2012年05月14日

ビスの穴の跡まだくっきり

先週の金曜日に最後の診察ということで整形外科病院を予約したのだけれど、仕事が重なりキャンセル。

今日にずれ込んで、診察を受けた。

2ヶ月ぶりの病院だが、あいも変わらず、埼玉県西部地方で、あっちで「ボキッ」こっちで「グキッ」と軽やかな、あるいは、湿った音で骨を腱を筋肉を損なった故障者が病院に多数集まっており、18時30分の予約が8時まで待たされたんだけれど、持参した村上春樹の最新作とは呼べないが近刊の「1Q84」を読んでいたので、それほど不快には感じなかった。

本を買えない状況が続いていて、本は公共の図書館で手にすることが多いのだけれど、この大ベストセラーは図書館でも予約者100人を越していて、こりゃ駄目だと諦めたところ、文庫本も出て、落ち着いたのか、最近予約してすんなりと手元に回ってきたのだった。

2009年5月に発売されたから、ちょうど3年待ったということか。

同じような構成の小説に「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」というのがあったけれど、こちらよりも、伏線があれよあれよとつながっていって、「ねじまき鳥」以来の、その場の思いつきで物語が紡ぎ出される感がなきにしもあらずだけれど、その世界にどっぷりと浸って、久しぶりに楽しい読書体験をさせてもらっている。

というわけで、本を読み読み診察の順番を待っていたら、レントゲン室に呼ばれて、手術後約2ヶ月ぶりの写真をとったのだった。

そして、その写真を見ながら、医師の診察を受けたのだけれど、順調に穴は埋まっているとは言われたのだけれど、写真に写ったボクの骨折箇所に打ち込まれたビスの跡が、まだくっきりと浮かんでいるじゃないの。

骨に埋め込まれたネジの渦巻き模様までくっきりと見て取れるほどリアルなレントゲン写真。

多少のショック。2ヶ月くらいじゃ、穴は埋まらないようだ。

先生に、どのくらいで埋まるのかと聞いたら、6ヶ月から10ヶ月だとの答え。

自分の頭の中じゃ、すっかりと、穴は埋まって、元の骨に戻っていると思っていたから、がっかりしたというわけだった。

まだ、激しい運動はやめたほうがいいらしく、まあ、骨に穴が開いている訳で、その分強度が損なわれているというのがその理由なのだけれど、もうしばらく、運動は自粛しないといけないのね。

はやく、100%の力で運動したいもんだぜ〜。

また、4ヶ月後に、診察に来てくださいというわけで、9月頃、つまり、ボクが左足首外踝骨折した時より、きっかり1年後なのだけれど、その時に、完治したという事になりそうである。

骨折も完治するのには時間が掛かるなあ、といのが率直な今の感想。

posted by ロビオ at 04:21| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

抜糸でホッ

整形外科病院で、抜糸したのは、3月3日。

殺菌されたハサミを袋から取り出して、肉と糸の間にハサミを挿入して、プチっプチっと切る。チクチクと痛みが少々。

ピンセットで、糸を摘まんで抜く時に、肉も一緒に摘むからだと思う。

巾着で縛ったように萎縮していた傷口が、元に均(なら)されて、突っ張った感じがなくなったのはいいことだ。

どうやら、我々が布を縫うみたいにはなっていないようで、一針一針が円で閉じられているようなものになっている。

糸のリングで肉の切れ目を一針一針縛っている形。ピンセットで摘まれた糸は、視力検査の◯の上下左右どれか一つに切れ目のあるものと形が一緒。多分、手縫いじゃなくて、こういう器具があるんじゃろな。

傷の周りは、内出血しているみたいで、青くなって、押すと痛いのだけれど、切る傷は小さいほうが炎症も黴菌も入らないので、なるべく小さく切って、あとは、器具でもって、大きく傷口を広げるので、その時の痛みっていうのもあるのかもしれない。

2週間、患部は洗っていないので、余分な皮脂(垢ともいう)が雲母のように波打つようにテカテカ光って、まあ、不潔。

片足を風呂桶から出して、体を沈めて入浴していたのだが、これが、一歩間違えると、尻が滑って、顔が浴槽に落ち込んで、溺れる恐れもあるから、命がけだった。

ご褒美がもらえる犬のように、目を輝かせて、「これで、風呂も入れますね?」と聞いてみると、「あと、二日後に来てもらって、傷口がしっかり閉じたかどうか調べてからです」というので、がっくり。

二日後の3月5日。

「傷口検査」のために、通院。

アルコールの入ったガーゼをを傷口に塗りたくって、ボクの顔を見ながら「痛みや染みるところはありませんか?」と先生に言われて、もちろん、「大丈夫です」と答えて、風呂の許可が出る。

顔を見ながら、傷口にアルコールを塗っていたのは、オレのことを信用していないからだな。染みていても、「大丈夫です」って言うもんな、オレ。

やったねえ〜。こうやって、煩わしさが一つ一つ無くなっていくのが、骨折したときの密かな愉しみ。

これで、ようやく、病院通いともおさらば!

と思って、「これで、通院終了ですね?」と尋ねたら、「1週間後に、骨の様子を見てみますので、通院してください」ですと。

これまた、がっかり。

家に帰って風呂にはいる。

両足を湯船に入れて入るのは、久しぶり。

傷口をゴシゴシと指の平でこすると、まあ、取れるは取れるは、垢が消しゴムのように丸まって捩れながら。

骨折当初、3週間くらいギプス生活していた時ほどじゃないけれど、相当な垢がとれましたとさ。

ゲジゲジ模様の傷口の後に溜まっているカサブタを、ふやかしながら、人差し指の爪を立てて、ほじくり取るときの、愉しさというのは、久しぶりに味わうもので、後ろ向きの快感とでも言おうか。

傷口には、滅法効くという「枇杷の葉のアルコール漬け」したエキスを、傷口に塗りたくったら、翌日、黒ずんでいた傷口の色が薄くなっていた。

これは、劇的に効くので、わが家の裏庭のビワが早く成長してくれることを楽しみにしたい。

というわけで、まだ続く通院生活・・・。

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2012年02月26日

抜釘手術後1週間

順調に抜釘手術ごの経過は良いのだけれど、内出血しているみたいで、全体的に青かったりする。

早く抜糸できんかね。そうすれば、風呂も片足上げて入るような真似をしなくて済むし、運動もできるしね。

 

 

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posted by ロビオ at 10:56| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

抜釘手術(外果骨折編)

左足外果骨折のプレートの抜釘手術を受けてきた。

17日の夕方入院。

予め4人部屋がふさがっているときには、2人部屋に入ることもありうると言われていたが、その二人部屋に案内される。

差額ベッド代1泊につき3,000円むしり取られるのが、二人部屋。一人部屋だと6,000円だったか。なるべく避けたいのだが、人がいっぱいならしょうがないだろう。

差額ベッド代のかからぬ4人部屋が空いたらすぐに部屋を交換するように要望を伝えておいた。

二人部屋とは言うものの、物凄く狭い。差額ベッド代なしの4人べやのほうがよっぽど広い。これで、差額ベッド代を取られるのは、あんまりだ。

二人部屋のカーテンで隔てられて寝ているもう一人の患者は、ご老人で眠り続けている。

看護師からの会話で、股関節骨折をしており、手術をしたいのだが、レントゲンの結果、肺炎を併発しているため、なかなか手術をすることができないでいる。

肺炎なので、咳き込む。

最初は、音もせず呼吸をしていて、そのうち、かすかな寝息。そのうち、寝息が激しくなり、いびきと言っていいくらいの大きな寝息になり、その音がクライマックスに達した時に、痰が喉の周りを飛び跳ね始めて、それと同時にゴホンゴホンと咳き込んで、静かになる。

そして、また、最初に戻る。というのを、延々と繰り返している。おおよそ、ひとサイクル10分くらいだろうか。

見事に、同じように、静かな寝息、イビキ、痰の絡み、咳き込みという4つのサイクルが延々と続くので、次の展開が読めて、こちらも、息苦しくなったり、絡んでもいない痰を切ろうと咳払いしたりする。

神経が消耗する。

眠れない。困った。夜が長い。

落語をMp3にしてたくさん持っていった。

桂枝雀に、志ん朝、志ん生。林家正蔵改め彦六等々。

ヘッドフォンの音量を越えるイビキや痰の絡まりが聞こえてくると、もう落語も集中して聞くことができない。

参ったな、こりゃ。

着いてそうそう、看護師さんに、点滴用のチューブを腕に挿し込まれる。

男の看護師さん(男は看護師、女は看護婦とかけば、「男」のとか「女」のとか書かずに済むのに、面倒な世の中になってきたなあ)が見事に失敗。まったくもお。2度目で何とか成功だが、なんか鈍痛、じんじんと痛むわけよ。もう1回やるのも嫌だから我慢しておく。

早速、ブドウ糖の点滴だ。冷たいブドウ糖液が、静脈から体の中に注入されて、体が冷える感じがする。

トイレにいくときも、点滴台を引っ張りながら、用を足しに行く。ほんと、間抜けな姿だよなと、鏡に映る自分を見て思う。

明日の朝、10時に手術という確認を受けて、その日の夜6時に食事をし、夜9時以降は食べ物駄目。12時以降は、水も駄目。

夜8時に浣腸。

そして、その頃、主治医の先生にご不幸があり、明日の早朝、病院開院の前の7時30分ごろから、(ボクのあんまり信用していない)先生が代わりに執刀する旨の知らせがあって、愕然とする。

おいおい、そんな早朝から手術ってありかい?

そもそも、今回の抜釘手術は、2月始めの土曜日になされる予定が、連絡ミスで、すっかりそのことを病院側に忘れ去られて、急遽、今回の日程が決まったもので、いつでも、すったもんだしている病院ではある。

なんか、ないがしろにされている気分横溢する。

病院だからといって、信用してはならない。

じゃあ、このまま退院する!と暴れてもしょうがないと諦め、運を天に任せて、則天去私と漱石先生はよくぞ言ったもんだ。

智に働けば角が立つ。情に棹を挿せば流される。ともいったな。

そもそも自分でコントロールできるものなど本当は何もないのだ、ということをしみじみと味わいながら、ゴホゴホサイクルに夜も眠れず。

どうにかコントロールしようと思っている魂をなだめすかして、手放してしまうと気分も楽になる。

あとは、流れるように流れるまで。自分の運命というものがどうなるのを楽しみに見届けることにする。

けれど、本は集中して読めた。

あなたに不利な証拠として」というハヤカワ・ポケット・ミステリの評判の良かった推理小説?を読み終える。純文学と推理小説の境目がなくなってしまって、ピューリッツア賞受賞の「ザ・ロード」というのも読み終えたんだが、さて、どちらが出来がいいんでしょう?と思えるのだ。

隣の患者さんは、肺炎を直さないと手術ができないんだけれど、栄養が必要で、食事は必須なのだけれど、全く食欲なく食べられない。要監視の患者さんなんだろう、高齢で、寝たきりで、食欲なしで、骨折患者だから。

スタスタと看護師のスリッパの音がひっきりなしに部屋に近づき、世話をして、また離れていく。慌ただしいったら無いし、体温が38度を超えたらしく、さらに状況は慌ただしくなり、ますます眠れない。

翌朝、手術の日。

眠れぬ夜だが、夜の明ける頃、うとうとしていたら、6時頃起こされて、手術用の寝間着に着替え、フンドシ(正式名忘れた)を履き、頭にキャップ、口にマスクという出で立ちをして準備完了。

昨晩は、主治医が手術を受け持つことができないという話だったが、事情を本人から話したいので、代替の先生と一緒にオペ室に来るという話に変わっている。

手術台で寝転んで、女の看護師さんと雑談して寛いでいたら、当初の執刀医が担当する話になっていて、結局、当初の予定通り(手術時間は10時から7時30分に変わったけれど)行われることになって、ホッとする。

不本意な手術というのはやはり、抜釘手術とはいっても受けたくないもんである。

そして、看護師さんに、前回の脊椎注射が効かなくて、2本目にようやく効いたという話をしていたら、全身麻酔に変えることもできますよ〜という話だった。

全身麻酔で脳味噌が死んでしまうとか、副作用とかほとんどないらしいし、背骨に麻酔注射するあの痛みはないけれど、気持ちの悪い体験は、なんか嫌な気がした。

脊椎麻酔注射は、自分の背骨に打たてるから見たことはないんだけれど、最初に針をブチュッと深く脊椎の中心部まで差し込んむのがなんともギクッと痛くて、その次に、麻酔薬を注入するときも気持ちが悪い。

それを、前回2度も体験したので、また、初回で効かないと今回も2度、3度と打たれる可能性だってあろうから、ああ嫌だ!と土壇場になって、全身麻酔に変更してもらった。

そのうち、先生がやってきて、話もしないうちに、知らぬ間に、点滴台に全身麻酔の点滴袋が置かれている。

この間、数分。

チリチリしますよ。と、昨晩、男の看護師に入れてもらったチューブが入っている血管のところが鈍痛で、その時も、かすかに痛みがあったわけだが、そこに、刺激の強い薬が入り込んできたので、チリチリどころか、激しく痛むじゃないの。

擦り傷に濃いオキシドールを振りかけられた感じ。目の中にわさび入れられた感じ。

うわっ、痛いっ、滲みる・・・と涙目だが、すでに、朦朧と意識が遠のき始めていて、吸入器を押し付けられて声も出ない。

この痛みから逃れるには、即効で、全身麻酔で落ちるしか無い・・・。

と、吸入器に入ってくる湿った空気を3.4度深呼吸しているうちに、突然無の世界に落ち込んだ。

毎度ながら、この全身麻酔は、デジタル式の、意識があるかないかの二者択一の世界だ。

夢から醒めたときは、幾らかの時間の経過というのがわかるものだが、この全身麻酔から醒めた時には、その時間間隔の感覚が皆無である。

目から醒めた一瞬前は、手術台で意識を失った時で、映画のコマを張り合わせたような感じがする。

全身麻酔が多少効きすぎたか、朦朧状態で。眠ったり意識を回復したりのコマ送り。手術室を出ていく担架の段差を乗り越える音とか衝撃とかに時折意識が戻って、また意識を失い、レントゲン室でレントゲンを取られて、知らぬ間に病室のベッドにいて、まだ、しばらく朦朧としていたのだが、看護師さんは寝かしてくれず、酸素吸入マスクを着用してくれたり、点滴売ったり、気分悪くないか聞かれたりり、体温計をあてがわれたり、血圧を測られたり。

ちょっと、ほっといてもらえないだろうか?と言いたいような言いたくないような気分で彷徨していると、意識が完全に戻って、足の痛みは時折強烈なツーンとする痛みが走るが、鎮痛剤を必要とするほどではなく、ハッとして、おちんちんを触ってみれば、カテーテルもついていない。ラッキー。

そうそう、前回は、女の看護師さんに、カテーテルをねじ込まれたんだっけ。「きっと、麻酔が効いてからだよ。きっとだよ」と手術台で約束して、麻酔が聴き始めた頃に、ボクの目の前でカテーテルにドロリとした透明の滑り薬を塗って、ニョキニョキと陰茎に挿入されたんだっけ。

急速に平常の体に戻ってきて、片松葉杖も用意されていたんだが、面倒なので、そのまま歩いてみれば、やや傷口が引き攣る感じで歩きづらいが、普通に歩ける。

手術の日、すなわち、土曜日に、4人部屋が空いたことを確認して、看護師さんに相談。

差額ベッド代が勿体無いし、お隣のコホコホサイクルに悩まされていたからねえ。

その日は無理で、翌日からということで、翌日曜日には四人部屋に引越し。

点滴の他にやることもなし。

この病院では、手術後に1本。翌日1本。翌々日に1本抗生物質を点滴投与するので、最低でも2泊3日の入院になってしまうのだが、この点滴が終わってしまえば、やることは無いので、あとは、退院するだけだ。

4人部屋には、他3名の患者がいて、鎖骨骨折者、外果骨折者、膝骨折者がいて、他の糖尿病等をも発症していて血糖値とか毎日調べているみたい。ホント、健康というのは大切だと、こういう時に思う。

静かな4人部屋なので、英語の勉強もはかどる。夜も、2日ぶりにぐっすり。

月曜日は、ぜひとも退院しないといけない日。

前々から、この日に退院すると宣言して病院に入っているものだから、この日、朝6時に血液検査のための採血をしてもらった。この病院では、血液検査をして炎症反応がなければ、退院できるという決まりごとがあって、なかなか退院するにも手間がかかる。

ボクは、ここに4度入院しているのだが、今まで、炎症反応で引き止められたことはないのだが、高齢だと、なかなか炎症反応が引かなくて、長期入院している人も今までたくさんいた。

ボクのように、鎖骨骨折でも、外果骨折でも、あっという間に病院を飛びでてしまう患者は少数で、今回の相部屋で一緒になった鎖骨骨折者は、3週間目。外果骨折患者は、4週間目だった。とてもとても、ボクには、そんな余裕が無いので、カラスの行水的に逃げるように退院するしか無い。

まあ、整形外科の入院というのは、僕のように軽微な怪我だと、3食昼寝付きの生活なわけで、いい骨休みにはなるだろう。入院保険に入っていれば、3食昼寝付きで、入院日の文だけお金も手に入るわけで、こりゃあ、やめられないだろう。

だけど、僕には、とっても退屈で、もうすることもない状況になって、病院のベッドで時間が流れるのを待つのはとても辛い。

過去の入院の経験で、骨折患者が受けられる治療は、手術と術後の抗生物質点滴しかないわけで、それをやってしまえば、あとは、ベッドで寝ているだけ。何かされるわけではない。食事時に食堂へ行って飯を食べるだけ。それは、無駄というものじゃありませんかね。

思うに、日本は、保険制度があまねく行き渡っているから、あまりお金を取られずに入院もできるので、こんな悠長な入院生活ができるんだと思う。アメリカならば、手術したら即退院だろうね。それで、十分だと思う。

で、午後一番くらいで、炎症反応の結果がでて、退院できるようになった。

終わってみれば、金曜の夜から月曜日の朝退院の、3泊4日。実質は、土日の2泊3日で、最短の入院でとにかく、抜釘手術を終えることが出来た。

傷口は大きくて、紐で縫われているけれど、出血もなく、当初の骨折手術の時のように、足がむくんで、傷口が膨らんでいるということもなく、このまま順調に1週間から10日くらいで抜糸も終わるんじゃないかと思っている。

思い起こせば、今回は2度目の骨折で、正直、最初は、へこたれた。なんて馬鹿な怪我をしてしまったのかと。

足をやられれば日常生活に支障が来るし、松葉杖で歩くことは大変そうに思えたからでもある。

しかし、実際に足を折って生活してみれば、そこにはそこに、新しいそれなりの生き方というものがあって、それはそれでなんとかなるのだと、思い知ったことがとても勉強になった。

大袈裟な言い方をすれば、絶望は新しい希望を運び込む力を持っている。

足が折れれば、好きな運動もできないが、それに変わる楽しみというのを自然と人は探したり、出会ったりするものだ。

そこには、そこで新しい生活があり、まさに、それでも人生は続くよということだろう。Life is going on.

骨折した2ヶ月後の12月。事故後に、初めて、8キロ走った。

左足は、筋肉が無くなり腕くらいに細くなり、皮膚に皺がよっていたし、足首の関節は殆ど動かず、むくみも取れない状態で、怪我のない右足1本でビッコを引きながら、とにかく8キロを走りきった。足の痛みと右足の疲れで感慨に耽ることもできなかったが、その時の空に瞬くオリオン座と冬の大三角形がひときわ鮮やかに目に写ったことをよく覚えている。

何事もやればできる。やろうと思えば、不可能なことはない。不可能であっても、チャレンジすることが大切だ。

その月に、300キロ走った。300キロ走っても、何があるわけではない。それでも、人生が続いていくだけだ。

 

というわけで、今回の外踝骨折日記もこれにて終了。

ながらくお付き合いのほどありがとうございました。

posted by ロビオ at 12:44| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月10日

検査結果

抜釘手術前の血液検査等の結果、全く問題なし。

すべての血液検査の数値が、平均・ど真ん中。

肺のレントゲンもOK。

健康診断というもの、働いてからほとんど受けたことがないのだが、今回で骨折手術は4回目で、都合4回の検査を受けたことになるのだが、軽めの人間ドッグを受けているような感じ。それも、保険使って。

やっぱり、適度な運動とベジタリアンという組み合わせは、完璧ですね。

が、野菜ばかり食べているのに、適度なコルステロールというのがあるわけね。大豆とか、オリーブオイルとか、そういうものなんでしょう。もちろん、善玉コルステロールです。

骨の付き方も「犬並み」に早かったので、カルシウムというのも、野菜で十分であることが立証されたわけで。

土曜日手術、日曜日点滴終了、月曜日退院という絵を書いていたが、どうにも、そのくらいの期間で逃げ出すことができそうになく、月曜日もひょっとすると入院かも知れないという感触を、先生と話していて得たのだが、まあ、なんとかなるでしょう。

片松葉杖を手術後はするとかいうのだけれど、なんか必要性を感じない。たかだか、15センチくらいの深い傷が足にあるだけだし、しっかりと筋肉の層、皮膚の層と2度太い糸で縫われているんだから、大丈夫でしょう。

それから、すぐに走れるかと聞いたところ、抜釘手術後にプレートを止めている釘の穴が残るから、3週間くらいはジョグはやめておいたほうがいいと言われたけれど、あんまり説得力がなかったなあ。だって、3週間くらいじゃ、穴はふさがらないし、穴が開いていることによって、骨の強度の問題で骨折した事例はないという話だったので。

まあ、手術後すぐにジョグできますか?と聞くような患者が今までいなかったからじゃないだろうか。

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2012年02月06日

今日は、抜釘手術のための検査なり

分散していた外果骨折記事を「ロビオ日記」に集めておいた。

いやあ、さすがに脳天気な俺でも骨折後二日目三日目は落ち込んでいたね。

夢のなかで、気持よく山の中を走っていて、目が覚めて、骨折の事実を知るツライ体験も、1度や2度ではなかった。

というわけで、走ることのできる幸せを噛み締めながら、今朝もジョグ。

今月は、抜釘手術があるから、そこそこに走っておかないといけない。

1週間で、ボクの場合は、傷がくっついてしまうのだけれど、そのまま走れるかというと、プレートを7本のビスで骨にくっつけているのだが、その穴が塞がるまで、激しい運動ができないというのであれば、多分、ジョギングとかもダメそうなので、手術までは、楽しくジョギングを楽しみたい。

そして、今日は、入院のための検査で、手術に耐えられる体かどうか、血液検査とか、心電図とか、耳朶に傷をつけて血が凝固するまでの時間を測ったり、肺のレントゲンと、背骨のレントゲン等で調べてもらうのだ。

posted by ロビオ at 16:03| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月15日

運動許可がでて骨折日記もこれにて終了。

先週の金曜日に整形外科の定期健診に出かけて、片松葉杖をもう2週間くらい続けましょう、との担当の先生の診断だったのだが、昨晩診察に行ったら、レントゲン写真を見ながら、経過がとってもいいので、どんどん足を使ってください!と言われたのが嘘のように思えたのだった。

実は、この診察の日に、確認したいことが2点あって、@松葉杖はもうそろそろ不要なのではないかということとA自転車くらいなら乗っってもいいのではないかということだったのだ。

そんなわけで、松葉杖も使わず、自転車に乗って病院へ参じたのだったけれど(ははは)、上記のような『どんどん足を使ってください』との先生の発言だったので、鳩が豆鉄砲を食ったように、きょとんとしてしばらく言の葉がこちらの口から出てこなかったのだった。

で、その「足をどんどん使っていい」ということがどんな意味合いを持っているのか確かめようと思って、

「じゃあ、自転車に乗ってもいいんでしょうかね。あのトレーニングとして自転車にのるんですけれど、競技用のというか、スポーツとしての・・・」

「もちろんです」とセンセ。

「じゃあ」と僕が恐る恐る聞いてみたのは、「走ってもいいんでしょうかねえ」

「はい、走ってください」と躊躇なくセンセ。

「かなり、足首が痛くて走ることはちょっと無理なんですけれど(じゃあ、そんなこと聞かなければいいじゃねえかよ、と自分にツッコミを入れる)」

「そうでしょね。靭帯とか捻挫の時のように炒めてしまっているから」と、本を持ってきて該当箇所を見せながら色々と解説をしていただいた後で、「でも、痛みはじきになくなっていきますから大丈夫ですよ」とのこと。

と、数年前に鎖骨骨折の時に作られて交通事故と今回の外踝骨折で更に厚みが増した僕のカルテの真新しいページにセンセがボールペンで、「運動許可」とボールペンで書きなぐって本日の診断終了。

拍子抜けで、いきなり、「どんどん動かしていい」体になってしもうた。

そんなわけで、自転車から徐々に筋肉をつけて、徐々に運動をしていくつもり。

今日、ちょっと走ってみた、小走りで。けれど、5歩くらいで断念。足首が痛すぎてやはり走れませぬ。

あとは、体を徐々に作っていって、アタック299で見事8時間を切ったならば、その後抜釘手術ということになると思うのだが、これにて、鎖骨日記も終了。

足首はサリーちゃんの足首みたいにくびれがなくて腫れてるし、どこが痛いのかわからないくらいあちこち関節周りを中心に痛みが走る。けれども、きっとこの痛みもなくなり、知らぬ間に、また以前と同じように走れる体に変わっていくだろうと確信している。

50を前にして年甲斐もなく2度目の骨折で、あまりの情けなさにため息を何度もついたものだったが、運動ができないならば、やり残しの勉強をこの際に一気にやってしまおうというふうに気分が向いて、この心の運動量がいつになく働いて、この事故を通して、一皮むけた心境に一歩近づけたような気がする。

わけの分からぬうちに木にぶつかり右鎖骨骨折したのが5年ほど前。信号で止まっていたら、後ろからトラックに衝突されて、オートバイもろともはじき飛ばされたのが、1年くらい前。そして、今回は、右足が引っかかったか、滑ったかで前に前転するように転けたら、足の外くるぶしを斜めに折ってしまった。

どちらも、自分じゃどうすることもできない。事故と病気は、究極防ぎようがない。神も仏もありゃしない。ある日突然、何の前触れもなく、任意の誰かに自然災害のように振りかかる。

でも、鎖骨の1本、足首の骨1本折れたって、本当は大したことはないんだよ。痛くもないし、手術だって大したことはない。ただ、日常生活によくある面倒な出来事の一つにすぎない。

思うに、足が動かなくなったとしても、すぐに諦めて、次の生活に向かえばいいだけだとも思う。他の何かを見つけるだろう。大きな事故は、その人の大きな転機となりうる。大きなチャンスともなりうる。事故で命を落とせばそれまで。病室で入院しながら命をすり減らしていくのと結果において何の違いもない。

だから、大切なのは一度この世に生まれたならば、精一杯生を生ききることだ。環境がどうなろうと関係ない。他人の人生ではなくその日がやって来るまで自分の人生を生き拔くこと。

そんな思いを強くした今回の事故でした。

posted by ロビオ at 07:51| Comment(3) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

手術後1ヶ月経過

前回病院で、傷口からすね毛のように2oほど飛び出た抜糸の残りを指摘したら、その場で、糸を引っ張りだして一番底のところでプチッと切ることをやってもらった。

その糸の下には金属があるから念のために二日後に受診するようにといわれたので、真面目なボクは日曜日に診察に行ったのだった。

日曜日はどこぞの大学病院の先生が臨時にアルバイト?にやって来ているので、普段はあまり目にしない先生ばかりなのだが、遠目で傷口をみて、ハイ結構です、との一言であっけなく診察は終了したのだった。

受診料360円。高いのか、安いのか?

そうそう、月曜日から片松葉杖ね、という先生の一言で、月曜日に理学療法士の指導の後で、片松葉杖でOKという話なのだが、そんなに待っていられないから、片松葉杖を敢行。片方の松葉杖が無くなるだけで、相当負担が違う。

こんなことやっていいのか知らないが、怪我をした足首をストレッチしながら歩いてみる。

足首上下色々な所が痛むので、とても普通に歩くことが出来ないのだけれど、この痛みは本当に無くなるんだろうか?と、もう手術してから1ヶ月が経つので、ちょっと心配になってくる。

足首から踵の方まで痛みが走るのだけれど、レントゲン写真を撮って初めてわかったのだが、ボクの踵の骨には相当大きなとげのようなものが成長していて、これが踵に悪さをして痛みを発症させることもあるのだという。

普通、踵の骨は、丸い形なのだが、ボクの場合は、なんというか、線の乱れた四角形になっていて、これは、相当酷いと素人ながらレントゲン写真を見るとそう思う。

左の踵しか患部ではないのでレントゲン写真は撮っていないのだが、右の踵も同じくらいか、あるいはもっと酷い事になっているのではないかとも思う。

というのは、右足の踵の痛みというのは、ジョギングを始めてからいつもつきまとっているからだ。

抜釘手術の時に、合わせて、踵の骨を削り取ってもらう手術が出来るのかどうか聞いてみようかとも思うのだが、踵の部分を切り開いてドリルで削り取るというのは、歯石を取ってもらった後のようにさっぱりするかも知れないが、長い入院になるかも知れない。

踵だけに、足をつけることが出来ないからナ。

まあ、こんどの診察の時に、色々相談してみようと思う。たしかに、踵が痛むのだからね。この場合、保険は下りるんでしょうかね?そこも問題だ。

家に帰って、川越のうつわノートという店で色々商品を見て楽しむ。喜多院すぐそば。

妻とおにぎりを持って帰りにどこかでピクニックでもするかという話だったが、二人でそのおにぎりを家に置き忘れたので、そのまま家に帰って、そのおにぎりを食べる。

玄米菜食で、最近では、菜食主義と言っても良いくらいなので、なかなか外食が出来ない。それに、何を食べさせられているか不安も感じるので、経済的、安心できて、しかも、おいしいわが家の弁当しか食べる気がしないのだね。

そんなわけで、日曜日も静かに終わり、秋風寂しくホトトギスの花を揺らしていた。

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2011年09月30日

片松葉杖許可なり(手術後29日目)

金曜日。病院へ行く。

毎週1回レントゲンを取って、骨の癒着の経過を見るために通院しているのだが、それよりも、松葉杖から解放されたい一心で、いつ松葉杖を外してもらえるのか尋ねるためにも行かねばならぬ。

というわけで、来週の月曜日に行く予定が、都合が悪くなったので、月曜日に通院した日から数えて5日しか経っていないが、通院した。これも、早く松葉杖から解放されたい一心からである。

で、レントゲンを取ったら、さらに経過は順調で、骨折箇所に煙のようなもやもやが漂っており、順調に骨はくっつき始めているということで、相当順調な経過であるらしい。

で、月曜日には、体重の3分の1まで骨折した足に体重をかけても良いというお許しを得ているのだが、今回は、更に体重をかけてもいいということと、松葉杖は1本でよろしいということになった。

わずか、5日で、荷重許容が体重の2分の1まで許されて、しかも、片松葉杖でいいということで、万歳三唱したいくらいの気分だ。

しかし、たった5日で劇的に変わるとは思ってもいなかったので、心の準備ができていない。

片松葉杖の歩き方は、月曜日に理学療法士から教わるという事になったのだが、月曜日までとても待てないので、早速ネットで歩き方の勉強をして、片松葉杖で駅の本屋まで歩いていく。

片方になった分、体重が骨折した足側にもかなりかかるようで、痛みが歩くたびに滲み出すけれど、リハビリも兼ねて、なるべく関節が曲がるように動かしながら歩いてみる。やっていいんだか悪いんだかわからないのだが。

けれども、骨というのは、刺激が与えられないとくっつきが遅くなるそうで、このくらいの刺激は、プラスになるだろうと、素人ながらいいんじゃないかと思っている。

ところで、両松葉杖だと雨の日は、ポンチョを着て歩行しなければならなかったが、これだと、片手が空くので傘もさせるから、雨の日も怖くない。日常生活にまた一歩近づいたというわけだ。

それに、松葉杖が1本なくなっただけでずいぶんと体の負担も違う。

あとは、この松葉杖から、完全に解放される日を待つばかり。

足は、足首周り、外側の骨のあたりが痛むので、まだまだ普通に歩く訳にはいかないのだが、こうして、体感的に一日一日日常の生活に戻れるという感覚は素晴らしいもんである。

片松葉杖に昇格したお祝いのつもりで、久しぶりに駅ビルでスタバのコーヒーを飲んでみた。

うまいんだか、まずいんだかわからない苦いだけのコーヒーだが、コーヒーを飲みながら、紙にこれからの予定を色々書いてみて、再起を図るための準備を少しづつし始める。こういう作業も、楽しいものだ。

さらに喫茶店で勉強するという究極の暇つぶしをして、1時間30分ほど粘って、家に帰り更に勉強にあてる。

なんとか、ものに出来るように、足が完全に治るまでせいぜいがんばろう!、

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2011年09月29日

リハビリ2回目

リハビリ2回目。

足に体重をかけても良いという許しが出たので、家の中、事務所の中では、松葉杖無しで歩き回っている。

リハビリの先生にそのことを伝えると、短い沈黙がある。駄目らしい。

が、駄目でも、気をつければいいと僕は思う。

外を歩くのでも、本当は体重の3分の1くらいしか体重をかけるように言われているのだが、面倒なので、半分からそれ以上かけてしまっている。その方が楽だからだ。

リハビリの先生にそのことを伝えると、出来るだけ指示に従ってくれるように言われた。

まあ、当たり前なことだけれど、こちらは馬耳東風である。なるようにしかならないからだ。まあ、ちょっと、気をつけよう。

そんな風に歩き回るようになって、足のむくみはほとんど無いと言っていいくらいで、親指でぐっと押すと凹みが出来上がるのは同じだけれど、腫れていない分だけ、穴の深さは浅くなってきている。足は、第二の心臓と言われる所以である。

歩けば、びっこを引くような形になるのは残念だけれど、捻挫のときと同じくらいの痛みが足首の周囲に残っていて、外側の足の裏の骨のあたりも鋭い痛みは走ったりする。

怪我をした左足に体重をかけない分、左足の歩幅は小さくなり、スパッと体重移動を右足に移すから、自然とびっこを引いてしまう。まあ、そうするだけの痛みがあるからということもあるのだが。

足は地面に垂直に振り落とされる感じで、足が踵から股関節まで一直線になりがちで、筋力が無いこともあり、その分膝に衝撃がダイレクトに伝わるので、これで走ったら、まず膝が壊れるのが体感的にわかる。

左足の着地を柔らかくするために、右足で体重をギリギリまで支えて、左足を下ろすから、どうしても、こんな歩き方になってしまう。

怪我をした左足の着地から地面から足が離れるまでを観察すると、左足は、足から話すときに、前足部で外側に回転させているのがわかる。これは、まだ腫れていて足の関節が動かないのと、アキレス腱が伸びないのが影響しているようだ。

以前に捻挫したときも、足首の痛みはかなり長いこと続き、正座するくらい足首を伸ばすことが出来るようになったのは、1年か1年半後くらいで、骨折する直前でもかすかな痛みはあった。

それを考えると、今回の骨折による靱帯の傷みは、捻挫よりも遙かに大きいだろうから、どこまで、痛みが無くなっていくのか心配になってくる。

小学4年のころに、左肘の捻挫をしたことがあるのだが、肘を伸ばすとまだ痛みが走るくらいで、こういう痛みは無くならないのかも知れない。

まあ、とにかく、自分の中では、ほぼ完治したという認識である。

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2011年09月26日

体重の3分の1の加重にOKがでた

骨折手術後25日目の通院。

レントゲンを撮って、骨折の経過を診てもらう。

順調に骨はつき始めている。蓮っ葉に折れた線が肉眼では見えず、割り箸を折った際に出来るケバケバのような尖りは、約1ミリ程度あるという。この尖りもやがて骨に吸収されて丸く瘤のようになっていくのだろう。

鎖骨骨折の時は、遅遅として進まなかった骨の癒着具合だが、さすがに、足の骨折は、太古の人間にとって、生死を分ける重要な出来事だから、案外早くくっついてしまうのかも。

それとも、前回は、肉食していたが、最近何年かは、玄米菜食なので、カルシウムたっぷり補給しているから、着き方が違うのかな。まあ、とにかく、見事な回復だと、先生からお墨付き。

足を垂直に置くのならば、普通に歩いてもいいのだが、足を内側に捻ってしまうと、プレート固定した部分は外れてしまうから注意するようにということで、ならば、松葉杖はつかなくてもいいかと聞くと、やはり、通勤には必要と言うことだった。

そして、足に、体重を半分くらいかけたもいいという事になったが、診断書に書き込むときに、やはり3分の1くらいにしておきましょう!ということで、簡易ギブスもつけなくてもよくなり(先生の指示以前に嫌なので使わなかったのだけれど)、大きく前に全身の今日の診断だった。

体重の3分の1だけ、負傷した足の側に重さをかけることができるだけで、松葉杖の歩行は、ものすごく楽になる。実は、先日から、ちょこんと内緒で足を下ろして松葉杖歩行をしていたのだけれど、楽ちん楽ちん。

片足を浮かせたままの松葉杖歩行だと、手のひらにすぐに豆が出来、ボクの場合は弱い肩関節にもの凄い痛みが発生して、駅と事務所の往復で相当草臥れてしまい、それプラスどこかへ仕事で行くとなると、その日は疲労で真っ白になってしまうくらいなのだ。

これで、やっかいだった松葉杖による歩行の辛さも5分の1くらいに軽減できているから、一安心。

このあと、多分体重の2分の1くらいの加重が認められて、そのあとは、片松葉杖でしばらくすごし、骨の癒着具合を見て、松葉杖から解放されていくというのが、一般的な流れになるだろう。

そして、体重を載せて歩いていると、ほとんど筋肉をつかっていないのに、ふくらはぎの筋肉が攣りそうになるような痛みが発症することもあって油断が出来ない。

まあ、筋肉は、徐々に戻っていくだろうが、残念なのは、いままで、20年以上水泳から始まって鍛えていた心肺機能が2ヶ月も何にも運動していないと、元に戻ってしまうことだ。

病室で読んだ「メンタルトレーニング」の本によれば、一流選手の中には、1年で1ヶ月まったく運動をせずに、食べたいものを食べて、太るだけ太って、1ヶ月後にまたトレーニングを再開するという人もいるようだけれど、そうだとすると、チビチビ休むより、1ヶ月まるまると休憩して、疲れを取り除くというのもいいのかもしれない。

まあ、とにかく、徐々に普通の生活が出来るようになり、通勤帰りに本屋をのぞくこともあまり苦にならないし、保険は万全だし、最低の状態から、普通の状態に徐々に戻るという感覚だけで、こんなに嬉しく思えるのは、やはり、怪我はいいもんだ。程度によりけりだけれど。

といっても、もう二度と怪我は御免だけれどね。

posted by ロビオ at 06:10| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月20日

ギプスを外す

手術後3週間でギプスは外してもらえるということなのだが、まだ3週間は経っていないけれど、先生に取ってもらえるように言ってみたら、OKがでた。

これで、ようやく湯船につかることが出来る。

ギプス室なるところにいって、電動カッターでギプスに切り込みを入れてもらう。

時々、ギプスの下に入っている綿に高回転の円形カッターが触れると、そのところが熱く感じられる。肉を切られるのではないかと緊張するけれど、あっという間に縦に2本の切れ込みが入り、2週間と数日ぶりに患部が空気に直接触れる。

凄い腫れとむくみだし、傷口はまだ血の塊がこびり付いていて、カッターナイフでほじくれば、また傷口が開くんじゃないかとおもえるほど生々しい。

家に帰って、湯を張り湯船につかる。湯の中で傷口の付近を触ると、そこの部分だけが四角くカチカチに固いことがわかったが、当初、そこの筋肉が硬化していると思ったのだけれど、ここには四角い縦長のプレートが入っていることに思い至って納得した。

皮膚を擦ると、垢が取れるは取れる。

看護士さんに、一生懸命垢を取ると皮膚炎になるから、あまり擦らないようにとの注意を受けていたけれど、皮が一枚ピーッと剥がれた感じは、海で焼きすぎた背中の皮が剥がれるのに似て、下の皮膚はまだ新しく触るとひりひりする感じなのだ。

案の定、足の甲の部分にポチポチの赤い斑点が出来て、ちょっと触るとひりひりする。

足裏なんぞ、ふやけた足を爪で引っ掻くようにすると、爪の間にふやけた皮膚が塩の固まりのようにくっついて取れる。

が、やり過ぎは禁物なので、石鹸で手を洗うように患部を洗って止めておいた。

ギプスを外すと同時に、キネーネといったか、ふくらはぎからかかと、かかとから足裏にかかる補強板をつくってもらい、外出するときは、これをあてがって包帯で巻いている。

普段もつけなくてはいけないのかも知れないが、家にいるときは外している。

普通に歩けるような気がするのだが、まだ体重を患部にかけてはいけないらしく、松葉杖は外せない。

松葉杖から解放されれば、なにも不自由しないのだが、早くその時がくるのを待っていよう。

ギプスを外すと同時に、リハビリも予約しておいた。

次は来週の月曜日が診察の日だ。この日に、足に体重をかけたもいいか聞いてみようかと思う。

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2011年09月19日

抜糸完了

抜糸完了。

祝日でも整形外科入院が開いているのは助かる。

手術→抜糸というふうに、どんどんと回復のプロセスを辿っている。

まだまだ、骨はくっつかないけれど、こうして一つ病院での「仕事」が終わると、前に進んだような気がする。これは、病人にとっては、慰めになる大切な過程だ。

あとは、この分厚いギプスを電動カッターで切り裂いて外してもらい、松葉杖から解放されれば、あとは自ずから怪我の面倒もあまり感じなくなるだろう。

さて、抜糸。

うつぶせに寝転がって、ギプスの傷口の消毒用の蓋を開ける。本当は、抜糸の様子を見ていたかったのだが、うつぶせで寝転がっては見ることができない。残念。

たぶん特殊なはさみのようなもので、糸を切りながら引っ張ると、糸がはさみに絡まりながら抜けるような仕掛けになっているように思える。

たぶん、皮はくっついていて、ハサミの先端が血で濡れた傷口をほじるようにして糸を抜いているなんてことは無いはずだが、チクッと痛みが走り、ハサミでグリグリとワニが獲物を食いちぎるように前後左右に揺すっていると、傷口がしみるように痛み出す。

何故jか%の文字のように、大きな垂直の傷口の両側に一針二張塗った箇所があって、このあたりはかなりリアルにしみるようにいたかった。

が、ものの3分くらいで終了。

うつぶせの姿勢からベッ.ドの上に座りなおしたら、すでに傷口にはガーゼが置かれていて、傷口をしげしげと見ることは出来なかった。これも残念。

鎖骨骨折の際は、ホッチキスで数カ所止められていて、抜糸(?)の時は、ホッチキス外しみたいな器具で取り外したのだが、これは、ヌカに釘のように、痛みもなく皮膚に引っかかる感じもなく、ぼそぼそととれたのだが、やはり、糸はぎゅ〜っと絞めつけるように縛っているから、糸を切ったときに、皮膚が緩むので、その感覚が痛く感じられたのかも知れないし、糸を抜き取る感覚も痛みと感じたのかも知れない。

これで、傷口を水で濡らしてもバイキンが入ることはないから、風呂にも入れるのだろうけれど、ギプスが付いてちゃ、まだ濡らすわけにも行かない。

早くギプス取ってくれ〜。

たぶん、来週辺り、このガチガチのギプスは取って貰えそうな予感がしている。そのあとは、踵をホールドするような半ギプスのようなものを装着することになるだろう。これならば、包帯を解いてギプスを外すことができるというわけ。

9月2日以来このガチガチのギプスを嵌めているので、さすがに、時々ギプスの中が痒くなるし、ちょっとこすると、垢が消しゴムのカスのように指の腹の上を転がっていく。

この部分を、たわしでゴシゴシ洗ったらさぞかし気持ちいいだろうと、その日を待っているのだ。

posted by ロビオ at 16:06| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月17日

2011年09月16日

手術後2週間経過

手術後2日に1度傷口の消毒に通院している。

昨晩、手術後約2週間が経つので、抜糸となるかと思ったが、そのリクエストに、担当医がピンセットのようなもので、傷口をいじってみた所、痛みがあり、まだレアな肉が軟らかく外に飛び出ているところがあって、今しばらく様子見ということになった。

土曜日に通院。火曜日に担当医に診てもらう計画だから、多分その時に抜糸をおこのうてもらい、多分、この頑丈なギプスも電動カッターで切り裂いて貰えることを期待しよう。

抜糸が終わり、重いギプスが無くなれば、片足風呂桶から出してシャワーを浴びるという面倒も無くなるから、随分と気分的にも違うはずだ。

連日の松葉杖歩行で、手のひらにマメの下にマメができてしまって、たいそう痛む。金曜日になると、上半身と右足が草臥れてしまう。

ギプスが外れて、2週間毎くらいに負傷した左足に体重を徐々にかけるように指示されて、だいたい最短で6週間くらいで松葉杖から解放されるらしい。約2ヶ月と踏んでいたが、もうすこし短くなる可能性も出てきた。

松葉杖がなければ、びっこを引きながら歩くことになるが、肩の痛みを併発している関係上、随分と楽になるし、あとは、固まった関節をリハビリで柔らかくし、筋肉を徐々に付けていけばいいということに、専心できるから、物事がわかりやすく流れていくようになるだろう。

ところで、通勤電車に乗って、なにも席を替わってもらおうなんてこれっぽっちも考えていないから、通常はドアの横のところに片足、松葉杖の3点確保で横たわりながら立っていることが多い.

 

けれども、混んでいるときなど、座席の前に立たざるを得ないことも多い。

右手でつり革を掴んで、左松葉杖にチカラを込めて寄りかかる感じで体を確保しているのだが、電車の横揺れには体勢を維持するのが難しく、前後に揺れてバランスを崩して、右手つり革にぶら下がりながら、踏みしめている右足と腰で三角形を結びながら、サンドバックみたいに揺れて耐えることもある。

まあ、そんな状態で、突っ立っているのだが、目の前のオジサン、サラリーマン、OLというのは、ほとんど、寝たふりをして、心の動揺・・・替わってやろうか、でもな〜、あっちに行ってくれればいいのになあ〜・・・なんて言葉がこちらの耳にははっきりと聞こえるのだが、外見上は、目にややチカラを込めながら静まりかえってねている。本当に寝ているか、寝たふりをしているかは、毎日毎日観察している非健常者にとっては、火を見るよりも明らかなので、逆の立場になったら、すぐにでも席を譲りたいと思ふ。

毎朝、駅でエレベータを使ってホームに降りた所がちょうど優先席でそこに座るのだが、必ず対面の優先席に若い太った男がどかんと座っている。この1週間同じところ。終点池袋まで、眠って、杖の人がこようが、年寄りが来ようが、一向にお構いなしだ。

寒々とするし、小中高生というのは、座席に座らないというのが基本だと思うのだが、最近は、平気で優先席に座っているのが、日本の将来を暗澹たるものにさせている。

また、最近できた池袋の事務所の近所の整骨院なんだが、狭い歩行者用道路に面した入り口に椰子のマットを置いている。松葉杖で歩くには、このマットに杖を突かざるを得ないのだが、これが、滑りそうでコワイ。また、平気で広告宣伝用の旗を公道に置いており、松葉杖の身にとっては、邪魔っ気以外の何ものでもない。

これで、同じような境遇の患者を診るんだろうから、まあ、この接骨院がどんな程度のものかよくわかるというもの。

まあ、そんなこんなで、日本社会のほころびというものが、違う環境に身を置くとよく見えると言うことで、よくよく松葉杖をついている間に、観察し記憶しておこうと思うのである。

posted by ロビオ at 10:46| Comment(2) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月14日

松葉杖で日本橋まで

駅から事務所の往復だけで、松葉杖だと精根尽き果てたということになってしまっていたのだが、今日は、加えて日本橋まで足を伸ばして仕事をする。

お客さんに会っても、何故松葉杖でいるかとうことの話題から始まるから、仕事前の潤滑油になるのは、プラスの点かも。万事塞翁が馬ならいいんだけれど。

だんだん、体重のかけ方にもなれてきたのか、ちょいと長い距離を歩いても、手のひらに大きなマメができるということもなくなってきた。

地下鉄移動なのだが、前もって、駅構内の案内図を調べて、最も少なく歩ける距離を探して、行きは丸ノ内線で大手町乗り換え東西線日本橋駅。

帰りは、東西線日本橋駅から飯田橋経由、有楽町線で池袋。

が、どちらも、乗り換えに殊の外歩いたなあ。くたびれた。

階段の登りはさほど難しくはないのだが、階段の降りは、ちょっと油断すると滑落事故にすぐ結びつきそうで怖い。

階段の降りは、まず、松葉杖を自分の立っているところから一つ下の段に、左右の松葉杖を同時に置いて、体重をそれにかけて、足を一段下のところに下ろす、という連続で下りていく。

けれど、ちょっと考え事しているとか、最後の2段あたりで気がせいたり、ホッとしていると、この松葉杖を下の段に降ろしてから、体を足を下ろすという順番が、松葉杖を下ろす前に足を下ろしてしまうことになってしまうことがある。そうなると、足をおろしたときに、松葉杖が脇の下に食い込んで、体がぶら下がるような形になって、バランスを崩すことが度々あるのだ。

それも、松葉杖を右なら右だけ下の段に下ろしていて、左だけがまだ上の段にあるというパターンも多発するから、体が妙に蓮っ葉にバランスを崩すのである。

いままで、3,4回、冷っとしたことがあったけれど、必ず、壁際の手すりにいつでも手を伸ばせるようにしているので、まだ大事には至っていないけれど、注意しないといけない。

まあ、気を抜かず、確実にリズムに乗りながら下りればなんということもないんだが。

あと、エスカレータに乗るときも、ちょっと緊張する。

 

事務所の駐輪場で愛車カプ90に、松葉杖が取り付けられるかどうか、いろいろ調べてみた。

一番いいのは、サドルの上に松葉杖を二本積み重ねて、その上に腰を降ろしてしまうことだ。

これなら、松葉杖は運転中に落ちることはない。

 

電車の中での学習時間が集中してできる。朝トレしていると、ついつい眠たくなってしまうことが多かったが、事故後は、いたって快調に学習計画が進む。

通勤時間1日2時間は、勉強時間が確保できるので、ますます、時間の使い方に無駄がなくなってきている。

朝トレしない分、このあたりが、充実しているようだ。怪我でもしないと、朝トレはやめられないから、良かったと思うほどの充実度だ。

別の言葉で言うと、怪我をして運動ができなくなっても、他に楽しいことはたくさんあるんだよ!ということ。

運動ができない自分という惨めな境遇に一度身を置くと、運動ができないということが、そんなに大したことではないとおもえてくる。そうした運動に興味がわかなくなった分だけ、一層他の事が輝きだしてくる。

そうじゃない人は、悲劇だね。

 

来年の今頃は、新たにもう一つの資格をとろうという野望がある。全然、今の仕事とは違う種類の資格だ。

資格試験を通して得られる知識もあるだろうし、楽しみにしている。

とにかく、毎日コツコツ、集中して継続できれば、どんなことでも力は自然についていくのは、過去の経験から明らかである。

勉強は、どんなものでも楽しい。

実力が伸び悩んでいるときは、苦しいものだが、これもいつかはどこかへ霧消してしまうものというのも、経験的にわかっている。努力を継続していけば、という条件付きだけれど。

通勤時間に神経を集中できるように、いまから、リズムを作っておこう。

posted by ロビオ at 21:31| Comment(0) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

足首より肩が痛むのよ

足首の外踝骨折をしたわけだけれど、レントゲン写真からみて、どのあたりを骨折したのかさっぱり実感としてわからなかった。

本日、塗った傷口を消毒する際に、どのあたりに傷口があるのかをしげしげ眺めていて、その位置を記憶しておいて、自分の折れてない方の右足で外くるぶしから伸びている腓骨を骨に沿って触ってみた。

外くるぶしから骨に沿ってなぞって15センチくらいなぞって行くと、やがて骨は肉の内側に入り込んで触ることができなくなる。ちょうど、その触ることの出来るあたりが、大きく斜めに捻れ折れたのが僕の場合の骨折箇所。

だから、そのあたりに大きな手術の大きな傷口が走っている。15センチくらいのプレートに、6本くらいのビスが打ち込んである。

この日、レントゲン写真を撮って、再度骨折箇所をしげしげと見たけれど、見事に骨に沿ってプレートが隙無く埋めこまれている。満足満足。

これだけ、補強してあるのだから、早く松葉杖から解放されたいのだけれど、前に先生に聞いてみたところ、2ヶ月くらいは駄目らしい。

50肩の後遺症で、また、ズキズキ左肩が始まってしまい、本当にマイッた!松葉杖をついて歩くきがしない。

つい1週間くらい前は、肩が少しは痛くなったが、しばらく休んでいると痛みは軽減したのだが、このところの痛みは、まったく引かずに、ちょっと腕を動かしても、時折ズキンと痛み出し、痛む箇所を人差し指で突っつくとやはり痛い。

右腕片手松葉杖という技もあるのだが、これは、負傷足に体重の2分の1くらいの荷重がOK出てかららしいので、あと少なくとも1ヶ月後くらいじゃないと駄目だろう。

ホヤ貝のように膨らんでいた足も、ギプスの中で足首を上下に僅かに動かして、膨ら脛の筋肉をふくらませてポンプのようにしてやるとずいぶんと細くなってきて、見た目もよろし。動かしていいんだか悪いんだか知らないけれど。

「アイズ・ワイド・シャット」「稲妻」「飢餓海峡」を見る。

成瀬巳喜男の「稲妻」に感動する。こんだけ、だらしのない日本人の典型のような唾棄すべき人物がたくさん現れるのに、味気の悪さを一掃して、見終わった後に、一種爽快さ、清潔感が漂うような映画にするのは至難の業だと思うのに、成功している。

どこにも行けない、どこにも行こうとしない人たちに、ほらっ、と、何かのきっかけを与えて、ハッピーエンディングを迎えるのがハリウッド映画ならば、溝の水のようにそのまま動かず停滞しているのが成瀬のこの映画の持ち味。

高峰秀子演じる主人公は、そうした環境から逃げ出すけれども、香川京子と根上淳演じる屈託の無い明るい世界に憧れつつも、そうした世界には入っていけないことを薄々本能的に知っているような気配がある。

三女である高峰秀子と母の浦辺粂子が、お互い泣きながら、自分の境遇を攻め立てるシーンは、身につまされる感じがあって、気を抜けない緊張したシーンだ。

お互い、言い合っても、生まれてしまったからには、しょうがないこと。しょうがないことなのに、一言言わずには済まされない三女の気持ちもよく分かる。

そのあと、ふいに仲直りしてしまうのは、さすが、親と子。業というものの深さが表現されていて、見事だった。

いい映画だった。「浮雲」よりも、素晴らしいかも。もう少し、成瀬作品がDVDがレンタル出来ればいいんだけれどな。

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2011年09月07日

退院(骨折日記)

なるべく早く退院しないと体が鈍るし時間の無駄なので、手術後2日目、抗生物質の点滴が終了したら、なるべく早い時期に退院したい旨を看護士さんに伝える。

ホヤ貝みたいに膨らんだギプスからはみ出でたる指先周辺の腫れを見て、駄目かも、との感想を述べて看護士さんは病室から出たけれど、やはりね、病院は長居する所じゃないからね。出られるならば、最短距離で退院したい。

それで、抗生物質の点滴終了した月曜日には、翌日の外出許可を貰い、プレートとネジが体の中に埋まっていることによる体の反応を示す炎症反応を調べるために血液検査だ。

手術直後でもあるから、炎症反応が、やや高めに出たことと、足の腫れが半端じゃないということで、この日は、退院許可が出なかった。

仕事して、病院へ夜帰ったら、もう一度血液検査をして、これで炎症反応が無ければ、退院出来る由。

晩飯を食べて横たわっていたら、看護士さんがやってきて、炎症反応が今朝の半分くらいになっているので、退院しても良いという報告を受ける。

やれば出来るもんだ!

が、夕食食べて、寝間着姿で、源氏物語に没入していたので、もう1泊して、明日の朝一番で退院することにして、翌日を迎える。

食堂で朝7時に朝食を食べて、部屋に戻り、縫った傷口を消毒して貰ってから退院する予定だったのだけれど(通院の手間が省けるから)、9時を過ぎても、先生がやってこない。

傷口にヨードチンキを塗るだけなのだが、これは医療行為なのか、看護士さんはすることの出来ない業務のようだ。

膝下10センチくらいまで、がっちりとギプスされているのだけれど、今回、このギプスには驚いたことがある。

手術後、傷口を縫った直後、看護士さん2名に足を持ち上げられ、包帯をぐるぐる巻かれたように思っていたのだが、これが、瞬時に固まってギプスとなる。もう、あっという間。

ボクのイメージだと、ギプスって石膏を固めた分厚くて重いものというものがあったのだが、全然違う。見栄えはほぼ同じだけれど。

しかし、傷口を含めて全部がギプスで覆われてしまうので、傷口の消毒をすることが出来ない。そこで、翌日、ギプス担当?の看護士さんがやってきて、傷口の部分を含む範囲を電動カッターというのか、病室で四角く切って蓋のように取り外しが出来るように細工をして貰ったのだった。おお、これは便利。石膏じゃ、こうはいかないでしょう。

久々に見る傷口は、黒い糸でザクザクと縫われた後が痛々しい。毒牙の芋虫が貼り付いている感じ。1カ所小さな傷口があったのだけれど、これは、最初はネジだけでとめられるかどうかを確認するために開いたときの傷だろう。

前日、仕事で足を下にして歩いたり座ったりしていたので、腫れの原因である体液が傷口からしみ出して、当てたガーゼが黄色く濡れている。

思わず、「膿んでいるんですか」と聞いたら、「その心配はない」とのことで、ただ、腫れが退かないと水が出て、傷口がくっつかないおそれがあるので、なるべく足を下げないように生活して欲しいとのこと。

木曜日の午後4時に入院して、金曜日手術。土日を挟んで、火曜日仕事始め。水曜日退院。こんなタイトなスケジュールだったけれど、これが、自由業の身分だとせいぜいというところ。金曜日と月曜日だけお休みしたけれど、このくらいで済んで良かったと思う。

ほんとうなら、二週間くらい入院しないといけないらしいのだが。

というわけで、またまたほんの短い入院生活(鎖骨骨折の時、手術、抜釘手術の2回で、今回3回目だ)だったのだけれど、3食昼寝つきで、困ったことがあれば、ナースコールをポチッとすると、看護士さんが駆けつけてきてくれる快適さを享受したのではあった。余裕があれば、2ヶ月くらい、こんな生活も悪くはないと思うのだが、貧乏暇無し、なかなかそんなことも出来ないのだ。

今回の手術は、麻酔が効かないとか、ちょっとプレートをはめ込むのが必要かどうかという微妙なところもある手術だったこともあり、午後5時から午後9時過ぎまでの4時間を越える長丁場の手術だった。

丹念に、骨のカーブに沿うようにプレートを加工していただいた時間が長かったのだけれど、ひょっとしたら、ボクが運動をするのが好きな事を知っていて(前回の骨折の時もお願いしたし)カルテにも、トレラン負傷と書いてあるはずだから、もう一度、山道を走れるように、念入りにやってもらえたのかなとも思っている。

この腓骨外踝のあたりは、歩行に重要な箇所らしく、丁寧で慎重な最高の医療サービスを受けられたと思って、とても満足している。やはり、執刀医というのは、大切だ。

当初、他の先生の担当になったのだけれど、事情を話して、前回鎖骨骨折の抜釘手術の際に鮮やかに動かなくなった右肩を治して貰ったその時の担当の執刀医を指名させたもらったのだ。

先生も完璧な手術!と言ってくれたし、最高の医療サービスを受けさせて貰ったのだから、あとは、コツコツ努力して、1年後の自転車、2年後の登山を目標に頑張るのみ!

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2011年09月02日

手術(外果骨折ポキポキ日記)

月末に仕事が入っているので、入院は、9月1日に決定。

午前10時に入院するよう強要されたが、何もすることもなさそうだし、仕事もありそうだから、午後4時に入院することにした。着いてみれば、明日13時に予定の手術が15時に延期になる旨伝えられる。

病院に着くなり、病室で抗生物質の反応テスト。右腕の裏側に注射針で2箇所、少量の抗生物質を打って反応を見る。

手術前最後の食事。午後6時30分。

前回鎖骨骨折入院の時、食事がまずくて閉口したけれど、あれは、4年か5年前、十分に魚、肉を食べていた頃の話で、今回は、菜食中心、多分、前回もこんなメニュウだったと思うが、案外おいしくいただける。量は、少量。カロリー計算されていて、寝たきりになっても太らない基礎代謝カロリーを考慮した量なんだろう。腹、6分目程度に感じる。

それは、それで、いいのだけれど、これらの野菜の由来がとても気になる。飯能市役所のホームページを見ると、「やませみで福島県産農産物を販売します」なんて信じられない広報が載っていたりして、値段重視ならそんな野菜を使っていたりしてとの疑念があるので、安心できない。

民軽視なのは、今回の事故で骨身に染みてわかっているので、国や地方公共団体というものは、心底信用が出来ないから、せめて、そんなものを取り込んだとしても、最悪の状態にならないように、マイクロファージで対抗するために、ビール酵母を持参して、食後に飲むことにする。

水も自宅の蒸留水を持参。冷蔵庫に放り込んでおいて、準備完了。

この食事の後、手術まで食物を食べること能わず、水は、午後9時から摂取を禁じられる。これが、案外辛い。

数十枚のDVDを持参して、コンピュータで映画の勉強をしようと思っていたら、コンピュータの持ち込み禁止だとか。携帯も駄目。がっかり。

夜、浣腸。

前回は、本当に嫌な感じがしたが、慣れというのは恐ろしいもので、ハイハイと、女の看護士さんとトイレに行き、看護士さんに何にも言われないうちから、パンツをズリ下げて待っている体勢を取っている始末。1分ほどそんな体勢で、浣腸の合図と共に尻を突き出せば、さすがプロだね!的を外さずにためらいなく挿入。

点滴開始。ブドウ糖みたいな奴2袋程度、かなりゆっくり点適ス。

後は、することも無し。

毎日の日課の英語の勉強。

新田次郎の「劔岳 点の記」読み終える。

「ランナーのメンタルトレーニング」読み終える。

事故後10日程度経過しているにも関わらず、足のむくみは取れず、パンパンに張っている。張りすぎて指が上下に動かないほど。骨折というのは、破壊力大なり。

翌2日。手術日当日。

3時手術が、5時に食い込む。

待ちくたびれたし、前日から水も食事も摂っていないので腹ぺこ。特に、喉の渇きがしんどい。妻が付き添ってくれて色々離していたのだが、話すのも声が掠れ気味で、力を入れて息を吹き込んで喉笛を鳴らさないと発声できない感じ。

車いすで手術室まで運ばれる。

約4年ぶりくらいの手術室。

ボクの両肩くらいの幅の青色の皮革クッションのついたベンチのような手術台だ。

寝ころんで、尿道にカテーテル装着します!といわれたので、後生だから、麻酔が効いてからにしてよ、といったら、もちろんです!と答えてくれた。

今回は、全身麻酔ではなくて、脊椎注射で下半身だけ麻酔する方法で手術をする。

妻は、小学生3年のころ盲腸の手術で経験したそうで、前日、それがどんなに痛かったか、あれこれ言っていたのを思い出して、今日の手術の山は、その麻酔注射だなと心を決める。

看護士さん6人くらい。やがて、院長先生のお出まし。

壁に貼られた我が腓骨外果部のMR写真、CTスキャン写真そしてレントゲン写真。いやあ、見事に折れてます。斜めにスパット。

その写真を見ながら先生は、「傷は小さいほうが体に優しいから、開いてみて、ボルトで直接止めることが出来れば2,3本止めるか、プレートで固定するか決めましょうか」と方針を述べる。

胸や指先、太腿にペタペタと心拍数を測る計器や左腕には血圧計やらを取り付けられて、いざ手術開始。

まずは、麻酔から。

横を向いて寝て、背中をエビのように曲げて、へその方を見るようにと指示され、看護師さん3人くらいに体を固定される。まな板の上の鯉だ。

背骨にアルコール消毒した脱脂綿で注射する箇所を拭きとる。アルコールの匂いがやや時間差を置いて鼻につく。準備万端。妻の脊椎注射の話でやや強張った体だが、やがて、チクッと背骨に痛みが。ズイズイと針が脊椎深くめり込んでいく感覚。

ホッ。溜息とともに、体の緊張がほぐれる。

終わりました?と、近くの看護師さんに聞いたら、これから麻酔を注入しますとのこと。

まずは、針をさしたんだろう。その後、針がやや動いて、痛みがちょこっと。冷たいものが背骨に注入されたような感覚がして、終了。

仰向けになって、麻酔が効き始めるまで待つ。

が、腰の部分はすぐに感覚がなくなり、わが分身の行方もわからず。右太腿に頬杖しているのか、左太ももを枕にしているのかさっぱりわからない。

が、肝心の左足は、指先がちりちりと痺れる程度で麻酔が効かない。聞いたかどうかをテストするために冷たい金属製の道具をあてるけれど、明らかに、左足の殆どの部分で冷たさを感じる。ということは、麻酔が効いていないということだ。

脊髄のどこかで麻酔薬が引っかかって降りてこないらしい。

足を上にして、腹に力をいれて力んでみてくださいと言われて、2度ほどやってみたが、麻酔が効かない。

15分ほど、様子を見て、再度、もう一つ上の脊髄に注射を打つことに。トホホ。

同じようにプチっと。

今度は、効果てきめん。

仰向けになったところで、左足はどこかへ雲隠れしてしまった。

その直後、手術室は慌ただしくなり、大勢の看護師さんがあっち行ったりこっち行ったり。

問題のカテーテルは、若い女の看護師さん担当。なんか注射器のシリンダー部分に潤滑油みたいのがついていて、それを尿道に流し込みながら、キュッキュッと差し込んでいっている様子が腰を境に目隠しされているカーテンの向こう側から垣間見ることができた。

麻酔をしても、肌に触れたりする感覚は伝わってきて、左足を持ち上げていたり触ったりしている指の感覚はある程度伝わってくるのが不思議なのだが、そんなものだそうだ。

おなじように、カテーテルが陰茎を下に下に進んでいき、ついに尿道の底に到達した感覚があって、最後に看護師さんが下腹部をぎゅっと押すと、カテーテルからションベンが床のバケツにちょろちょろと流れ落ちる音が聞こえて完了。

と、同時に、2人の看護師さんが、ボクの左足を持ち上げて、ブラシでお掃除。シャワシャワと小気味良い音を立てて、ヨードチンキで爪の間とか指の間とか患部とかほぼ膝より下の部分をブラシで磨く。

ヨードチンキで僕の足は琥珀色のブロンズ像みたいになる。

緊張しているかなとおもって、自分の心拍数を聞くと、50くらい。案外、落ち着いているみたいだ。

手術しやすいように、手術台をやや斜めにして、知らない間に手術開始。

折れた部分だけを、多分5,6センチくらい開いた模様。

看護師さんが患部の上に変な機械装置を取り付けていたのだが、これが実は、動画を写せるレントゲンのようなもので、5秒くらい動画がモニターに映る仕掛けなんだね。

ボクもそのモニターを見ることができるので、同時進行でどんなことをやっているのかがわかるのが面白い。

折れてずれた部分をかなてこの様なもので、折れた割り箸をもとに戻すようにして、固定する。

早速、骨にドリルで穴をあける。

近くに近づいてきた列車の音を、レールに耳を置いて聞き取れるように、ドリルの振動が膝から大腿骨に伝わり骨盤から右半身に流れて肩から頭上へ抜けていく。

骨を動かせば左半身が操り人形のように自然と動くのがおかしい。

モニター上でも、ドリルの先が骨を削り取って穴を開けて、向こう側に到達した瞬間に、勢い余って向こう側にすこっと飛び出すのがわかる。おいおい、関係のない骨に穴あけないでよ!なんて少し思ったりするのだが。

で、色々ああでもないこうでもないと先生が思案して、この患部だけのボルトだけでは強度不足ということになり、プレート装着することに決定した。

「じゃ、これから大きく開きます」

切り裂く踵から膝の方面にメスを引く力のかかり方が如実に膝から大腿骨を伝わり、先生の息を詰めている感じがわかる。

近くにいる看護師さんに、どのくらい切りましたかと尋ねると親指と人差指で長さを教えてくれた。15センチくらいだろう。

プレートをあてがい、くるぶしから曲線を描く腓骨に沿った形にそのプレートを何度もカナテコとペンチで変形させていく作業が延々と続く。

退屈してきて、眠気が襲う。でも、なんか、ここで眠ると不謹慎なような気がするし、大切な体験を見逃すこともあるようなきがするので、頑張る。

そして、徐々にボクの骨にぴったりと寄り添うような形にプレートが変形されて、モニターから覗くと隙無く骨に密着しているのが見て取れる。この時間に1時間くらいかかったんじゃないかと思う。

そのあと、骨に6箇所穴を開けて、そのたびに、細い針金のようなものを穴に入れて長さを測って、ボルトの長さを決める。22ミリとか18ミリとか。

穴を開けたら、ボルトでプレートを装着する。

ドライバーで時計回りにクルクルと捻るのだけれど、その方向に骨に力が加わっているのがなぜだかわかる。

全部装着して、最後に、針金のようなもので真ん中を縛り付けて、工作終了。

その後、縫いにかかる。

まずは、内部の筋肉部。多分、「刑事コロンボ」の中のトリックに使われた消える糸、何ヶ月かで自然に消えていく糸、で縫われているんだろうと思われる。

その後に、皮膚の部分。

チックチックと針で皮膚にちょっと付き当てて弾くような音がする。あんまり気持ちのよい音じゃないな。

で、先生が、「ロビオさん、本当に完璧な手術でした。」とのお言葉。

終わったのが、9時過ぎ。

5時からだから、4時間以上の手術だった。

ああ、腹減った。

病室に戻り、下半身の麻酔が解け始めたころ、傷口に激痛が走り始めた。すっかり腹の減ったのも忘れて、痛みと向き合う。

全身麻酔の鎖骨骨折の時は、目覚めた瞬間に、焼きごてを患部に当てられたような激しい痛みで卒倒しそうになったけれど、その経験があるもので、これを10とすれば、7から8くらいか。案外冷静でいられた。

もちろん、じっとしていられない痛みが続くので、痛み止めの点滴を打ってもらう。

鎖骨骨折の痛みは、頭に近い部分なので、強烈に直接的に響く痛みだが、足のくるぶしという末端の部分が今回の患部なので、ある程度、他人ごとのような、客観的な態度で望むことができたのも大きい。

鎖骨骨折も、眠れない夜を過ごせば、翌日には痛みは引くというのがあったし、今回の痛みもそうであろうから、とにかく、世が開ければめでたしだ、と元気づけて、痛みを堪える。

夜が明ける頃、うつらうつらとして、目が覚めると、痛みは大部分ひいていた。

術後3時間は、飲むことも食べることもできないので、すっかり腹がへったので、病院のおにぎりを食べて、水をがぶ飲みし、カテーテルはまだ抜けないということなので、しばらく我慢して、朝を迎える。

自力で小便したいので、カテーテルを抜いてもらう。毎回思うのだけれど、これが、結構気持ち悪い。

膀胱の中のカテーテルが膀胱の壁に当たりながらやがて、陰茎深い部分にチューブの末端がたどり着いて、会陰部を掃き清め、陰茎真ん中あたりでくすぐったいようにつっかえて、最後に、元気よく尿道の先っちょから飛び出す感じ。

さて、最初のトイレでの小便。

無事に尿道から小便が飛び出ることに安堵する。

小便が止まったと思ったところからが毎回面白いのだけれど、尿道の先をブブブブと震わせて空気が吐き出されていく。尿道のおならだね。

というわけで、無事手術も終了し、あとは、退院のタイミングをはかるだけ。

これで、ようやく快癒のための出発点に立つことができた。あとは、後遺症もなく、また、山道を走れるような体に戻ってくれることを祈るだけだ。

他の先生に聞いたところ、完全に治るのは難しいとのこと。可動域が狭くなるのだそうで。

まあ、そうなったらそうなったで、新たな道が開けるのが人生というもので、今後の展開を楽しみにリハビリ生活に突入だ。

posted by ロビオ at 02:52| Comment(4) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月24日

骨折ポキポキ日記Part2(その1)

数年前に鎖骨骨折で骨折ポキポキ日記をこのブログに書いていたのに、Part2を書くハメになるとは・・・・トホホである。なんか、どこかのネジが1本はじけ飛んでいるとしか思えない、私、ことロビオですが、まあ、お付き合いのほどよろしくお願いします。

さてと、朝トレに多峯主山まで走ったのは良かったのだが、下りで左足を岩場についた途端にツルッと足全体が横滑り、梃子の要領で足首くにゃり。ここで堪えてくれれば、捻挫で終わりなのだが、体の重みで、ピシッと腓骨の足首寄りが斜めにポキっとな。

本当に、何でもない、よくある「転け」なのだが、色々な条件が重なって、梃子の要領で足首に力が加わると、簡単にポキっといってしまうので、みなさん、お気をつけあれ。

痛みはそれほど長続きしなかったが、特筆すべきは、その腫れのひどさ。瞬く間に、サリーちゃんの足のようにクビレがなくなり、象の足のように膨ら脛から足首までが一直線。

靭帯を切ったかなとか、捻挫の酷いやつかな、かと思ったが、ひょっとしたらポキっといっているかな・・・と少しは思った。

それで、多峯主山から公衆用電話のある天覧山下のコンビニまで歩いたのだが、これが、はかどらない。一歩一歩が、それほどひどい痛みではないが、痛むので、歩幅が小さいし、段差は本当に気をつけて足を乗っけて、体重を徐々にかけるといった塩梅だから、なかなか進まない。

ふと足首を見たら、見たくないほど腫れており、酷い火傷で水たまりができているかのように、ある箇所を境に崖のような斜度で一気に隆起している。これは、ただじゃ済みそうではないな・・・。

まあ、ここは里山だから、早朝とはいえ、何人かの人にすれ違ったりしたり、歩く距離も2,3キロで舗装路に辿りつけるから、まあいいのだけれど、これが、奥山だったりすると、こういう痛みの少ない怪我でも、なかなか山の外まで出るのが大変だ。2時間のところは、ひょっとしたら、4時間かそれ以上かかるし、秋の小雨のビバークなら命が危ない。

単独行は、やっぱり、ものすごい危険を背負っての行動だなというのが、身にしみて感じられる。

500円玉しか持っていなかったので、缶コーヒーを買って一休み。10円玉をお釣りで入手して妻にSOS電話。

妻も目ざとく足の腫れあがった私の左足を見て、覚悟した模様。

出勤前に病院へいって、レントゲンを撮ってもらって骨の折れていないことを確認して通勤しようかと思ったら、レントゲンを撮った後しばらくして、看護師の人から『足首がとても痛むでしょ」と車椅子が用意されたから、ああ、これは、レントゲンに折れた写真が写っているんだなと直感したのだった。

レントゲンを見たら、綺麗な筋が1本斜めに腓骨に入っていて踝のちょっと上あたりで分断。外果骨折というらしい。ズレはないけれど、ここは歩くのに大切な骨の部位らしく手術を勧められる。手術をしないと、分厚いギプスで何ヶ月も固定されるらしいし、手術の煩わしさ、日程の調整等々ホントに嫌になることばかりだけれど、まあしょうがない。

鎖骨骨折の際にもいろいろやった、血液検査やら、心電図計ったり、胸部レントゲン、骨盤レントゲン(今度は全身麻酔じゃなく脊髄麻酔なので、それが可能かどうか調べるんだと)耳に針をさして止血の時間を計ったりして、手術のための検査をすべてやり、そのあと、簡易ギプスを作ってもらったり、松葉杖の講習を受けて終了。

オオゴトになったぜ。

足の場合は、鎖骨と違って、足を地面につけてはいけないので、松葉杖で数ヶ月過ごすことになるらしい。それから、鬼のリハビリが始まり、またまた、枕を涙で埋めるような苦労何だろうなあ。

松葉杖で、何ヶ月か、東京をぐるぐる回ると思うと本当に煩わしいなあ(涙目)。

このあたりを骨折すると、以前と同じような可動域を回復するのは難しいということをいわれて、ガックシきたけれど、骨折を1度もしない人生よりも、2度骨折入院した人生のほうが、後に語ることも多くていいんじゃないかと思う次第(かなりの強がり)。

あああああああああああ、足をやられると運動できないじゃないの。自転車もたぶん2ヶ月から3ヶ月はだめだろうし・・・。となると、水泳ですかね。スイム。

天は、スイムをやって、トライアスロンでも目指しなさい!、といっているんですかね。

天の声に耳を傾ける生活が続く・・・。

なので、このブログも、以後運動関係は書けないから、以前にもまして、投稿数が減りそうな予感。

が、こういう時こそ、色々考えることもあり、こういう停滞期こそ、力を貯める良い機会であるとも、経験上知っているので、無駄にすることなく、そうそう、今思い出したが、鎖骨骨折したときは、せっせと料理に精を出していたんだっけなあ・・・。

まあ、とにかく、前向きに頑張りまっす!

posted by ロビオ at 14:59| Comment(8) | 外踝骨折ポキポキ日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする