書がプラトンとニーチェ。

プラトンは文学書みたいだし、ニーチェは、自分が3歳から幼稚園くらいに大人に感じていたことを思い起こせば、そのとおりと納得できる。

どちらも、わかりやすい日本語で書かれている。時に読み返し読んでいるけれども、その場その場で、なるほどと、頭の中でソクラテスやニーチェの言葉を理解しているのだが、読み終えてどういうことを本当は言っていたのか、ということを反芻すれば、ほとんど頭に残っていないんだな。

まずは、きちんとその理論を、理由を理解しよう。そして、反芻しよう。

読書というのは、その作者の考えを自分の頭で再現させる作業で、決して自分で考えることではない。作者の考えを自由に自分の頭の中から取り出すことが可能になって初めて、その考えが自分にとって役立つことになる。そうなってこそ、有益な読書になるのであって、振り返ってみると、そういう本というのは、何冊あるだろうかと数えると心もとない。

この歳になると、広く浅く読むよりも、狭く浅く徹底的に精読することが大切になってくる。

一事が万事。こういう態度で、知識を吸収し、それを基礎に自分の意見が言えるくらいに勉強しないとね。

というわけで、何度も読みますよ、自分の言葉でアドラー心理学というものをうまく説明できるぐらいに。

こういう態度が今年の課題。基本は繰り返し繰り返し練習するということだね。

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2016年03月03日

東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

という本を読んだ。

作者は、猛勉の挙句、国立の高校に受かって、東大に現役合格し、在学中に司法試験に合格し、主席で東大を卒業し、子供の頃からの夢であった大蔵省の官僚になるものの、2年で退職し、会社法務の弁護士事務所で弁護士登録し、今に至るという経歴である。

勉強法については、これが王道でしょう。とやかくいうことはない。

とにかく、参考書等を7回は読めということ。

僕が書いても、全く説得力がない。

こういう輝かしい経歴があるからこそ、この本はよく売れた?に違いない。書かれていることは、本当に勉強法の王道であるにすぎないのだから。

ぼくも、資格試験を受けた時は、7回と言わず20回以上、分厚い過去問を馬鹿のように解き続けたし、条文も受験科目は暗記するほど読み込んでいた。

だから、この勉強方法が最適であるということは自信をもって言える。

勉強は繰り返しである。読むごとに、読解力を掘り下げていく。そうこうするうちに、その本は、自分の血となり肉となり、その本に書かれていたことからの応用も効くようになっていき、その本に関する議論も人と出来るようになる。

この本は「勉強法」としての本の役割は200%果たしていると思う。皆、勉強を始めたいと思っている人は、一度読んでみるべきであると思う。

感銘をうけたのは、この作者の人生である。

なにゆえ、夢だった大蔵官僚を2年で辞めたのか・・・というところが少し気になるが、一点の曇もないわかりやすいエリートである。

また、高校試験、大学試験、司法試験、国家公務員試験と、勉強して合格すれば手に入る地位にそのまま着いているというのが味噌。

これほどまでに、わかりやすい経歴はありますまいて。

すなわちそれ故、人生は勉強次第でどうにでもなりそうであるという感覚がこの本の通奏低音に響いている。

ふ〜ん、こういう人がいるんだ・・・。ある意味とってもわかりやすい漫画のキャラクターのようなもので、それが実際に、現実にいるということに本を読んで驚いたのだった。

官僚やら、大手の(多分)法律事務所でのサラリーマン弁護士とか、東大首席で卒業するとか、ほとんど、その立場にいることさえ、ぼくは御免被りたいけれど、こうして、前へ前へと進む原動力はいったいどこにあるのだろうと、ふと考えてみたのだった。

人生は、試験に合格すれば道が開かれる・・・ということもあるだろうが、そうでもないこともきっと多いだろう。実際、大学に受かってから、資格試験に合格してからの人生のほうが、長いだろう。

個々で思い出したのが、森鴎外の『青年』からの一節。

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。

この本を読んで、寒々しいと感じたのは、こういう、生活の在というものを感じたからにほかならない。

試験に合格することによって切り開かれたと思う人生、試験に合格すれば手に入ると思わるる人生、そういう人生が試験に合格することによって予定されていると考える人生、そんな風に著者は考えているのだろうか?

生活が不在しているから、合格して手に入れた地位というのは、不毛としか言いようのないものだ。

不毛な人生は、また、新たな目標を見つけることを要求するから、試験というものが、人生そのものだと考えていくしかない。

試験に受かるということは、それまでチャレンジしていた立場がなくなって、人生が平板になるということだ。

自分に一体化した人生というものがない人は、何らかの形で人生を作り出さなければならない。

通常、人は、人生と一体化し、それを酸いも甘いも味わい楽しんで、付け加えるものは必要ないはずだ。

人生とは試験に合格することだというふうに考えてしまう人生は、その過程よりも結果だけを求めるから、自分自身の存在理由が欲しければ、また、何かのチャレンジをして、人生に彩りを加える必要がある。

新たに何かをチャレンジする。そして、いつしか、手段が目的となってしまう。

大蔵官僚時代に、上司からの質問とか、上司が要求するものに応える技量というものも、試験と捉えて、シノギを削っていく姿は痛ましい感じがしたのだね。

勉強は楽しくないと彼女は言う。

試験に合格するためには我慢しなければならないもの、それが、勉強だという(多分)。

その試験に合格するという結果だけを求めるというのは、これつまり、サラリーマン社会の競争みたいで興ざめしたんだけれど、僕の受験時代でも、早めに受かった人というのは、こんなふうに効率よく、理解できなくても、点数が取れればいいじゃないのと勉強を進められる人が多かったような気が。

僕は、初めて、試験勉強を本格的に一生のうち一度だけやったんだけれど、効率的に勉強するにはしたけれど、法律という勉強も楽しかったから、あまり他の受験生が読まない学者の本をウンウン唸りながら読んでいた。

そうこうするうちに、法律というものの面白さがわかってきたのは事実であって、未だに、法律の体系書を読むのは好きである。ああ、法律を嫌いにならなくてよかった。

調べたところによると、この方は、テレビの出演も多く、有名人にもおなりになったようだけれど、この方のこれからの人生、先が危ういなあ、と感じたりしたのでした。

というわけで、この本は、あらゆる受験生を対象にした本で、作者自身の人生論ではないので、こういう驚き呆れたという負の印象を書くのはどうかと思うのに加えて、私、この本、1度しか読んでおらず、表題のごとく7回読んでおりませんので、私がこの本で感銘を受けた店に関しては、大いに勘違い等がありますゆえ、その点、ご勘弁を。

 

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2016年02月24日

クロッカスが咲きました

昨晩、寝床で俵万智の『サラダ記念日』を読んでいて

「クロッカスが咲きました」という書きだしでふいに手紙を書きたくなりぬ

というのに感心していたから、畑と道路の境界に植えられた一列のクロッカスが芽吹いるのに目が惹きつけられたのに違いない。

朝のジョギングコースの家庭菜園に近いような小さな畑にそれは芽吹いていた。

ちょうど首と肩を両手で持ち上げながら穴からようやく出てきたかのように芽を地上にもたげた姿が春到来の目印のようだった。

こういう短歌を知らないでいるときは、クロッカスの芽吹きはクロッカスの芽吹きであるにすぎないのだけれど、知っていると、この歌に共感したココロがクロッカスを包み込んで、なんらかの意味をクロッカスに投影している自分に気がついてしまう。

僕がクロッカスを見つけたのではなく、クロッカスに僕が見つけられたのだという感覚がある。

クロッカスが咲いているのを見て、言葉にして「クロッカスが咲きました」と心のなかで唱えた時に出来上がった、花が咲いたという春の高揚した気分が「クロッカスが咲きました」という言葉に取り付いた言霊となってしまった以上、それは、どこかへ送り届けなければならない。

ところで、この歌の作者は誰に手紙を書きたくなったんでせうね?

「ふいに」っていうから、恋人とかいう熱い関係の人ではないでしょうね。

遠くに引っ越して最近音信が途絶えがちの親友とか、少しだけ好意を持っていることにふと今手紙を書きたいなと初めて気がついた異性なのかしらん。

クロッカスが咲くというのは春の始めの淡い季節であるから、ジャンパーのチャックを少し開いて散歩するような開かれた感じがとても良く出ているよね。

また、電話でもメールでもなくて手紙というところもいいね。改まった距離感があって。

まだまだ風は冷たいのだけれど、走りながら取り入れる空気の中に鼻孔を微かになめらかに濡らす湿気が感じられる。僕が体感する春の感覚とはこういうものだ。

けれども、体は、冬にまだまだ武装解除しておらず、走り始めてすぐに、全腓骨筋が固まり、次いで、脹脛が張ってしまって、体が重いのなんの。久しぶりのダメダメの走り。

体の動きは精密で、ちょっとした狂いで、修復ができないほど動きが乱れてしまう。

昨日は軽快に走れたのが、翌日にはこのありまさだ。

今の日本の状況のようにちぐはぐな体を持て余して、走っては歩き、歩いては走って、小一時間の運動にもならないジョギングをしてきたのでありました。

まあ、こういう日もあるだろう。

明日はきっと軽快に走れるさ。

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2016年02月22日

蔵で麹菌採集とはこれ如何に?

午前中は、ロードを30キロ走って、午後は借りてきたDVDで映画鑑賞しようと思っていたら、所沢の知り合いのファームで行われる味噌作りのワークショップのスタッフの数に入れられていたことが判明して、急遽、車を飛ばして出かけていく。

妻だけがスタッフに勘定されていたと思ったら、夫婦で入っていたというわけ。

味噌作り・・・簡単である、ちょっとした事前準備の手間はかかるけれど。

けれども、一人では味噌作りに不安を覚える人も多いらしく、30名ほどの参加者である。

味噌の素材である大豆、それに、麹を付着させる玄米も、この農園で無農薬無化学肥料で作られたもので、さらに、その玄米に麹菌を吹き付けて、米麹も自前のもので、味噌作りをするので、なんとも贅沢な味噌なのである。

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大豆は、煮るのより蒸すほうが味がいいね。しかし、大豆と麹を混ぜ込んだ時に調整する大豆の煮汁が蒸かした時にはでないから、悩むところではある。

というわけで、今日の味噌のワークショップでは、大豆を蒸かしたのと煮たのとを半々にして混ぜて作ったのでありました。

日本の麹食文化は素晴らしい。

日本酒、酢、味醂、醤油、味噌。日本食の中枢部分を占める調味料の殆どは麹から出来上がる。

麹とはカビの一種であるのだけれど、じゃあ、どこに存在するのかといえば、そこら中に存在するのだから、これまた素晴らしい。

僕も、先日、市販の麹菌の粉を蒸かしたうるち米に混ぜ込み、ヨーグルトメーカーで麹米を作ることに成功し、今、そいつは、黒酢になるべく酢酸菌を吸収しながら玄関の隅で順調に育っている。

市販の麹のたね菌を振りかけて麹米を作るのは、手間ひまかければ、誰でもできることなのだが、世の中には変わった人がいて、そこら中の空気中にさまよっている菌を採取培養して、麹をつくる輩もいて、これは、実に素晴らしいことなのではないかと感心したので、僕も作ってみようと思ってしまった。

椎木に椎茸の胞子が入っている栓を打ち込んで椎茸をつくるのではなく、椎木を椎茸の菌が舞ってそうな場所に置いて自然に椎茸を育てようというような・・・といったらわかりやすいだろうか。

ものの本によると、蒸かしたご飯を竹のザルにいれて、そこら辺においておくのだそうで、うまく行けば、麹菌の白カビが生えるのだそうだ。

そして、その麹菌が生息し繁茂しやすい場所は、木や土で出来た昔ながらの古民家などがいいらしい。

あの湿ったカビ臭いような醤油や味噌の臭いの染み込んでいるようなウエットな日本家屋の香りですよ。

わが家も木と漆喰だけで出来ている家だから、たぶんたくさん麹菌が飛び交っているような気がするが、古民家と書いてあるのを見てピンときたね。

妻の実家の蔵ですよ。湿った香りのするやや重ったるいとろみの付いた空気感がなんとも、麹菌が潜んでいる感じがするじゃないの。

というわけで、近日、麹を培養する作業をする予定。

う〜ん、ディープな趣味だこと。

好きなことやっていると知らぬ間に自分一人が高みに立っていた・・・そんな気がする。

そんな、本当の天然の麹でパンを作ったら、これまた、オリジナルなパンが出来ることでしょうよ。

高みを目指して頑張るのだね。頂上は、すぐそこまで見えている、今が一番傾斜のきつい辛いところ・・・てなもんで。

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2016年02月20日

雨の降らぬ間に

雨の降らぬ間に毎週恒例のトレイルを走ってきた。
春めいてきたのか、ジョウビタキ、ホオジロ、キクイタダキ、シジュウカラ、メジロなどのお馴染みさんとご挨拶。
シングルトレイルでは、今日も、イタチが横切った。
先週は、目の前にいたヤマバトに何かが乗しかかったと思ったら、小型の猛禽類で、引きずりながら見えないところまで引きずっていった。
かなりワイルドな世界にいるのだな。
久しぶりに裸足系のMERRELLのシューズを履く。軽さは命。この裸足系シューズの軽さというのは、他に替えられないものがある。
走り方には、二通りあって、着地の瞬間に膝が曲がって、ショックを吸収して、地面を押した反動で体を前に進めるのと、着地の瞬間に体を伸ばすようにして膝を曲げずに骨盤で乗り越えるような走り方がある。
そんな走り方を本で読んだりすると試さずにはいられない。
今日は、後者で練習する。
毎週末のこのトレイルランでは、平地では、キロ5キロ以上のスピードで、心拍数は160を下回らないように調整して走っている。
リディア−ドの「鍛えよ、しかし、無理はするな」ということの実践だ。
だから、結構辛い。辛いから、楽な走り方はないのか色々試すのだ。
ランナーは皆、速く楽に走れる走り方を探し求めているのだが、速く走れる走り方というのは、速く走れる間だけ有効だということは真実であるということ結論としてを書いておこう。
走り終えて、雨にも降られず、うん、楽しい2時間だった。
2時間というのが、集中できる運動時間の最長ではないだろうか?
そのうち、8時間以上の運動も加えていくつもりだけれど、今は、こんなところで、十分満足している。
家について、シャワーを浴びたら、猛烈な空腹感が。
何を食べようか?
小島農園さんからいただいた自家製の納豆があるじゃないの。これに決めた。久しぶりの白米にこれは合うはずだね。
デザートには、自家製の豆乳ヨーグルトに、妻が昨日作った八朔だの夏みかんだのネーブルだのレモンだのの皮で作ったMarmaladeを載せて食べよう。
最高の贅沢だなあ。トレイルランとその後の昼食。
炊飯器は今湯気を吹き出して白米をタイている所。早くご飯できないかなあ。
写真は、そのMarmalade。
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2016年02月18日

ショコラ

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フランスから届いたカズナーブルというチョコレート。

いかにもフランス的なのは、そのパッケージの色使い。

赤色裸電球の下で撮影したから、色がくどくなっているけれど、実にあっさりとした爽やかな色なのだ。

映画の『アメリ』的な色彩と言おうか。

10種類の味が楽しめるのだけれど、基本は、70%カカオ成分のほろ苦い味がベースとなって、そこに自然の香料が混じってる。カカオ成分100%なんているものもある。

銀紙に包まれたチョコレートを取り出すと、いかにも手作りで型に入れましたといった風情の磨かれた褐色のチョコレート板が現れる。

昨晩、食後に二かけら食べたのが黄色のもので、黒シナモン味だという。

微かにシナモンの香りがする。

高級なチョコレートで、1枚の値段で明治チョコレートが20枚買うことが出来る。

このクラスのチョコレートは、少し食べただけで、満足できる味わいがあるから、普通のチョコの20倍の時間をかけて食べればいいのだ。

だから、家では、二かけらほどを、食後のデザートとしてコーヒーと一緒に食べる予定である。

最近、代々木上原を散歩していたら、新しく出来たチョコレート屋があった。

高級チョコレートが小さな店の中に置いてある。どれも、高級で、今日することのテーマの一つとしてチョコレートを食べることが優先順位の上位にあるという時か、チョコ好きでこれらのチョコの価値がわかる友人知人に贈り物をするという場合でないとなかなか買う気にはならない。

ところで、チョコレートの原料であるカカオの産地は、赤道のベルト地帯のアフリカ、東南アジア、南米である。コーヒーの産地と似ているのかもしれない。

カカオの味も、コーヒーと同様、苦味をベースとして、酸味、甘みというものが強くその味に彩りを加えている。

コーヒーとカカオはとても似ている。

コーヒー好きは、きっと、チョコレートが気に入るはずだ。

コーヒー好きの日本人には、きっと、ショコラも同様、高級チョコレートに関して潜在的な需要があるはずだ。

口の中に少量のチョコレートを入れて、体温で溶けていくチョコの複雑な味を感じ取り、記憶にとどめておくということが、これからの「チョコレート人生」の楽しみを深めてくれるだろう。

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2016年02月16日

アスファルトには豹紋の霜がおりていた。

早朝3時30分に目が覚める。

夜早い時期に眠ると、この時間が、睡眠が浅くなるリズムなのか、この時間に目が覚める事が多いようだ。

二度寝すると、寝すぎで、腰が痛くなったり、頭がぼんやりする。

3時30分に起きて何をしようか?

