2017年07月07日

タオ・サーフィン

刈っても刈っても生えてくる田圃の雑草。

とくに、コナギという雑草なんだけれど、これだけ同じ種類の雑草が生えるというのは、環境が単一化されてるからなんでしょうね。

田圃とか畑というのは、自然というより人工的なもので、そこでは、自然のバランスが崩れている。そうであるから、かくも激しく単一の雑草だけが優勢になっているといえそうである。

ところで、除草剤の撒かれている田圃は、死んでいるかのように雑草が、生き物が、沈黙している。

これは、恐ろしい。

雑草の蔓延る田圃のも、一部その除草剤の撒かれている田圃の水が流れているところがあるが、そこには、雑草は生えない。

これは、自然云々という以前の問題で、これでは地球が滅びるのではないかと思えるのだ。

都心の事務所の近くに昼時になると、弁当屋さんが日除けパラソルを差して露店で商売している。肉をふんだんに使ったハンバーグ弁当やら唐揚げ弁当が均一価格360円で売りに出されている。

都心の梅雨時の正午は30度を超える暑さだ。

この湿気と暑さで、あっという間に、自然のものであるならば、腐らないといけない。

しかし、腐らない。大量の弁当がうず高く積まれて直射日光が当たっているものもあるのに。

食中毒を出さないためには、こうするより他に仕方がないのだろうけれど、これも、自然の営みに対抗するようなものである。

莊子に「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」というのがある。

機械を使うと機会を使った仕事が増え、そういう機会が増えると機械に頼る心が生じて自然からどんどん外れた生活になってしまうというほどの意味である。

効率性や生産性を考えた人のこのだけを考えた賢しらの技術が、世界を壊そうとしている。 政治でも経済でも教育でも農業でもそれは同じだろう。

私たちは、自然から離れて、どこまで遠くへ来てしまったのだろう?

防腐剤やら除草剤を使えば使うほど、社会はそうしたものなしで生活することは不可能になり(コンビニで24時間弁当なんて買えないだろうし、、米の値段も破格に高くなってしまうだろうし)、言い得て妙だと思うのである。

自然という流れに乗ることが一番労少なく力強く間違いがないものであるということを「老子」で知るのだけれど、いつぞや、そんな自然という波にサーフィンする姿を思い浮かべて、これが理想の生活だ!なんて夢想していたのは随分前のこと。

それには、技術もあるだろうし、自然を確知する智恵も必要だろう。しかし、その道(タオ)に従った生き方をすれば、人の賢しらな技術を超えた、本当のあらゆるものに応用できる技術が獲得できるだろう。

タオはそこらじゅうに遍満しているという。まるで、印度哲学のブラフマンのようにだ。そのタオを探し求めて、音もなく押し寄せてくる波にサーフボードで同一化し、この世の中を滑っていきたい。

そのタオの流れに棹ささず、そのまま流れていくに任せるそんなやり方もあるだろうし、これが一番合理的な方法であるはずである。

そうした農法を考えながら、今朝も、せっせと夫婦で雑草取り。

毎朝、コツコツと小一時間。

パンを焼き、老子やインド哲学を学び、Yogaをして、後先を考えないで仕事をし、瞑想する。

二項対立の相対的な世界から飛び抜けて、絶対的な世界に降り立って、そこから生じる知恵が何かを教えてくれるかもしれない。

そのための、ベンキョウも怠り無く、自然の波にのって、どこまでもサーフィンして行きたいのである。

posted by ロビオ at 10:38| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする