2016年04月14日

The Maffetone Method

ついにThe Maffetone Methodという博士の本を買って辞書を引き引き楽しく読んでいます。
こんな素晴らしい本が翻訳もされていないなんて!
3.11の大地震のあった時以降のフィットネスに関する失われた5年間。
あの日に変わらなかった人はいないと思うけれど、生活の立て直しと意識革命をするのに一所懸命で、なかなかトレーニングまで頭が回らなかったこともある。
けれど、やはり、奢りというものがあったと思う。
マフェトン心拍域でトレーニングしていた頃、毎月500キロは走っていたし、自転車は、1000キロの走行距離を超えていた。
これだけ、運動できたということは、トレーニングが楽しかったからで、そのまま続けていれば今頃は・・・。
これだけの運動量をこなすには、今自分のやっているような気まぐれなトレーニング方法では絶対に無理。
私は、トレランレースとか、自然をダシにお金を儲ける団体の主催するレースは大嫌いで、自然の素晴らしさを語るにせよ、自分では野草や樹木や鳥の名前も一つもわからないし、知ろうという努力も興味もないトレイルランナーが嫌いだから、レースには出ないので、走るモチベーションは、ただひたすら、純粋に走ることが楽しかったからなわけですよ。
それなのに、迷いが出て、藤原裕司選手も最近はマフェトン理論放棄しているみたいだし、もっと、追い込むような練習をすれば、速くなれるかもよ。
あるいは、スコット・ジュレクの本の中にインターバルトレーニングの有効性について書いてあるよ・・・。
などなど、徐々に、マフェトン理論から外れて、それを忘れてしまって、うんと頑張って、長いこと休憩するようなことが続き、結局は、どんどん走る時間が短くなっていき、そのうち、体の故障も長引いて・・・とよくあるその辺の普通のおじさんになってしまった。
ごく最近でも、徐々に、運動することが嫌になっていて、足の痛みを理由に、朝に家をでるまでの走らない言い訳を作るのに汲々としている体たらく。
職業的運動人ではないのに、レースで好成績あげたいとかという誤った動機があったり、ついついその道の権威ある人の言うことに耳を傾けたり、ついついしてしまうのだけれど、自分を信じて、継続していくのが、よろしいのかと。
だいたい僕は、運動バカが大嫌いで、中学高校大学とそういう人とはお付き合いしないようにしてきた。
それで、自分がそんな運動バカになってしまうとは、ミイラ取りがミイラになってしまったわけね。
賢くやろう!楽しくやろう!ゼイハア追い込まなければ出来ないようなスポーツはその道の人に任せて、ヘルスとフィットネスを両立できるようなことをしよう。
そうだから、走るのがつまらなくなっていくのは、トレーニングの方法が間違っていたからだったんだね。
マフェトン心拍域で走るようになって以来、トレーニングするのが楽しくてしょうがない。
走って着地するたびに言葉が体いっぱいに満ち満ちてきて、色々なアイデアが浮かんでは消え、体の隅々まで意識を通す余裕もあるし、目に映る草花も圧倒的に増えてきた。
エアロビック領域でのトレーニングは、実に楽しい。
マフェトンの本の中で、エアロビックの領域でトレーニングができているか否かの判定の基準として、トレーニングが楽しいこと、というのを挙げていますよ。
楽しいから、どんどんトレーニングが進む。
仕事も集中力が増すし、基礎体力がついてくる。
好きこそものの上手なれと古人も申しておる。
これを続けていると、知らない間に、自分が誰も到達していないような高みにいることにある日突然気がつくようになる。
皆と一緒にマフェトン心拍域で走って楽しくおしゃべりしていたのに、ふと会話が途切れて後ろを見てみると、はるか後ろにいる友人を見つけたり。
体を壊した時、すぐにものに頼りたくなるものですが、例えば、裸足系の靴がいいとか、高性能のクッションが入った靴がいいとか、云々。
けれど、一番大切なのは、トレーニングの質を変えることですね。
エアロビックスの効果が体を整え、ココロを豊かにしてくれます。
そう、ホリスティックに体を整えてくれる。
というわけで、足の調子は悪いのですが、痛みも軽減しているような気もするので、ガンガン走りますよ。
まずは、5年前の体に作り変えないといけません。そう遠くない日に訪れそうだけれど。