新たなタイムテーブルが出来れば、有効に時間が使えるはずだ。

パンを焼くのも、一つの有益な時間の使い方だと思うが、最近は、3日に1回のペースになってきているし(長時間発酵のため)、日常的に毎日行える行事がいい。

3日に1回のパンを捏ねるペースを2日に1回にすれば、スケジュールはもっと密に埋まっていく。

決定的な案が思いつかなかった。

というわけで、二度寝して、5時に起きて、ランニングにでかけた。目覚めた3時30分から1時間半をまた無駄に使ってしまったのだろうか。

朝、台所に立ちながら、マグカップに入れた一杯の白湯を啜ると、胃が動き出し、腸がくねくねと踊りだし、脳味噌に血液が張り巡らされて、生き返った心地がする。マグカップを量の手のひらで暖かさを楽しみながら、今日一日のあれやこれやを考えるのは、心地よくて、凍てついた外に出たくない感情を引き起こしかねないので注意が必要だ。

どんどん日の出時刻は早くなり、今朝は、6時少し前には空が明るかった。

6時頃、山に入るなら、ヘッドライトは不要だろう。

5時30分に家を出て、まだ暗い高麗峠を通り過ぎ、巾着田ではかなりの明るさで、日和田山につく頃には僕の体には朝日の影ができることだろう。

それにしても、今朝の寒さは相当なものだったはずだ。

凍てついたアスファルトには、豹紋の霜が降りていて、水たまりは氷が張っている。

たくさんある運動靴を使いきって処分したいので、大昔に履いていたトレランシューズとかランニングシューズを履いて走ることが最近多いのだけれど、僕の好みの踵の部分の高さのない靴ではないので、それらの靴をしばらく履いていると、走り方がこれまた色々なふうに変わってしまっていて、慣れるのに時間がかかるのが面白い。

今朝は、裸足系のシューズを久しぶりに履いたので、明日は、脹脛が筋肉痛だろう、きっと。

しかし、ものがなければないほど豊かな気分になるというのは本当だね。ジョギング用のシューズは一足に絞れるように、使いきってしまおう・・・というけれど、靴底に穴が空くまでは5年はかかりそうだな。

今朝、風があったら、相当な寒さだろうが、5分も走れば、体は温まり、肺で温めた血液がつま先まで温めてくれて、最適な冬の環境を作り出してくれる。

あまり寒い時には、胸のポッケにしまいこんだウォークマンが、寒さによって電池切れになってしまう事があったけれど、今朝はそれほどでもなく、最後まで働いてくれた。

3時30分に起きて、4時にジョギングに出かける。2時間走って家に戻るのが6時。30分をかけて朝食をとった後に、パンを焼いて、出勤時刻というのが、いいのかも。

春の嵐が後2度ほどやってきたら、自転車にも乗ろう。

その頃には、夜明けは、今よりずっと早いはずだ。

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2016年02月14日

イノシシ肉のチョコレート煮

家にあるトスカーナ地方のイタリア料理のレシピ本にある「イノシシ肉のチョコレート煮」というのがず〜っと気になっていたのだけれど、どんな味がするんだろう?
どう考えても、チョコと肉が合うわけないじゃないの?お菓子とおかずって別物だと思うんだけれど。チョコはチョコ、肉は肉で食べるものよ。
だけれど、赤ワインビネガーとかふんだんに入れるから、甘酸っぱい感じが肉に合うんじゃない?肉は、前日から、マリネしているから、甘く感じるのは、表面だけだよ。肉を噛みしめると、程よく甘さと酸味と塩味が調和されて、案外おいしいかも。
料理の基本は、甘みと酸味と塩味と辛みっていうじゃない。この割合をうまく調合できていれば、食べられないわけないはずだよ。
ここの主人がやっている鎌倉のお店にいって、イタリア料理食べたことがあるけれど、それはおいしいものだったから、変なレシピは作らないと思うんだけれどね。
といった疑問が次から次へと湧いてくるので、これは、今しか作る機会はなさそうだ。
というわけで、体験してみないといけないので、昨晩より準備。
今晩は、イノシシ肉のチョコレート煮を料理する予定。
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2016年02月13日

小島農園産の全粒粉パン

小島農園さんの全粒粉と北海道と九州の国産小麦をブレンドしてこれから焼かれようとするボクのパン。
3日前に庭の松の葉(放射能測定済み)で酵母をおこして、今朝はそのできたてのフレッシュなパン種でパンを焼こうとしているのです。
これは、贅沢なパンですよ。
小島農園さんの畑で籾を撒いた時からを考えると、ここでパンができるまでに、丸一年はかかっているのだから。
そんな手間隙をかけたパンがこれから焼かれようとしているのですよ。言うなれば。
水を十分に蓄える性質が小島農園の全粒粉にはあるようで、パン・ド・ロデヴとフランスパンの中間くらいの過水状況なので、フランスパンを焼くようにクープを入れて焼く予定です。
う〜ん楽しみだ・・・といっても、すべて行き先が決まっているから、ボクが食べることはできないんだけれど。
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posted by ロビオ at 08:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする