2016年05月20日

高層ビルからの脱出

新宿高層ビル群の34階で2時間ほどお仕事。
高いビルは苦手で、早く脱出したいのに、そうもいかず、冷や汗タラタラとまでは行かなくとも、気持ちが収まることがない。
が、ここは、よく考えたら仕事場で、夜遅くまで、皆様この高層ビルでお仕事しているわけだね。皆、平常心で仕事が出来るのか?少しずつ、病が進行していくのではないか?
確かに、景色はいいけれど、窓の側に立って、下を覗き込むと、あああああ、窓ガラスに両手を置いて体重をかぶせている自分といっしょに、高層ビルがゆっくりと倒れこんでいきそうな感じがする。
これで、くつろいで仕事をするというのは、僕には無理だし、殆どの人がそうではないのかね。慣れということもあるかもしれないが、少しずつの無理が積み重なって、やがて、病に至るということもあるんじゃないかという気がする。

仕事が終わって、エレベーターに乗るのだが、34階で乗ったら、エレベーターの1枚の床の下には、34階分の高さの空間があるということを意識せざるを得ず、早くこの箱から飛び出したい気持ちが収まらず、1階出口に到着する時間が待ち遠しい。

ようやく高層ビルを脱出すれば、気分も落ち着き、ビル風が伸びた髪の毛をぐちゃぐちゃにさせながら吹き通って行く。ああ、生還した!とは言わぬものの、それに近い感慨があることは否めない。


高いところは、真夏でも蚊がいないかもしれないが、高層マンションって、30階だとか40階とかに人が日常的に住んでいるわけで、これまた、信じられない気がする。どうして、高いところに住みたいのか、また、そういうマンションを購入するに至ったのか、本当に不思議です。高層マンションは、安いのかね?

学生の頃読んだNHKの番組を本にした『21世紀は警告する』という本では、マンション型の巣に鼠を飼うと出生率が低下するなんていうことが書かれていた。
マンションはストレスが溜まるんだね、おそらく。まして、高層マンションといえば、おぞましい。血圧も、心拍数も僕の場合は、5はアップするね。地震が来たら20はアップするだろう。

やはり、郊外の平家がいいね。庭があって、簡単な野菜なら作れるくらいの。隣人とは、おすそ分けをして、パンを配って、というような生活が望ましい。人とのコミュニケートがストレスを生むという考えもあるかもしれないが、こういう物の交換によって、都会マンションぐらしの閉鎖された暮らしよりも、ストレスはかえって少なくなるような気がする。

そんなことを考えながら、今朝は、軽めのランニング。
月間の目標というのもあったほうが張りが出ていいと思うのだが、距離よりも時間で示したい。
1日1.5時間、月45時間っていうのは、辛いでしょうか?
まあ、1日休めば、翌日3時間のノルマがあるので、休めませんね。
土日で、挽回すれば大丈夫か?
低心拍で、長い距離を、キロ6分位で走ることができるようになるのが、究極の目標ではあります。
そこに、マフェトンメソッドで到達できるのか、楽しみだ。

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2016年05月19日

マフェトンメソッド継続中

里山をぐるりと回って1時間50分。途中、有名選手Oさんと遭遇。ほんと、この人とは、あちこちで遭遇するわ。向こうは知らないだろうけれど。イベントの下見かな。
日の出前の里山はさすがに、こういう特殊な人しか会わないですね。いつも、神社の日めくりカレンダーをめくっているランナーとも、4日連続でご挨拶ですわ。
マフェトンメソッドを再開した最初の日に同じ道を走ったのだが、2時間を超えていて危うく通勤電車に間に合わなかったくらいだったから、随分と同じ心拍数で走ったのが速くなったものだ。
宮沢湖回りは、ムーミン施設のため6月1日から入れたくなるとのこと。
となると、6月からは天覧山トウノス山経由で高麗峠越えて日和田山往復するコースに変更かしら。
今週から、強度は変えずに、時間を伸ばしていこう!
2時間をマックス、1時間をRESTとして、交互に走れれば、月間の距離もグンと伸びるでしょうよ。
先日購入したスペンサー・デイヴィス・グループのベスト盤が素晴らしくて、もう何回も聞いていて飽きることが無いですね(2枚組のトッド・ラングレンのライブ盤はイマイチだった)。
当時17歳のスティーヴ・ウインウッドは、ユーチューブの映像みても、とてもティーンエイジャーには見えず、枯れた素晴らしいリズムアンドブルーズ歌ってますね。
もうこの年で、やることはやっちゃったみたいで、ジミー・ヘンドリックスのブードゥー・チャイルで共演した時は、何歳だったのか?渋いオルガン演奏しているよね。本当に、天才っているもんです。
新しい準強力粉を購入したら案外サラサラのベタつきがないし、そろそろ新しいパンを制作したい気分になってきたので、今週から、ライ麦入りのカンパーニュをビシっと売り物になるくらいのものを努力して作ろうと決心ス。しかも、オリジナルな個性のあるものをね。早速某所でライ麦を購入してきた。
今のところ、リュスティックと、パン・ド・ロデブしか自信作はないからねえ。レパートリーを1年毎に広げていきましょ。
家に戻って、昨日焼いた4本のパン・ド・ロデヴのうち、わずかなスライスしたブレッドに、知り合いの農家から分けていただいているキュウリに、塩をパラパラとかけたもので、キューカンバー・サンドイッチをば食す。
バターと塩のこのサンドイッチは美味です。
そうそう料理といえば、ソルトミルとペッパーミルというのが我が家にはなかった。
憧れはプジョーのミルなんだけれど、妻がヤフオクで1000円で落札出来ましたとさ。こんなこともあるんだね。
というわけで、いろいろと道具も揃ってきて、料理が楽しくなリますw。

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2016年05月13日

1973年のピンボールからノルウェイの森へ

村上春樹の『1973年のピンボール』の冒頭、僕の恋人である直子が死んだという記載があって、エピローグでは、双子の女の子が残していったビートルズの「ラバー・ソウル」を聞く。
勿論、『ラバー・ソウル』には、ジョンの名曲「ノルウェイの森」が入っているわけで、小説『ノルウェイの森』の森で、10数年後、主人公は、ドイツの空港に降り立つ際、飛行機の中で、ノルウェイの森を聞くわけだ。
つまり、「ノルウェイの森」という曲で封印した直子の思いでを、開封してすすめた小説だったのだね。
こういうふうに、繋がっているから、村上春樹の初期の話は面白い。
というふうに考えながら、寒いといったほうがいいような早朝暗い中、ジョギングする。
もちろん、聞くのは、「ラバー・ソウル」と「リボルバー」。一番好きなビートルズのアルバムだ。
アコースティックジャズの極北が、マイルズ・デイヴィスの「ネフェルティティ」と「ソーサラー」だとしたら、ロック・ポップスのそれは、この2枚で決まりだね。
このあと、急速に、どちらの音楽も行き詰まりだした。そうそう、ザ・バンドが現れて、音楽を過去に無かって掘り下げる方向に向かうまで。
ある機会があって、平成3年の仕事の事件簿を調べていたら、いろいろな仕事の記憶が一気に蘇ってくる経験を先日したのだった。
もう20年以上前のことなのに、そして、普段は2日前に何を食べたかを思い出すことも難しいのに、事件簿を見たら、昨日のことのように、その仕事をした時の風景が、出会った人が、その時見た書類の印影の朱肉の濃淡さえもが思い出された。
そして、それから20数年、橋の下には、大量の水が流れて、今僕がここにいる不思議さ。知らぬ間に、とんでもなく遠いところに来てしまった!
そんなことを思い出された今朝のジョグでした。
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2016年05月08日

ゴールデンウィーク終了!

昨日はトレランで、今日はロードバイクで、連休の運動疲れで最大心拍数を125に落として設定して、トレーニング。
山伏峠の傾斜の一番強い所は、時速2,2キロの超スローなペダリングでなんとかクリアー。すごく嬉しい。一番効率よくペダリングができる12時から2時くらいまでを拇指球に力を入れてフッと踏み込んで後はお休みする。
こんな風に、効率的なペダリングも練習できるのではないかしら、超スローで(笑)。
ところで、拇指球に力を集約させないと、12時の段階で力を入れるのが難しいのがわかった。ここに力を入れるということを気にかけないとだらりと1時過ぎぐらいまで惰性でペダリングしてしまう。
そうすると、1時から2時位までしか効率よくペダリングできる範囲が狭まってしまうので、これは勿体ない。
というわけで、拇指球に力を入れよと言っている諸先輩方が多いのは、こういうことを言っているのかしらんと、納得できたわけ。
激坂では、MTBやって、サドルの先端に座って、垂直に足を踏むようなペダリングをしらないと、ここを心拍数125で登るのはむずかしいかもね。あと、スタンド・スティルの技も。
途中、24歳のトライアスリートとマフェトンメソッドの話をしながら山伏峠を上ったのだけれど、180−24で、彼女の場合は、最大心拍数は、156!ですね。素晴らしい。
今から、マフェトンメソッドで鍛えれば、間違いなくトライアスリートのチャンピオンになれるね。
という話をしながらしばらく登っていたら、ボクの心拍計がアラームなって会話は終了。
昨日はこの心拍数でトレイルランだと、ちょっと歩き慣れた若いハイカーだと追いぬかれそうになる。それもちょっと悔しいので、腹式呼吸で立ち止まっては、心拍数を下げ下げしながら、おもむろに、走りだすの繰り返しになる。てんとう虫が、枝に止まってもじもじと枝先を歩きながら、やおら羽を取り出して、ブーンと飛び出すといったタイミングで。
マフェトンメソッドって、炭水化物の摂取はOKだったと記憶するけれど、『ナチュラルボーンヒーローズ』の本に登場する新マフェトン博士は、炭水化物は禁止ということに相成って、少々真似をしてみて、ボクも、炭水化物はできるだけ制限するように努力することにした。甘いモノはやめる(1週間前に買ってきた井村屋のあずきバー食べちゃったけれど)。小麦粉もできるだけ食べない(シナモンロール今日も食べちゃったけれど)。
というわけで、いつも4時間程度のトレーニングには持参する甘酒、豆乳ドリンクは遠慮して、ナッツ類をバクバクと。
そしたら、気持ち悪くなって、どうにも、食欲がわかないね。胃が止まってしまう感じ。ゲロ吐きそうな感じ。薄ら気持ち悪い。
なにか、炭水化物制限している人のためのアスリートのための胃に負担にならない携帯食ってないのかしら?
加藤文太郎のように、煮干しとアズキっていうのも良さそうだけれど、砂糖抜きのアズキって美味しそうじゃないし。
というわけで、糖類制限して、体に糖類よりも脂肪を燃焼するように体を仕向けさせるというのが、この糖類制限の趣旨でして、決してダイエットしたいとかそういうわけではないので、あしからず。
人類が捕食者であったころ、山の中をあるいは荒野を獲物を求めて何キロも走り続ける。そんな太古の時代のリズムは、ボクのトレーニングで使用している心拍数に似通っているのではないかと思われる。
ロードバイクで道を走り、シングルトラックを走る時、太古の昔にプレデターとして獣を負っている自分を発見することもできるのではないか。
息を潜めて、悠然として獲物を探しながら走り続ける。そんな感覚にとらわれて、自分の太鼓のリズムに合わせて走る自分がいることがとても頼もしく思えるのは、DNAの中にかつての自分を思い出させるからなんでしょう。
というわけで、ゴールデンウィークは、今日にて終了。
毎日、少しずつトレーニングして、身についたものは、多く実りがあった。
お金もゴールデンウィーク中・・・3000円は使わなかったのでは?
誠に、お金の掛からない趣味を持つということは、大切なことですね(器材に大金を投入する人は別として)。
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2016年05月06日

マフェトン博士の消息

『ナチュラル・ボーン・ヒーローズ』を夜寝る前に読んでいて、ついにマフェトン博士登場。興奮して、目が醒めて眠れず。
ヒッピーのカイロプラクターが、スチュー・ミトルマン、マーク・アレンを育て、近年では、ジェームズ・テイラー、ジョニー・キャッシュ、レッチリ、等ロックの巨人たちを指導したという。マーク・アレンの場合は、その後の20年間、彼に匹敵するトライアスリートは出現しなかったという。
マフェトン博士は、雲隠れが上手で、ネットを通じても、生きているのか死んでいるのか不明だったので、生きているだけでも嬉しかったね。
マフェトンメソッドは、インプットとして食事制限、アウトプットとして心拍数制限から成り立っている。
アウトプットとしての心拍制限は、もはや、芸術的に心拍数を130まで上げ、平常心拍数まで戻すことも難なく出来るようなってきた。
ロードバイクでもマウンテンバイクでも、ハイキングでも、トレランでも、ロードランでも、同じように、この心拍数でやりくりできる。
さて、次は、食事だ。
なかなか、敷居が固い。
炭水化物を除くことが推奨されている。
どれだけの炭水化物の量が自分にとってふさわしいかの二週間テストというのがある。
まあ、私の場合は、朝、昼は、米抜きで、夜にドカッと米、小麦の類を食べることはあるけれど、平均して炭水化物を取ることは少なくなっている。言い出しっぺの僕よりも、妻のほうが炭水化物摂取量はウンと少ないのは、皮肉だけれどね。
但し、砂糖、お菓子の類は絶とうと思う。
白いものは、砂糖か、砂糖の分身であるからね。
地道に、そちらの方面に圧力をかけて、少しずつ、軌道修正していきませう。
ところで、なるべくスーパーで買物をすることを止め、信頼できる個人商店主から直接食料を手に入れる活動を妻がしてくれているお陰で、おいしい肉やら卵やら野菜やら小麦やらお米が手に入るようになってきている。
これを我が家の「安全保障政策」と呼んでいるのだが、これらで作った食事が実に美味いのであるよ。
昨日も、その個人商店の肉を仲間と一緒にバーベキュウーでたらふく平らげたけれど、体重は増えず、体調もいいですね。
スーパーの肉野菜は害悪だけれど、心ある個人商店の肉や野菜は素晴らしい。
というわけで、自分の体を、LABORATORYとして、いろいろと試してみたい。
しかし、マフェトンメソッドの180公式は素晴らしい。
これは、博士自身もなぜそうなるのかわからないらしい。
E=mc2が、なぜそうなるのかわからないというより、こういう公式は、そうなっているからそうなのだとしか言いようのないものなのだね。
このマフェトンメソッドで運動していると、一次元、二次元的に歪曲されていた周りの景色が、次元の様相を呈してきて、回りの草花、鳥にも目が行き、なにしろ、トレーニングが楽しいのだね。
足の着地やら、うんやら、かんやら、もうどうでもいい。このメソッドで運動している限り、トレーニングの楽しさは、いつまでも続くであらう。
GWの終盤、土日。
長めのマフェトンメソッドをして、阿須の運動公園のトラックで、その効果を試してみようと思ふ。

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2016年04月10日

マフェトン理論でランしたりサイクリングしたり

土曜日と日曜日、マフェトン心拍域でトレーニングした。

180マイナス年齢+5ということで、最大心拍域を131に設定する。

最初の15分は、徐々に心拍域を最大心拍域に上げていき、終わりの15分は、徐々に走り出す前の心拍域に戻していく。

とてもシンプル。

人間の体は、自然の権化といっていいほど、自分では制御出来ないシステムから成り立っている。

食事して、分子生物学的に栄養素を分解して取り入れるのを「自然に」体がやり通してくれている。この栄養素を取り入れないで、これだけを取り入れるなんてことは不可能だ。

しかし、呼吸と心拍数は、人間が制御できる数少ない機能である。

運動量が増えれば、呼吸も増え心拍数も上がっていく。

運動量を減らせば、平時の心拍数に戻っていく。

明滅するココロの動きを制御するのも呼吸と心拍数にかかっている。

こころと体が自分だと勘違いしている人は多いが、その心と体が自分であると認識する本当の自分には気が付かない。

その存在を人は神と呼んでいる。

そんな神の立場から心拍数を制御する。

自然に手を加える行為は、神の領域に近い。

心拍数や呼吸を制御するのは、神の園に近づくことだ。

だから、禅やヨガでは呼吸法を学ぶ。

自分のハードビートで走ること。

他人のリズムではなく、自分だけのリズムで、トレーニングをやり通すこと。

ここに、このマフェトン心拍域で運動する素晴らしさがあると思う。

他人のリズムで踊らされている人が多い中、自分のリズムを取り戻すのにも、このマフェトン理論は一役買っている。

それよりも、なによりも楽しいのがよい。

土曜日、心拍数130以内で賄いながら!ジョギングをする。

余裕な心拍数で、スマホから流れるロックの懐メロを歌いながら走ることが出来る心拍域である。

フォームを考え続けながら走る余裕もあるし、ふと夢のなかに入り込んで我を忘れる一時もある。

それでいて、20キロ走ったのだが、じわりと筋力が疲れる感覚もあり、それは、筋肉を程よくマッサージしながらよく使ったという感じで、実に気持ちの良いものだった。

日曜日、自転車で60キロ。

山伏峠という山岳道路があって、ここを心拍130で登る。

峠道なので、ちょっと油断すると、心拍がずんずんと上がっていってしまう。

坂の傾斜が上がるところでは、腹式呼吸で大量に息を吸い込んでおくと、ある程度心拍数が上がることを防ぐことが出来るようだ。

ぜいはあと息も絶え絶えな太った自転車乗りの3人抜かされてしまう。当たり前だが。

こちらは、時々、漕ぐことを止めながら、スタンドスティルといって、自転車に乗りながらそのままじっとして心拍数を下げたりしている。

何やっているんだろう?この人、的な視線を感じながら、抜かされていく。

君は、君の道を行き、僕は僕の道を行く。

僕は、またかつてのように、このマフェトン理論を今後何年か楽しんでいけるはずだ。

同じ道を同じ心拍数で走っていく。

僕の体の生理的反応が変わると、僕はそれだけ速く走ることができるようになるはずだ。

筋持久力のある筋肉を鍛え、細胞の中のミトコンドリアを大きくさせ、心肺機能を改善して、骨格筋を鍛え直す。

時間をかけてゆっくりとね。

この理論が一番僕にあっている。

運動するのが実にたのしいからね。

目標は、心拍数130で、平地ならキロ5分切る程度で走れるようになりたいね。そうなったら、きっと、サブスリーも夢じゃないだろう。

やれそうな気がする。

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2016年03月29日

こんな時は、ヨガしかないでしょ

手首の痛みが激しくなっている。これでは、自転車に乗る気分ではなく、足の裏の痛みも、朝起きた時限定だが、痛いので、走ることもままならない。

ならば、水泳・・・といきたいところだが、目の負傷があるし、行けば必ず、鼻風邪をひくので、プールで泳ぐのはやめたのだった。

運動的八方塞がり。何にもできん。

最近、はやりのアドラー心理学でいうと、現在の自分を規定するのは、過去におけるトラウマではなくて、目的であるという。

なんらかの行動には目的があり、その目的を達成するためなら、過去のトラウマ的な事実でも、体の不調でも、なにもかも援用するのであると。

現在の私に当てはめてみれば、運動したくないという目的のために、からだの不調を訴えていると解釈できようか?

本当か?

ハックルベリー・フィンの口癖で言えば、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。」

今朝、朝にトレーニングに出発するのをためらったのは、外壁のペンキの臭いで寝た気がしないし、喉は痛くなるわ、息苦しくなるわで、朝起きた時は、不機嫌そのものだったからであるのだが、あれ、これも、運動をしないことの理由に列挙しているんだろうか?

昨日のブログにも書いたけれど、もう一度、初心に帰ってみよう。

自転車に乗る理由は、何だったのだろうかと。

そうだ、禁煙をして、その頃、禁煙をすることによって、いくらお金をセイブ出来たかというソフトがあって、例えば、1日タバコを3箱買ったとして、1箱200円(当時)のハイライトを吸っていたので、1日600円が浮いたということで、その累積を表示してくれるのだった。

それで、2年間貯まったお金で、最初のロードバイクを買ったのだった。タバコで浮いたお金は『健康』の為に使おうと思ったから。

そうだ、これが原点なのに、とても、健康的ではない状態があるわけで、昨日の決心もあるが、そうだ、健康のために運動をしよう。

というわけで、体調は不良なのだが、iPod shuffleで、ドノバンの『サンシャイン・スーパーマン』を聞きながら、ヨガを丹念に施したのだった。これ、結構、楽しい。

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2016年03月23日

PanasonicのFRC

クロモリのバイクで初めて100キロ走ってみれば、のんびり走るには最高のものであることに気がついた。

トレックのマドンは、バイクに踏み込むことを命令されているみたいで、友達とだべりながら低速で走るなんてとてもだるくて出来そうにもなかった。勤勉さを要求され、セコセコとペダルを踏ませるバイクであった。のんびりと走るもんなら、体の接合部分のすべての関節が痛くなりそうで、踏み込みつづけることで、体とバイクとの友好関係が成り立つような、そんなバイクだった。


猛スピードで踏み込んだりすると、バイクがとても喜んでいるのがわかるし、長いツーリングに出て、足が終わってしまったら、とりつくしまもなく、フレームの不機嫌さが感じられてしまう、そんなアルバイトを要求されるレースバイクだった。

というわけで、僕のバイクの使い方には、あまり合わなかったんだろうね。抜きつ抜かれつのレースの遊びみたいなときは、ビューンと発射されたように前に進んだけれど。この快感は高性能のスポーツカーの快感とでもいうべきものでしょうか?
パナソニックの鉄のフレームは、スピードに乗るまではもたつくけれど、一度スピードに乗ってしまえば、スイスイ。リズムに乗れば気持ちよく走れるから、ツーリングにはピッタンコ。

スポーツの道具としても十分使えるが、人を楽しく目的地まで運ぶ為にはどんなものが要求されるのかといったところにも配慮のある、車で言えばルノーのような哲学を持った長い歴史を持つバイクなのでしょう。
アタックごっこみたいに、ズバッと瞬発力を活かして進むなんというのは、不得手であることは確かである。一拍遅れ続けて前に進む感じだから。だけれど、ブレーキ、アンド、ゴーみたいな走り方って普通はしないわけで、どちらを優先するかといえば、同じスピードで巡回する能力というのが普通は喜ばれるものでしょう。

一拍遅れて・・・というのは、ブラックミュージックのビートって、バックビートといって、ワン・ツウとツウのところに強調があるのね。
ブルーグラスとか演歌とかは、ワンに強調がある。
クロモリのフレームは、バックビートなのね。一拍遅れて不思議な所で自転車が前に進む。
クロモリレースバイクは、もういきなりワンで前に進む。
そんな感じでしょうか。

ところで、このクロモリの細めのフォークはブレーキかけると撓ってますね。ブレーキをかけると手元に曲がります。で、コワイかといえば、全然怖くなくて、フレーム全体と柔らかなハンドルでグニャグニャと全体で吸収しあってお釣りなしの処理をしている感じ。先端が寝ている形状なので、バネ状に跳ね上がってもいるのかしら?こりゃ、楽しいわ。

これで、13万円くらいなんで、割りと安めのフレームで、これだけ満足できるんだから、やはりクロモリはおすすめですよ。


ところで、5年前のタイヤは溶けていて、プラスチック消しゴムのように柔らかく、あっという間に摩耗していく。これじゃ、剣呑である。

というわけで、のんびり派、時々、スピードを上げてダウンヒルを楽しむ為には、最近流行っている700✕25Cの太めのタイヤを所望したい。

パナレーサーのグラベルとかいうのが良さそうなんだけれど、評判はどうなのかしら?

新たなLogicoolの無線キーボードの練習で長めの文章でした。あんまりタッチが良くないな。配線はすっきりするけれど。

posted by ロビオ at 14:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月11日

黒のニットタイ

青と黒の細いタッターソールのボタンダウンシャツに、臙脂のヴイネックのセーター、そして、ヘリンボーンのハリス・ツイードを着こんだのはいつもの仕事スタイルだけれど、クリケットの黒いニットタイを締めたのは、今日が3月11日だからだ。

あれから5年。

僕の中で何かが失われてしまったあの日の後の原発事故。

巧妙にそして清潔に焼却されてしまったか、瞬間冷凍されてしまったかして、その失われてしまったものが一体何なのか、その正体すら見つからないのだけれど。

今日は、その弔いの日にふさわしい。

テレビは見ないので、ラジオを聞いている。経済評論家が日々様々なコメントを出している。

経済対策も大切だろうが、それはあまりにも白々しいのは、ジェイムズ・クラムリーの『ファイナルカントリー』という優れた小説の中の引用、

政治は富める者が貧しい者たちを相手に演ずる残酷な詐術に似ている

というように、一体全体誰のための経済政策なんだろう?

あの原発事故の日、炙りだされてきた日本を牛耳るエスタブリッシュメントの面々、マスコミを含む甘い汁を吸うために群がる人たちが明らかになった。

誰もが民主主義という全員参加のゲームの中で、ボールは彼らのサークルの中だけで回されて、自分らには永遠にボールは回ってこないという確信を得たのではないか。

そういうことを忘れたかのように、株価の上下に翻弄されて、将来の不安を感じさせられながら、世界は動いている。

人は一人では生きていけないのは事実だろう。

しかし、電力会社に生殺与奪権を明け渡して、いつ輪番停電のような脅迫に満ちた暴力に晒されないとも限らないだろう。

自給自足的生活。

脅しに屈せず生きていくためには砦としての自分の家、食料の確保としての畑、エネルギー源としての自然材があれば安心である。

そして、そうした半ば自足できている人たちが、小さな共同体の中で融通し合い、地産地消的に消費していけば支えになるだろうし、そうした小さなコミュニティから生み出されたものは、どこにだって受け入れられる可能性があるのではないか。

いわゆるグローバリズムというのも、もともとはローカリズムに過ぎなかったのだから。

改めて、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』に書かれているように、小さな共同体で豊かな生活を送れるように、身近な環境にどれだけ素晴らしい鉱脈が走っているのか、自然と直接的な関係を取り戻すことの重要性を再確認したいと思う。

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2016年03月09日

英語長文問題精講は読み物としてもとても有益だ。例えば、

The bright child is curious about life and reality, eager to get in touch with it, ebmbrace it, unite himself with it.

利発な子供は人生と現実に対する好奇心に富み、熱心にそれと接触し、それを抱きしめ、それと一つになろうとする。

これは、John Holt という人のHow children failという本の中の一文である。

これまた、原仙作の『英文標準問題精講』に匹敵するような素晴らしい英文の宝庫である問題集『英語長文問題精講』中原道喜著のなか課題文からの引用である。

この一文はなにかとても重要な人生におけるヒントが隠されているような気がしている。

自分の現実や人生しか生きられないはずなのに、そいつから逃れる態度は、もはや、自分の人生や現実をつかみとっているとは言えないはずだ。

アップルの創設者が愛読したオリゲン・ヘリゲルの『日本の弓術』の中では次のような文章がある。

「私は的が次第にぼやけてくるほど目を閉じる。すると的は私の方へ近づいてくるように思われる。そして、それは私と一体になる。・・・

的が私と一体になるならば、それは私が仏陀と一体になることを意味する。

そして、私ば仏陀と一体になれば、矢は有と非有の不動の中心に従ってまた的の中心にあることになる。矢が中心にある・・・矢は中心から出て中心から出て中心に入るのである。

それゆえ、あなたは、的を狙わずに自分自身を狙いなさい。」

人生や現実というもの自分と対極にあるものと考えているうちは、それは人生や現実と呼べるものではなく、それは存在しないもので、それと一体化することにより、自己は自己として自己回復できる。なぜならば、人生や現実を包摂していない自己というのは、本当の自己とは呼べないから。

こうした態度で過ごしている人は、多分、傍から見ると、困難な状況にあっても、その困難を困難な状況とは思わず克服してしまう人なんだろう。

僕の中のタオのイメージもこんな感じである。

タオに一体化することによって、主観も客観も超えたリアリティを獲得して、自然の流れの中に紛れ込んでいる自分を発見するというような。

まだまだ、語り尽くせないけれども、こんなことを考えるきっかけになる名文が満載のこの大学受験用の問題集は優れている。

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2016年03月04日

アドラー心理学『嫌われる勇気』の続編『幸せになる勇気』も素晴らしい本でした。

昨晩は、夜遅くまで某所で会社法について喧々諤々議論をして会議終了。

久しぶりに勉強の世界の中で、半ば忘れていた会社法の定義とかを、脳味噌の奥の奥から取り出した。

不思議な事に、こういう場になると、定義がちゃんと出てくるんだねえ。自分でも驚いたわ。

これも、基本ができているから、新たに生じた問題をあれこれ知識を総動員して、解決策を講じることが出来るんだね。

東大首席卒業生の勉強法の本を読んで、ああ、なるほど、勉強はし続けないと・・・というか、目的意識をもって、身につく勉強しないとなあ、と感じいったので、今日からココロを入れ替えてまた勉強してみよう。

ベストセラーになった『嫌われる勇気』という本は素晴らしかった。

メモを取りながら、1年ほど前ふむふむと2度ほど読んだ。ニーチェが本当の姿の世界を痛烈な言葉で露呈させるのと似て、めくるめく新たな世界が眼前に現れてワクワクした。

けれども、どんなことが書かれていたかと思い起こせば、まったく心もとない。

というのは、その続編『幸せになる勇気』という本を手に取り、躊躇なく新刊を久しぶりに買って、その中で、前作で触れた箇所が何回か出てきたのだが、その記憶は曖昧なのであった。

アドラー心理学、素晴らしいです。

心理学というより哲学に近い。

ソクラテスが、問答形式で、我々が知っていると思っていることが、実は、全くわかっていないことを明らかにするように、はっとすることがかかれてある。

ところで、僕が唯一楽しく読める哲学書がプラトンとニーチェ。

プラトンは文学書みたいだし、ニーチェは、自分が3歳から幼稚園くらいに大人に感じていたことを思い起こせば、そのとおりと納得できる。

どちらも、わかりやすい日本語で書かれている。時に読み返し読んでいるけれども、その場その場で、なるほどと、頭の中でソクラテスやニーチェの言葉を理解しているのだが、読み終えてどういうことを本当は言っていたのか、ということを反芻すれば、ほとんど頭に残っていないんだな。

まずは、きちんとその理論を、理由を理解しよう。そして、反芻しよう。

読書というのは、その作者の考えを自分の頭で再現させる作業で、決して自分で考えることではない。作者の考えを自由に自分の頭の中から取り出すことが可能になって初めて、その考えが自分にとって役立つことになる。そうなってこそ、有益な読書になるのであって、振り返ってみると、そういう本というのは、何冊あるだろうかと数えると心もとない。

この歳になると、広く浅く読むよりも、狭く浅く徹底的に精読することが大切になってくる。

一事が万事。こういう態度で、知識を吸収し、それを基礎に自分の意見が言えるくらいに勉強しないとね。

というわけで、何度も読みますよ、自分の言葉でアドラー心理学というものをうまく説明できるぐらいに。

こういう態度が今年の課題。基本は繰り返し繰り返し練習するということだね。

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2016年03月03日

東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

東大首席弁護士が教える超速「7回読み」勉強法

という本を読んだ。

作者は、猛勉の挙句、国立の高校に受かって、東大に現役合格し、在学中に司法試験に合格し、主席で東大を卒業し、子供の頃からの夢であった大蔵省の官僚になるものの、2年で退職し、会社法務の弁護士事務所で弁護士登録し、今に至るという経歴である。

勉強法については、これが王道でしょう。とやかくいうことはない。

とにかく、参考書等を7回は読めということ。

僕が書いても、全く説得力がない。

こういう輝かしい経歴があるからこそ、この本はよく売れた?に違いない。書かれていることは、本当に勉強法の王道であるにすぎないのだから。

ぼくも、資格試験を受けた時は、7回と言わず20回以上、分厚い過去問を馬鹿のように解き続けたし、条文も受験科目は暗記するほど読み込んでいた。

だから、この勉強方法が最適であるということは自信をもって言える。

勉強は繰り返しである。読むごとに、読解力を掘り下げていく。そうこうするうちに、その本は、自分の血となり肉となり、その本に書かれていたことからの応用も効くようになっていき、その本に関する議論も人と出来るようになる。

この本は「勉強法」としての本の役割は200%果たしていると思う。皆、勉強を始めたいと思っている人は、一度読んでみるべきであると思う。

感銘をうけたのは、この作者の人生である。

なにゆえ、夢だった大蔵官僚を2年で辞めたのか・・・というところが少し気になるが、一点の曇もないわかりやすいエリートである。

また、高校試験、大学試験、司法試験、国家公務員試験と、勉強して合格すれば手に入る地位にそのまま着いているというのが味噌。

これほどまでに、わかりやすい経歴はありますまいて。

すなわちそれ故、人生は勉強次第でどうにでもなりそうであるという感覚がこの本の通奏低音に響いている。

ふ〜ん、こういう人がいるんだ・・・。ある意味とってもわかりやすい漫画のキャラクターのようなもので、それが実際に、現実にいるということに本を読んで驚いたのだった。

官僚やら、大手の(多分)法律事務所でのサラリーマン弁護士とか、東大首席で卒業するとか、ほとんど、その立場にいることさえ、ぼくは御免被りたいけれど、こうして、前へ前へと進む原動力はいったいどこにあるのだろうと、ふと考えてみたのだった。

人生は、試験に合格すれば道が開かれる・・・ということもあるだろうが、そうでもないこともきっと多いだろう。実際、大学に受かってから、資格試験に合格してからの人生のほうが、長いだろう。

個々で思い出したのが、森鴎外の『青年』からの一節。

一体日本人は生きるということを知っているだろうか。小学校の門を潜ってからというものは、一しょう懸命にこの学校時代を駈け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。

この本を読んで、寒々しいと感じたのは、こういう、生活の在というものを感じたからにほかならない。

試験に合格することによって切り開かれたと思う人生、試験に合格すれば手に入ると思わるる人生、そういう人生が試験に合格することによって予定されていると考える人生、そんな風に著者は考えているのだろうか?

生活が不在しているから、合格して手に入れた地位というのは、不毛としか言いようのないものだ。

不毛な人生は、また、新たな目標を見つけることを要求するから、試験というものが、人生そのものだと考えていくしかない。

試験に受かるということは、それまでチャレンジしていた立場がなくなって、人生が平板になるということだ。

自分に一体化した人生というものがない人は、何らかの形で人生を作り出さなければならない。

通常、人は、人生と一体化し、それを酸いも甘いも味わい楽しんで、付け加えるものは必要ないはずだ。

人生とは試験に合格することだというふうに考えてしまう人生は、その過程よりも結果だけを求めるから、自分自身の存在理由が欲しければ、また、何かのチャレンジをして、人生に彩りを加える必要がある。

新たに何かをチャレンジする。そして、いつしか、手段が目的となってしまう。

大蔵官僚時代に、上司からの質問とか、上司が要求するものに応える技量というものも、試験と捉えて、シノギを削っていく姿は痛ましい感じがしたのだね。

勉強は楽しくないと彼女は言う。

試験に合格するためには我慢しなければならないもの、それが、勉強だという(多分)。

その試験に合格するという結果だけを求めるというのは、これつまり、サラリーマン社会の競争みたいで興ざめしたんだけれど、僕の受験時代でも、早めに受かった人というのは、こんなふうに効率よく、理解できなくても、点数が取れればいいじゃないのと勉強を進められる人が多かったような気が。

僕は、初めて、試験勉強を本格的に一生のうち一度だけやったんだけれど、効率的に勉強するにはしたけれど、法律という勉強も楽しかったから、あまり他の受験生が読まない学者の本をウンウン唸りながら読んでいた。

そうこうするうちに、法律というものの面白さがわかってきたのは事実であって、未だに、法律の体系書を読むのは好きである。ああ、法律を嫌いにならなくてよかった。

調べたところによると、この方は、テレビの出演も多く、有名人にもおなりになったようだけれど、この方のこれからの人生、先が危ういなあ、と感じたりしたのでした。

というわけで、この本は、あらゆる受験生を対象にした本で、作者自身の人生論ではないので、こういう驚き呆れたという負の印象を書くのはどうかと思うのに加えて、私、この本、1度しか読んでおらず、表題のごとく7回読んでおりませんので、私がこの本で感銘を受けた店に関しては、大いに勘違い等がありますゆえ、その点、ご勘弁を。

 

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2016年02月24日

クロッカスが咲きました

昨晩、寝床で俵万智の『サラダ記念日』を読んでいて

「クロッカスが咲きました」という書きだしでふいに手紙を書きたくなりぬ

というのに感心していたから、畑と道路の境界に植えられた一列のクロッカスが芽吹いるのに目が惹きつけられたのに違いない。

朝のジョギングコースの家庭菜園に近いような小さな畑にそれは芽吹いていた。

ちょうど首と肩を両手で持ち上げながら穴からようやく出てきたかのように芽を地上にもたげた姿が春到来の目印のようだった。

こういう短歌を知らないでいるときは、クロッカスの芽吹きはクロッカスの芽吹きであるにすぎないのだけれど、知っていると、この歌に共感したココロがクロッカスを包み込んで、なんらかの意味をクロッカスに投影している自分に気がついてしまう。

僕がクロッカスを見つけたのではなく、クロッカスに僕が見つけられたのだという感覚がある。

クロッカスが咲いているのを見て、言葉にして「クロッカスが咲きました」と心のなかで唱えた時に出来上がった、花が咲いたという春の高揚した気分が「クロッカスが咲きました」という言葉に取り付いた言霊となってしまった以上、それは、どこかへ送り届けなければならない。

ところで、この歌の作者は誰に手紙を書きたくなったんでせうね?

「ふいに」っていうから、恋人とかいう熱い関係の人ではないでしょうね。

遠くに引っ越して最近音信が途絶えがちの親友とか、少しだけ好意を持っていることにふと今手紙を書きたいなと初めて気がついた異性なのかしらん。

クロッカスが咲くというのは春の始めの淡い季節であるから、ジャンパーのチャックを少し開いて散歩するような開かれた感じがとても良く出ているよね。

また、電話でもメールでもなくて手紙というところもいいね。改まった距離感があって。

まだまだ風は冷たいのだけれど、走りながら取り入れる空気の中に鼻孔を微かになめらかに濡らす湿気が感じられる。僕が体感する春の感覚とはこういうものだ。

けれども、体は、冬にまだまだ武装解除しておらず、走り始めてすぐに、全腓骨筋が固まり、次いで、脹脛が張ってしまって、体が重いのなんの。久しぶりのダメダメの走り。

体の動きは精密で、ちょっとした狂いで、修復ができないほど動きが乱れてしまう。

昨日は軽快に走れたのが、翌日にはこのありまさだ。

今の日本の状況のようにちぐはぐな体を持て余して、走っては歩き、歩いては走って、小一時間の運動にもならないジョギングをしてきたのでありました。

まあ、こういう日もあるだろう。

明日はきっと軽快に走れるさ。

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2016年02月22日

蔵で麹菌採集とはこれ如何に?

午前中は、ロードを30キロ走って、午後は借りてきたDVDで映画鑑賞しようと思っていたら、所沢の知り合いのファームで行われる味噌作りのワークショップのスタッフの数に入れられていたことが判明して、急遽、車を飛ばして出かけていく。

妻だけがスタッフに勘定されていたと思ったら、夫婦で入っていたというわけ。

味噌作り・・・簡単である、ちょっとした事前準備の手間はかかるけれど。

けれども、一人では味噌作りに不安を覚える人も多いらしく、30名ほどの参加者である。

味噌の素材である大豆、それに、麹を付着させる玄米も、この農園で無農薬無化学肥料で作られたもので、さらに、その玄米に麹菌を吹き付けて、米麹も自前のもので、味噌作りをするので、なんとも贅沢な味噌なのである。

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大豆は、煮るのより蒸すほうが味がいいね。しかし、大豆と麹を混ぜ込んだ時に調整する大豆の煮汁が蒸かした時にはでないから、悩むところではある。

というわけで、今日の味噌のワークショップでは、大豆を蒸かしたのと煮たのとを半々にして混ぜて作ったのでありました。

日本の麹食文化は素晴らしい。

日本酒、酢、味醂、醤油、味噌。日本食の中枢部分を占める調味料の殆どは麹から出来上がる。

麹とはカビの一種であるのだけれど、じゃあ、どこに存在するのかといえば、そこら中に存在するのだから、これまた素晴らしい。

僕も、先日、市販の麹菌の粉を蒸かしたうるち米に混ぜ込み、ヨーグルトメーカーで麹米を作ることに成功し、今、そいつは、黒酢になるべく酢酸菌を吸収しながら玄関の隅で順調に育っている。

市販の麹のたね菌を振りかけて麹米を作るのは、手間ひまかければ、誰でもできることなのだが、世の中には変わった人がいて、そこら中の空気中にさまよっている菌を採取培養して、麹をつくる輩もいて、これは、実に素晴らしいことなのではないかと感心したので、僕も作ってみようと思ってしまった。

椎木に椎茸の胞子が入っている栓を打ち込んで椎茸をつくるのではなく、椎木を椎茸の菌が舞ってそうな場所に置いて自然に椎茸を育てようというような・・・といったらわかりやすいだろうか。

ものの本によると、蒸かしたご飯を竹のザルにいれて、そこら辺においておくのだそうで、うまく行けば、麹菌の白カビが生えるのだそうだ。

そして、その麹菌が生息し繁茂しやすい場所は、木や土で出来た昔ながらの古民家などがいいらしい。

あの湿ったカビ臭いような醤油や味噌の臭いの染み込んでいるようなウエットな日本家屋の香りですよ。

わが家も木と漆喰だけで出来ている家だから、たぶんたくさん麹菌が飛び交っているような気がするが、古民家と書いてあるのを見てピンときたね。

妻の実家の蔵ですよ。湿った香りのするやや重ったるいとろみの付いた空気感がなんとも、麹菌が潜んでいる感じがするじゃないの。

というわけで、近日、麹を培養する作業をする予定。

う〜ん、ディープな趣味だこと。

好きなことやっていると知らぬ間に自分一人が高みに立っていた・・・そんな気がする。

そんな、本当の天然の麹でパンを作ったら、これまた、オリジナルなパンが出来ることでしょうよ。

高みを目指して頑張るのだね。頂上は、すぐそこまで見えている、今が一番傾斜のきつい辛いところ・・・てなもんで。

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2016年02月20日

雨の降らぬ間に

雨の降らぬ間に毎週恒例のトレイルを走ってきた。
春めいてきたのか、ジョウビタキ、ホオジロ、キクイタダキ、シジュウカラ、メジロなどのお馴染みさんとご挨拶。
シングルトレイルでは、今日も、イタチが横切った。
先週は、目の前にいたヤマバトに何かが乗しかかったと思ったら、小型の猛禽類で、引きずりながら見えないところまで引きずっていった。
かなりワイルドな世界にいるのだな。
久しぶりに裸足系のMERRELLのシューズを履く。軽さは命。この裸足系シューズの軽さというのは、他に替えられないものがある。
走り方には、二通りあって、着地の瞬間に膝が曲がって、ショックを吸収して、地面を押した反動で体を前に進めるのと、着地の瞬間に体を伸ばすようにして膝を曲げずに骨盤で乗り越えるような走り方がある。
そんな走り方を本で読んだりすると試さずにはいられない。
今日は、後者で練習する。
毎週末のこのトレイルランでは、平地では、キロ5キロ以上のスピードで、心拍数は160を下回らないように調整して走っている。
リディア−ドの「鍛えよ、しかし、無理はするな」ということの実践だ。
だから、結構辛い。辛いから、楽な走り方はないのか色々試すのだ。
ランナーは皆、速く楽に走れる走り方を探し求めているのだが、速く走れる走り方というのは、速く走れる間だけ有効だということは真実であるということ結論としてを書いておこう。
走り終えて、雨にも降られず、うん、楽しい2時間だった。
2時間というのが、集中できる運動時間の最長ではないだろうか?
そのうち、8時間以上の運動も加えていくつもりだけれど、今は、こんなところで、十分満足している。
家について、シャワーを浴びたら、猛烈な空腹感が。
何を食べようか?
小島農園さんからいただいた自家製の納豆があるじゃないの。これに決めた。久しぶりの白米にこれは合うはずだね。
デザートには、自家製の豆乳ヨーグルトに、妻が昨日作った八朔だの夏みかんだのネーブルだのレモンだのの皮で作ったMarmaladeを載せて食べよう。
最高の贅沢だなあ。トレイルランとその後の昼食。
炊飯器は今湯気を吹き出して白米をタイている所。早くご飯できないかなあ。
写真は、そのMarmalade。
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2016年02月18日

ショコラ

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フランスから届いたカズナーブルというチョコレート。

いかにもフランス的なのは、そのパッケージの色使い。

赤色裸電球の下で撮影したから、色がくどくなっているけれど、実にあっさりとした爽やかな色なのだ。

映画の『アメリ』的な色彩と言おうか。

10種類の味が楽しめるのだけれど、基本は、70%カカオ成分のほろ苦い味がベースとなって、そこに自然の香料が混じってる。カカオ成分100%なんているものもある。

銀紙に包まれたチョコレートを取り出すと、いかにも手作りで型に入れましたといった風情の磨かれた褐色のチョコレート板が現れる。

昨晩、食後に二かけら食べたのが黄色のもので、黒シナモン味だという。

微かにシナモンの香りがする。

高級なチョコレートで、1枚の値段で明治チョコレートが20枚買うことが出来る。

このクラスのチョコレートは、少し食べただけで、満足できる味わいがあるから、普通のチョコの20倍の時間をかけて食べればいいのだ。

だから、家では、二かけらほどを、食後のデザートとしてコーヒーと一緒に食べる予定である。

最近、代々木上原を散歩していたら、新しく出来たチョコレート屋があった。

高級チョコレートが小さな店の中に置いてある。どれも、高級で、今日することのテーマの一つとしてチョコレートを食べることが優先順位の上位にあるという時か、チョコ好きでこれらのチョコの価値がわかる友人知人に贈り物をするという場合でないとなかなか買う気にはならない。

ところで、チョコレートの原料であるカカオの産地は、赤道のベルト地帯のアフリカ、東南アジア、南米である。コーヒーの産地と似ているのかもしれない。

カカオの味も、コーヒーと同様、苦味をベースとして、酸味、甘みというものが強くその味に彩りを加えている。

コーヒーとカカオはとても似ている。

コーヒー好きは、きっと、チョコレートが気に入るはずだ。

コーヒー好きの日本人には、きっと、ショコラも同様、高級チョコレートに関して潜在的な需要があるはずだ。

口の中に少量のチョコレートを入れて、体温で溶けていくチョコの複雑な味を感じ取り、記憶にとどめておくということが、これからの「チョコレート人生」の楽しみを深めてくれるだろう。

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2016年02月13日

小島農園産の全粒粉パン

小島農園さんの全粒粉と北海道と九州の国産小麦をブレンドしてこれから焼かれようとするボクのパン。
3日前に庭の松の葉(放射能測定済み)で酵母をおこして、今朝はそのできたてのフレッシュなパン種でパンを焼こうとしているのです。
これは、贅沢なパンですよ。
小島農園さんの畑で籾を撒いた時からを考えると、ここでパンができるまでに、丸一年はかかっているのだから。
そんな手間隙をかけたパンがこれから焼かれようとしているのですよ。言うなれば。
水を十分に蓄える性質が小島農園の全粒粉にはあるようで、パン・ド・ロデヴとフランスパンの中間くらいの過水状況なので、フランスパンを焼くようにクープを入れて焼く予定です。
う〜ん楽しみだ・・・といっても、すべて行き先が決まっているから、ボクが食べることはできないんだけれど。
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2016年02月11日

初IKEA








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初めて、IKEAに行って、その大きさに唖然とした。
開始時刻30分前に到着して、サービスのコーヒーを飲みながら、シナモンロールをパクリ。
北欧風コストコ。
暴力的な商品の氾濫にびっくりした。
昨晩に新たに作り始めた松の葉のパン酵母は、順調に生育して、明日から、フレッシュなパンが焼けそう。



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2016年02月05日

ささやかだけれど役にたつこと

ブラックコーヒーと焼きたてのシナモンロール。
数あるコーヒーとの組み合わせで、これを超えるものはないのではないだろうか。
一連のシナモンロールの動きも、ここから始まったわけだし。
そういえば、レイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役にたつこと』という小説で、シナモンロールが子供を失って悲嘆にくれている夫婦が、人生に対する前向きさというものを取り返すための、ささやかだけれど役に立つものとして描かれていた。
おいしいものを、たべること。これは、実に、ささやかだけれど、役に立つことだということを忘れまい。
そういうささやかな楽しみ事に支えられながら、日々をなんとか乗り越えていっていることを忘れまい。


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Be on the cutting edge

周りのことに気をかけず、ただひたすらに好きなことをやり続けて、ふと立ち止まってみたら、だれも到達していない高みにたどり着いてる自分に気がついた。
そんなことを夢見て、今日も、走り続けるのだよ。
たしかに、時代の最先端、あるいは、最後尾にいるのかと、こんな雑誌を読んでいて思った。
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