posted by ロビオ at 11:15| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月12日

今日もマフェトン

はい、今朝もマフェトントレです。ランで。
熟年というか老年アスリートに、誰よりも賢く、誰よりも健康に資するようなトレーニングをして、体を鍛え、ココロを鍛えましょう。
その為には、マフェトン。
体重は徐々に落ちて、頭は爽快になり、ココロは開放された気分です。
ココロとカラダを超越した自分が、精神と肉体を統御している感じが素晴らしい。
誰もが、自分のカラダとココロの主人であるのに、この関係がわからない人が多いようですね。体も心も貴方自身ではなく、体と心を統御している本当の自分に気がついてほしいものです。
あと、1ヶ月もすると、腹の筋肉が割れてくるのではないでしょうか。
足の裏を痛めて何ヶ月も苦しんでいましたが、走るのをやめてもなかなか治らない。
では、マフェトン心拍域で走ったらどうだろう?と思って走ったのですが、これが、実によろしいです。
走り始めは痛いですが、そのうち痛みは消えていきます。
走り終わって、血流が悪くなっていくと痛みを感じますが、だんだんと痛みは消えていくような気がしております。
それと同時に、汁の染みこんだ高野豆腐のような湿ったココロも、霧が晴れたように爽快になってきました。
心のケアといえば、仕事も、半分がボランティアのようなものになってきましたが、何かのために、自分を勘定に入れず(雨ニモマケズみたいに)ただひたすら一所懸命難題をクリアーしていく努力を続けていくと、悩み事や心配事がなくなっていきます。そう、ガンジーさんも言っていましたが、これは、本当です。
カラダは、運動した後、疲れも残らず、運動不足していた筋肉が適度なメンテナンスを行ったあとの気持ちの良さで喜んでいるのがわかるようです、ちょうど、メインテナンスしたDURA-ACEのようにね。
といいながらも、当方の体は、賞味期限を過ぎたパン種のように酸っぱくなったままで、ココロは、些細な事で千々に乱れる体たらく。
いつでも、どんな時でも、マフェトンで運動した後の爽快さが維持できればなと思います。その為には、努力は惜しまないつもりです。
僕のマフェトン理論の最高心拍域とされているのは、132。この心拍域を維持して運動し続けます。
この心拍域だと、体の動きがウソを付くことなく正直に現れるので、骨盤の位置やら、仙腸関節の可動やら、拇指球から力を抜くようにとか、あれやこれやを考えながら修正して走ることが可能ですね。
たまたま読んでいたオイゲン・ヘリゲルの名著『弓と禅』は、教えられることが多く、その中で、呼吸について老師の話としてこんなことが書かれています。
「吸気は結び、結び合わせる。息をいっぱいに吸ってこれをぐっと止めるとき、一切がうまくいく。また呼気はあらゆる制限を克服することによって、開放し完成する」と。
また、弓を引く際に力を一切入れてはいけない、それを可能にするには、
「一切を忘れてもっぱら呼吸に集中しなさい。ちょうど他には何一つするべきことがないかのように」と。
私達が神の園で逍遥するには呼吸が大切なことは、ゼン・ブディストで、かつ、ヨギーならよく知っていること。
ならば、呼吸に集中してジョグをしながら、神と一体になる練習、禅の瞑想をしてみようじゃないの。
というわけで、呼吸に集中して、1時間30分、時々、心拍計の心拍数130を超えのアラームに邪魔されながらも、ココロの洗濯をジョギングしながらしたのだった。
かつては、こんなことばっかりしていたのだが、3.11以降すっかり忘れておった。
堂城賢氏の『自転車の教科書』も名著で、自転車のみならずランでも教わることが多くて、気づいたことも多いのだが、それはまた別の話で。

posted by ロビオ at 14:00| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

マフェトン理論でランしたりサイクリングしたり

土曜日と日曜日、マフェトン心拍域でトレーニングした。

180マイナス年齢+5ということで、最大心拍域を131に設定する。

最初の15分は、徐々に心拍域を最大心拍域に上げていき、終わりの15分は、徐々に走り出す前の心拍域に戻していく。

とてもシンプル。

人間の体は、自然の権化といっていいほど、自分では制御出来ないシステムから成り立っている。

食事して、分子生物学的に栄養素を分解して取り入れるのを「自然に」体がやり通してくれている。この栄養素を取り入れないで、これだけを取り入れるなんてことは不可能だ。

しかし、呼吸と心拍数は、人間が制御できる数少ない機能である。

運動量が増えれば、呼吸も増え心拍数も上がっていく。

運動量を減らせば、平時の心拍数に戻っていく。

明滅するココロの動きを制御するのも呼吸と心拍数にかかっている。

こころと体が自分だと勘違いしている人は多いが、その心と体が自分であると認識する本当の自分には気が付かない。

その存在を人は神と呼んでいる。

そんな神の立場から心拍数を制御する。

自然に手を加える行為は、神の領域に近い。

心拍数や呼吸を制御するのは、神の園に近づくことだ。

だから、禅やヨガでは呼吸法を学ぶ。

自分のハードビートで走ること。

他人のリズムではなく、自分だけのリズムで、トレーニングをやり通すこと。

ここに、このマフェトン心拍域で運動する素晴らしさがあると思う。

他人のリズムで踊らされている人が多い中、自分のリズムを取り戻すのにも、このマフェトン理論は一役買っている。

それよりも、なによりも楽しいのがよい。

土曜日、心拍数130以内で賄いながら!ジョギングをする。

余裕な心拍数で、スマホから流れるロックの懐メロを歌いながら走ることが出来る心拍域である。

フォームを考え続けながら走る余裕もあるし、ふと夢のなかに入り込んで我を忘れる一時もある。

それでいて、20キロ走ったのだが、じわりと筋力が疲れる感覚もあり、それは、筋肉を程よくマッサージしながらよく使ったという感じで、実に気持ちの良いものだった。

日曜日、自転車で60キロ。

山伏峠という山岳道路があって、ここを心拍130で登る。

峠道なので、ちょっと油断すると、心拍がずんずんと上がっていってしまう。

坂の傾斜が上がるところでは、腹式呼吸で大量に息を吸い込んでおくと、ある程度心拍数が上がることを防ぐことが出来るようだ。

ぜいはあと息も絶え絶えな太った自転車乗りの3人抜かされてしまう。当たり前だが。

こちらは、時々、漕ぐことを止めながら、スタンドスティルといって、自転車に乗りながらそのままじっとして心拍数を下げたりしている。

何やっているんだろう?この人、的な視線を感じながら、抜かされていく。

君は、君の道を行き、僕は僕の道を行く。

僕は、またかつてのように、このマフェトン理論を今後何年か楽しんでいけるはずだ。

同じ道を同じ心拍数で走っていく。

僕の体の生理的反応が変わると、僕はそれだけ速く走ることができるようになるはずだ。

筋持久力のある筋肉を鍛え、細胞の中のミトコンドリアを大きくさせ、心肺機能を改善して、骨格筋を鍛え直す。

時間をかけてゆっくりとね。

この理論が一番僕にあっている。

運動するのが実にたのしいからね。

目標は、心拍数130で、平地ならキロ5分切る程度で走れるようになりたいね。そうなったら、きっと、サブスリーも夢じゃないだろう。

やれそうな気がする。

posted by ロビオ at 01:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月08日

『脂肪を燃やすトレーニング―体験的マフェトン理論』藤原裕司著

本棚を整理していたら、表題の本が見つかった。

昔は有名だった『マフェトン理論』

もう数年前、GPS心拍計を買って、はじめてやったのは、マフェトン理論のジョギングだった。

マフェトン理論の実践は優れた他の理論と同じくシンプル。

タバタ式インターバルもシンプル。

優れた理論は必ずシンプル。

マフェトン理論の実践は、(180−年齢)を最高心拍数として、それを超えないように運動する。

体の基礎ができあがり、パフォーマンスが上がっていくというもの。

マフェトン博士という人が考案したやり方で、トライアスリートの王者マーク・アレンが実践して、有名になった(らしい)。その辺のことはあまり良く知らない。

日本のトライアスリートだと藤原裕司さんがかつて実践していて、好成績を収めた(らしい)ことでも有名で、今回のブログの表題の本がマフェトン理論の本の中では一番詳しくて為になると思われる。

5,6年前に購入しようと思ってみたものの、既に、絶版となっていて、アマゾンの中古でこれらの本をすべて買い集めたのが、昨晩、本棚を見ていて目に入ったので、再度読み返してみた。

マーク・アレンさんも、藤原裕司さんも、最近では、というか、ずい分前にマフェトン理論を卒業されて、あまり言及することがないのは、かつてマフェトン理論を実践していたという過去を葬り去りたいとでも思っているかのような無視の仕方が気になるのだけれど、いいじゃないの、アスリートになりたいわけじゃなし。

僕の場合は、いま53歳だから、180−53の計算式で、最高心拍域は、127。これに、運動をしていて故障のない場合はプラス5まで認められるから、132までが上限となる。

最大心拍数132でどれだけ運動ができるか?

132といえば、楽に運動している序の口だよね。

直近のトレランでは、平均心拍数150から160で、最後に180くらいまで上げていたから、如何に、マフェトン理論から外れていたことか。

こういう運動していると体壊すよね。そして、確実に毎日運動する気にはならない。気が滅入るし、単なるリクリエーションなのに、義務みたいに思えてきてしまう。本末転倒だよね。

而して、結局は、マフェトン理論を毎日継続するに如かざることになってしまう。

では、132だとトレーニングにならないかと考えると、昔、3ヶ月も実践していた頃、心拍数が140から上に上げるのに、相当な努力を要したから、このくらいでも、鍛えればハイスピードで走ることが出来るようになるかもね。

今、思い起こせば、心拍計で140を超えたらアラームが鳴るようにセットして、アラームが鳴ったら歩いたり、自転車だったらペダルを止めたりして、ゲーム感覚でマフェトン心拍域で運動していたっけ。

名郷までの片道20キロ教の道を自転車で走って、同じ心拍数で徐々にタイムが短縮できていくのは楽しかった、ような気がする。

それでも、数名でトレイルランを楽しむときには、心拍制限を解除して、かなりのハイスピードで活動を楽しめていたのだから、僕にはマフェトン理論があっているのかも。

先日、自転車クラブのツーリングに参加したのだけれども、みんな、はあはあゼイゼイと一所懸命だ。ちっとも楽しくなかったよ。こういうトレーニングは嫌だし、そもそもツーリングってトレーニングではないでしょうに。

まあ、そういう気持ちもわかる。

僕だって、マフェトン心拍域で1年位自転車に乗ったら、スイスイと坂道登れるようになるから、遅れている人には頑張って登っているように思われるかもしれないし。

けれど、僕は、常に、心拍域を150以上には上げないでいつも坂道は登っていたんだよね。このくらいだと、話しながら登れる最高限の心拍域だからね。今は、年取ったので、145くらいかもしれないけれど。

要するに、運動は、人に合わせてはいけないのだね。

different strokes for different folks 野郎違えばやり方違うってわけさ。

自分のリズム、つまり、自分の心臓が刻むリズムに合わせないと、まさに、ハートで運動するのだよ。

世の中、他人のリズムに踊らされている奴らばっかりだけれど、マフェトン理論と心拍計は、自分のリズムで踊ることの大切さを教えてくれるよ。

トレーニングは、高心拍で追い込むことも必要な人もいるだろうが、僕の周りを見てそんなふうな超一流のアスリートは一人もいないんだよね。

運動を仕事にしている人には、必要なことかもしれないけれど、運動を仕事でなくリクリエーションで楽しむ人には、そういうトレーニングは必要はないんだね。

というわけで、食事に気をつけ、心拍数で制限する代わりに時間を長めにして、トレーニングを楽しもうと思う。

早く、運動できる体に戻さないと!

posted by ロビオ at 12:13| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月29日

こんな時は、ヨガしかないでしょ

手首の痛みが激しくなっている。これでは、自転車に乗る気分ではなく、足の裏の痛みも、朝起きた時限定だが、痛いので、走ることもままならない。

ならば、水泳・・・といきたいところだが、目の負傷があるし、行けば必ず、鼻風邪をひくので、プールで泳ぐのはやめたのだった。

運動的八方塞がり。何にもできん。

最近、はやりのアドラー心理学でいうと、現在の自分を規定するのは、過去におけるトラウマではなくて、目的であるという。

なんらかの行動には目的があり、その目的を達成するためなら、過去のトラウマ的な事実でも、体の不調でも、なにもかも援用するのであると。

現在の私に当てはめてみれば、運動したくないという目的のために、からだの不調を訴えていると解釈できようか?

本当か?

ハックルベリー・フィンの口癖で言えば、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」

今朝、朝にトレーニングに出発するのをためらったのは、外壁のペンキの臭いで寝た気がしないし、喉は痛くなるわ、息苦しくなるわで、朝起きた時は、不機嫌そのものだったからであるのだが、あれ、これも、運動をしないことの理由に列挙しているんだろうか?

昨日のブログにも書いたけれど、もう一度、初心に帰ってみよう。

自転車に乗る理由は、何だったのだろうかと。

そうだ、禁煙をして、その頃、禁煙をすることによって、いくらお金をセイブ出来たかというソフトがあって、例えば、1日タバコを3箱買ったとして、1箱200円(当時)のハイライトを吸っていたので、1日600円が浮いたということで、その累積を表示してくれるのだった。

それで、2年間貯まったお金で、最初のロードバイクを買ったのだった。タバコで浮いたお金は『健康』の為に使おうと思ったから。

そうだ、これが原点なのに、とても、健康的ではない状態があるわけで、昨日の決心もあるが、そうだ、健康のために運動をしよう。

というわけで、体調は不良なのだが、iPod shuffleで、ドノバンの『サンシャイン・スーパーマン』を聞きながら、ヨガを丹念に施したのだった。これ、結構、楽しい。

posted by ロビオ at 10:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月28日

マフェトン理論でいこう!

体の故障が甚だしいのは歳のせいばかりではないだろう。

まず、手首。

これは、自転車に5時間ほど乗ってみたら、手首が痛くなっていた。まあ、5年ぶりの自転車だから、姿勢も悪かったろうし、新調のハンドルは体に合わないのは気がついていた。痛くなったのはいい。けれども、それが、一週間以上も痛いのは問題だ。回復が非常に遅い。

あと、足の裏の痛みである。

走れば、痛みは軽減されて、無くなってしまうので、そのまま走っていたが、朝起きた時など、足の裏の痛みが酷くて、手を使って自宅の階段を降りることになる。そして、しばらく部屋の中を歩いているうちに痛みは無くなってしまうのだが。

裸足系の靴がいけないのかしら?と思って、普段履きのスニーカーで走ったら、その底の柔らかさがいけないようで、痛みが集中して、さらに悪化した。

前に一番長引いた痛みは、アキレス腱の付け根辺り、踵の上のあたりがズキズキとするのがあった。けれど、知らず知らずのうちに、解消してしまうものだったのだね。2年位かかったけれど。

今回の痛みは同じくらい長い。そして、走るたびに足裏は酷使されるから、走るわけにもいかない。

というわけで、痛みがまったくなくなるまでは、ランニングはお預けということにして、自転車に乗ろうと思ったら、手首が痛くなったわけで、これは、困った。

そして、これは、不注意の事故だが、土曜日薔薇の手入れをしていたら、目に枝がばちんとぶつかって、左目の左側の白目が切れて出血し腫れている。眼鏡のガラスを避けるように、下から枝が入って目に直撃したという不運もあった。

最初、血が目の中に溢れて、何も見えなくなったんで、あれま、失明かと心配したが、そうにはならず、目は痛いけれど、動かさなければ痛みは現在なくなったが、不快である。

そんなわけで、日曜日に久しぶりに、またまた自転車に乗ろうかと思ったのであるが、目を動かすたびに痛いので、こりゃたまらんと、またまた自転車に乗れずじまい。

その代わりに、家の壁の漆喰を塗る作業をしたのだが、これまた、不自然な体勢で作業したので、上半身の体が筋肉痛。僧帽筋右の肩腕、そして、自転車で痛めた手首がまたまた痛み出す・・・

という風に、体力的四面楚歌状態で、その原因を何かと探ってみれば、やはりね、運動は強度を上げてはいけないということ。

そういえば、一番運動して楽しく怪我もなかった頃、しっかりと心拍計で、心拍数管理をして運動していたもんだ。

今現在は、心拍計で管理をしているが、かなり高めの状態をキープするような運動になってしまっている。

その結果、体の不調が出始めてきているのだね、きっと。

というわけで、初心に戻って、心拍数は体を痛みないための道具として、また、マフェトン理論で、毎日毎日、時間をゆっくりかけて、運動しようと決めたのであった。

心拍数140以上には、今年は上げないことにしよう。

そうそう、自転車でも、この心拍数だとたとえば、よく行く山伏峠の傾斜の強いところなんか、外側の傾斜の弱いところに逃げて、止まるようなスピードで休みながら登ったもんであった。

そうだ、明日から、マフェトン理論再開である。運動生理学の本を随分読んだけれど、また、図書館で借りて読んでみよう。

食事も最近は、肉を食べることもあるのだけれど、やはり、肉を食べるのはよくなさそうだ。ビーガンで行こう。

ヨガも中途半端にやったりやらなかったり。しっかりと、やって、こころとからだをとりもどすのだ。

低心拍で、歳の割には、あんがい、走りが速い、そんなランナー、ローディになろうと決心したのだった、たった、今。

posted by ロビオ at 10:10| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

自転車でも骨盤は前傾で

なかなか自転車に乗る機会に恵まれないのは、朝の寒さと仕事と雑事が入り組んでいるから。

それでも、タイヤは、パナレーサーのグラベル700✕25というのを調達し、ロードのペダルもSPDにしてしまえば、靴1足で済んでしまうので、ロード用なのにSPDが使えて、ちょいと格好のいいシマノPD A600というのに替えるてしまおうかなどと考えている。

なんだかロードの世界では、理屈にならない理屈がまかり通っていて、例えば、DE ROSAというバイクがあるけれど、このコンポーネントはカンパーニョロじゃなきゃ駄目だとか、コルナゴならシマノでいいよとか、プロチームの真似なんでしょうか、意味がわからない事が多く、既存の概念を打ち破るようなものに対して激しく拒否反応を示す者が多いようだ。

カーブを曲がるときに、外側の足ピーンと張って曲がるというけれど、MTBで曲がるときそんなことやったら、ズルリと滑るし、状況を見て、抜重したりしているのに、なぜか、ロードでは、これが推奨されている。なんで?と常々思っていたわけですよ。

堂城賢(たかぎまさると読む)という人の『自転車の教科書』というのを読むのは2度めだが、その内容を一見ユニークだが、理にかなっている自転車の乗り方全般に関して目から鱗が落ちる思いをして体得できる本なのだ。

この人の話がよく分かるのは、マウンテンバイクを楽しんでいる人ならよりわかるだろうし、ランニングの愛好家なら、それよりずっとよくわかるはず。

著者の堂城賢氏は、マウンテンバイクの選手であったそうだから、自転車に関する視点がロードバイクの常識を常識で終わらせないところが頼もしいところ。

この本を読んで、この著者の勧める乗り方は、信頼できるとおもうのは、そういうところにもある。

この本の中で言いたいことを端的に言えば、イチローが守備隊形をしている際の姿勢、あれが自転車の乗っている時にでもできれば、それが理想なのだ、という簡単だが、なかなか難しいことを言っている。

体重は両足の拇指球にかかり、骨盤を股関節前傾させて背中は丸めないで真っ直ぐな状態に保つ。あの格好のまんま自転車にまたがり、漕げば良い。以上。。。。。

たったこれだけ。これが出来る姿勢が、理想的なポジションニングになるであろうし、省エネ的にペダリングが出来る姿勢でもある。

自転車もランニングも同じで、骨盤を後傾させながらのランニングは背中が曲がったへっぴり腰で、やってはいけないこととされている。重心は、前に前に送り出すことによって、楽に走れるという常識がある。

それなのに、自転車では、骨盤を前傾させるのではなく立てて、背中を丸めるやり方が励行された時代が長いことあった。

これは、やはり間違いでしょう。

スポーツの姿勢は、背筋をのばすこと。すべてが、ここに尽きるのではないか?

剣道、柔道、合気道はもとより、ランニング、スキー、ボクシング、卓球、テニス、背中を丸めてやるスポーツってないよね。

姿勢が悪ければ、腰を痛めるだろうし、見た目も悪い。なのに、自転車では、背中を丸めて骨盤を立てろというのは、筋の違う話ではないだろうかね?

というわけで、だらんと背中を丸めて、骨盤が立てばまだいいけれど、骨盤が後傾したりして、ダメダメな姿勢で自転車に乗っていたのね、私。反省。これじゃ、自転車が前に進まないわけさ。

それだから、今回は、この『自転車の教科書』をよく理解して、勉強したいと思っている。ランニングと自転車を同じように捉えて、相互の理解に役立つようにしたいと思っている。

その為には、この硬い体を本当になんとかしなくっちゃ。

自転車に乗るより前に、これが先決。知らぬ知らぬ間に楽な姿勢を人は取るので、そのあたりで筋肉や腱が固まっちゃうんだろうな。

posted by ロビオ at 09:57| Comment(0) | 自転車(ロード) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

PanasonicのFRC

クロモリのバイクで初めて100キロ走ってみれば、のんびり走るには最高のものであることに気がついた。

トレックのマドンは、バイクに踏み込むことを命令されているみたいで、友達とだべりながら低速で走るなんてとてもだるくて出来そうにもなかった。勤勉さを要求され、セコセコとペダルを踏ませるバイクであった。のんびりと走るもんなら、体の接合部分のすべての関節が痛くなりそうで、踏み込みつづけることで、体とバイクとの友好関係が成り立つような、そんなバイクだった。


猛スピードで踏み込んだりすると、バイクがとても喜んでいるのがわかるし、長いツーリングに出て、足が終わってしまったら、とりつくしまもなく、フレームの不機嫌さが感じられてしまう、そんなアルバイトを要求されるレースバイクだった。

というわけで、僕のバイクの使い方には、あまり合わなかったんだろうね。抜きつ抜かれつのレースの遊びみたいなときは、ビューンと発射されたように前に進んだけれど。この快感は高性能のスポーツカーの快感とでもいうべきものでしょうか?
パナソニックの鉄のフレームは、スピードに乗るまではもたつくけれど、一度スピードに乗ってしまえば、スイスイ。リズムに乗れば気持ちよく走れるから、ツーリングにはピッタンコ。

スポーツの道具としても十分使えるが、人を楽しく目的地まで運ぶ為にはどんなものが要求されるのかといったところにも配慮のある、車で言えばルノーのような哲学を持った長い歴史を持つバイクなのでしょう。
アタックごっこみたいに、ズバッと瞬発力を活かして進むなんというのは、不得手であることは確かである。一拍遅れ続けて前に進む感じだから。だけれど、ブレーキ、アンド、ゴーみたいな走り方って普通はしないわけで、どちらを優先するかといえば、同じスピードで巡回する能力というのが普通は喜ばれるものでしょう。

一拍遅れて・・・というのは、ブラックミュージックのビートって、バックビートといって、ワン・ツウとツウのところに強調があるのね。
ブルーグラスとか演歌とかは、ワンに強調がある。
クロモリのフレームは、バックビートなのね。一拍遅れて不思議な所で自転車が前に進む。
クロモリレースバイクは、もういきなりワンで前に進む。
そんな感じでしょうか。

ところで、このクロモリの細めのフォークはブレーキかけると撓ってますね。ブレーキをかけると手元に曲がります。で、コワイかといえば、全然怖くなくて、フレーム全体と柔らかなハンドルでグニャグニャと全体で吸収しあってお釣りなしの処理をしている感じ。先端が寝ている形状なので、バネ状に跳ね上がってもいるのかしら?こりゃ、楽しいわ。

これで、13万円くらいなんで、割りと安めのフレームで、これだけ満足できるんだから、やはりクロモリはおすすめですよ。


ところで、5年前のタイヤは溶けていて、プラスチック消しゴムのように柔らかく、あっという間に摩耗していく。これじゃ、剣呑である。

というわけで、のんびり派、時々、スピードを上げてダウンヒルを楽しむ為には、最近流行っている700✕25Cの太めのタイヤを所望したい。

パナレーサーのグラベルとかいうのが良さそうなんだけれど、評判はどうなのかしら?

新たなLogicoolの無線キーボードの練習で長めの文章でした。あんまりタッチが良くないな。配線はすっきりするけれど。

posted by ロビオ at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

黒のニットタイ

青と黒の細いタッターソールのボタンダウンシャツに、臙脂のヴイネックのセーター、そして、ヘリンボーンのハリス・ツイードを着こんだのはいつもの仕事スタイルだけれど、クリケットの黒いニットタイを締めたのは、今日が3月11日だからだ。

あれから5年。

僕の中で何かが失われてしまったあの日の後の原発事故。

巧妙にそして清潔に焼却されてしまったか、瞬間冷凍されてしまったかして、その失われてしまったものが一体何なのか、その正体すら見つからないのだけれど。

今日は、その弔いの日にふさわしい。

テレビは見ないので、ラジオを聞いている。経済評論家が日々様々なコメントを出している。

経済対策も大切だろうが、それはあまりにも白々しいのは、ジェイムズ・クラムリーの『ファイナルカントリー』という優れた小説の中の引用、

政治は富める者が貧しい者たちを相手に演ずる残酷な詐術に似ている

というように、一体全体誰のための経済政策なんだろう?

あの原発事故の日、炙りだされてきた日本を牛耳るエスタブリッシュメントの面々、マスコミを含む甘い汁を吸うために群がる人たちが明らかになった。

誰もが民主主義という全員参加のゲームの中で、ボールは彼らのサークルの中だけで回されて、自分らには永遠にボールは回ってこないという確信を得たのではないか。

そういうことを忘れたかのように、株価の上下に翻弄されて、将来の不安を感じさせられながら、世界は動いている。

人は一人では生きていけないのは事実だろう。

しかし、電力会社に生殺与奪権を明け渡して、いつ輪番停電のような脅迫に満ちた暴力に晒されないとも限らないだろう。

自給自足的生活。

脅しに屈せず生きていくためには砦としての自分の家、食料の確保としての畑、エネルギー源としての自然材があれば安心である。

そして、そうした半ば自足できている人たちが、小さな共同体の中で融通し合い、地産地消的に消費していけば支えになるだろうし、そうした小さなコミュニティから生み出されたものは、どこにだって受け入れられる可能性があるのではないか。

いわゆるグローバリズムというのも、もともとはローカリズムに過ぎなかったのだから。

改めて、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』に書かれているように、小さな共同体で豊かな生活を送れるように、身近な環境にどれだけ素晴らしい鉱脈が走っているのか、自然と直接的な関係を取り戻すことの重要性を再確認したいと思う。

posted by ロビオ at 09:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月10日

やらないというペダリングの方法

自転車の前輪にレンガくらいの大きさの障害物を置いて、ペダリングしてその障害物を乗り越えようとする場合、ペダリングを時計に例えると0時から3時までの間は、僅かな力をかけるだけでペダルは回り、当然、前輪はその障害物を楽々と乗り越える。

これが、3時になると、ちょっと引っかかる感じがあり、5時になるとペダルを動かそうとすれば、多大な力が必要で、真下の6時になるとどんなに力を入れても、自転車は前に進まない。当たり前だけれど。

これは、ヤマメの学校の貴重なユーチューブの映像だったかな?2冊出ている本だったかな?それで知ったことだが、経験的にそれが本当だということはわかっていたはずだ。

が、それを、薄々気づいていたものの、それを活かせていなかったのは、言語化していなかったからで、追求が足りなかったと反省するが、多分、月に1000キロも乗っていると学ぶより慣れろというわけで、どうでも良くなってしまったかしていたのである。

このペダリングの方法を具体的に知って、これこそがペダリングのポイントだなと、感じ入るものがあったのだった。

そして、ペダリングというのは、この技術のことであって、引き足だの足を持ち上げるだのというのは、足に力が入っていなければ、ペダリングの勢い、惰性で回ってしまうから、必要ないのである。目から鱗が落ちるよね。

この高城先生の本は、本当に有益だ。自転車乗りでもランナーでも。

僕のように下手くそなペダリングだと、引き足とか意識すると多分要らない力が入ってしまって、ペダリングの邪魔になるだけだなと思うからだ。それに、ケイデンス90から100でね、ココでペダルを押し込んで、ココで脱力して、そして、ここで、引き足を使って・・・なんて器用なマネができるものか?

というわけで、効率的にペダリングをして自転車を前に進ませるには、この0時から3時に力を入力して、その他は脱力して放出された力が惰性で6時まで流れればそれが一番効率がいいというわけである。

自転車には、3.11があった年の8月以降載っていないので、ブランクの時期はおよそ4年半。そんな中でも、ヤマメの学校の本を図書館で何度も借りて読みなおしていたんだから、ロードバイクの興味は続いていたんだろう。

一番体力があった頃、月間ラン300キロ、自転車1000キロ以上を走っていたんだから、どうかしていたと思うが、その頃は、悲しかったし、疲れていたし、病んでいたし、こんなことでもしないと正常を保てなかったのだが、今は、それも昔の話。こういう時も必要なのだ。

そして、そのころよりも4つ年をとってしまった今となってみれば、体力よりも技術でカバーするしか無い。

ペダリングの技術と食事と休養だな、これに、クロストレーニングを加えた効率のよい鍛え方をしなければ。

ところで、、ママチャリでお買い物に出かける時とか、20キロ位の遠出するときとか、この0時から3時までのペダリングというのは意識して練習していた。

結果、ペダリング一回転の360度の4分の1だけ力を投入して残りの4分の3は休息に当てられるのだから、理論上、これより楽で効率的なペダリングは無いと思われるのだよね。

パイオニアという会社が開発した無駄なペダリングの力がどれだけ加わっているかとうのを測定する機械があって、これまたユーチューブで拝見したのだけれど、日本人でツール・ド・フランスに出場している選手でも、その効率は7割だそうで、これは、特筆すべき効率の良さで、相当乗り込んでいる人でも50%程度だそうである。

ヘボな自分はじゃあどうするか?

もう、引き足とか足を上げるとか、そういう面倒なことはやらない。やらないことに精力を傾けて、ただ、0時から3時のこの一点だけに力が加わるようにすることより他にいい方法があるだろうか?

トレイルランニングで、足が地面に着く前に足を上げる・・・なんて禅問答のようなことを、裸足王子から学んだのだけれど、この間、走っていて、なんとなくわかったのは、上げる意識が最初にあって、そして、その瞬間に足が着いて、その意識が足に到達して足が上がっていく・・・というような感覚が掴めたからである。時々、その感覚を掴み損ねてしまうのだけれど、特に、激坂の上りで顕著に意識できていたような気がする。

さすれば、0時にペダリングを開始するなら、時計で言うと11時か12時くらいに踏み込む意識をして、1時か2時位に脱力する。脳と体の意識の伝達する時間というのはそのくらい多分時間がかかるのだろうね。

うん、この練習、自転車に乗れるような陽気になったら練習するつもり。

今から、楽しみだ。

posted by ロビオ at 06:18| Comment(0) | 自転車(ロード) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする