2017年07月15日

いつもの雑草取り

今朝も、日の出とともに、田圃で雑草取り。これで、今週は、毎朝田圃に出勤したことになる。

水の張っているところは、まだ除草しやすいのだが、水面に出た土には、ヒエの類の雑草がはびこっていて、稲がヒエに同化して、どれが稲で、どれがヒエだかわからない状態だ。参った!

丁寧に、ヒエを鎌で切り取り、稲に日が当たるようにはしておいた。根から抜くのは時間がかかりすぎて無理なので、稲に太陽光線が当たるように根元から刈り取っておいた。あとは、太陽光線と、栄養分を吸い取られながらも、育つに必要十分なものを根から吸い取ってもらい、稲に頑張ってもらうしかない。僕らが、出勤前に出来るのは、これが限度だから。

それにしても、稲の成長も早いが、雑草も同様だ。

同じように無農薬で田圃をやっている友人と電話で話したら、今時、田圃の中で作業している人を、見たことないよ!といって、二人で笑った。久しぶりの屈託のない気持ちのよい笑いだった。

また、最近のお米は、米の艶と歯ごたえが良いんだが、米自体の旨味がないとのこと。米に関してはうるさい友人が言うのだからそうなんだろう。けれど、この田圃からできた米は、旨味があるのだと。

雑草に揉まれ、なかなか手助けにもやってきてくれない我らが二家族に愛想をつかして、自分でなんとかしないといけないと自分がだめになってしまうというわけで、手がかけられない分、ここの稲は毎日筋トレに励んで、マッチョな米になってくれているのかもしれない。

田圃には、雑草が生えないものというのが固定観念としてあるのですがね、無農薬でやっていると、そこらじゅう雑草が蔓延るのです。

というわけで、世の中の99.9%くらいの田圃が、おそらく、除草剤をじゃぶじゃぶつかった田圃でありましょう。

この化学農業の世の中で、無農薬で稲を育てるなんて言うのは、ひょっとすると徒労に終わるかもしれないという冒険でもありますが、こういう変わった人が世の中にいてもいいのではないかと思うのであります。

人は、経験したことしか理解することができないといいます。私達が、物事を理解しているのは、かつて前世で経験したことを思い出すようにして理解していると、インド哲学では言うのですね。

なので、経験を積めば積むほど、我々の知識は豊かになっていくはずなのでありまして、これは、来世があるとしたら、その来世の自分へのプレゼントでもあるわけですよ。

そんなことを考えていたら、田圃の監督さんが眠い目をこすりながら登場して、昨年よりもずっと分蘖もすすんでいて、今年は収穫量がいいのではないかという嬉しい事を言ってくれましたね。

来年一年分、いや、それ以上の米が備蓄できたらね、そりゃうれしいですよ。

というわけで、毎朝の田圃通いは明日も続きのであります。

その後、10キロほどトレランして、今、事務所で仕事中。事務所のクーラー壊れたので、辛いわ!

posted by ロビオ at 14:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする