2017年07月04日

雑草が猛威

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無農薬で長年稲作りをしている田んぼには、びっしりとコナギの葉が水面出でてきている。先週は、水面下だったのに!

4時30分頃は、もう既に暗くなっている。ちょっと前にはまだ明るかったのにね。これから、どんどん朝日の出が遅くなる。

お隣の農薬を使っている田んぼは、ほとんど雑草が生えていない。

雑草が生えないのなら、こんなに楽な仕事もないだろう。

しかし、自分の食べるもの、農薬なしでやりたい。

自然との直接的に繋がる生活は、体を心を元気にさせてくれる。

農業や教育や政治を効率性の面から考えてはいけない。

それは、時間をかけて、無駄な知識だと思えるものを吸収し、そうして得た知識を様々なものと結びつけて、人生を豊かにするものでなければならないのだ。

手間ひまをかけた無農薬の野菜と、大量の農薬を使った野菜とで、味に違いはないかもしれない。

しかし、ガンディーの言うように、「善いものはカタツムリのような速さでやってくる。」

その手間隙をかけた時間の中で得られた経験、知識は、必ず、自分のものになって有益なものとしてゆっくりと還元されるはずである。

結果の問題ではないのだ。その過程に、人生のアイデアが沢山詰まっているのである。

結果だけを求めて短絡すれば、多くの過程をないがしろにする。そこに、大きな智恵があるものなのに。

しかし、雑草取りは重労働だ(が、楽しい)。

前世で撒いた種を現世で刈り取るという比喩があるけれど、まさしく、前年に撒き散らかされたコナギの種が猛威を振るって発芽している。

しかしながら、人類の文明のもっとも進んだ携帯としての稲・・・人間が過去数万年か、それ以上、品種改良を加え続けて、現在の奇形の稲ができあがったわけであるが、その稲も元気に育っておる。

人間の文明と自然がここで激しく生存競争をしているわけで、諸君!、我々は、人類を代表して、その文明の灯を絶やさないように、自然と闘っているのである!

 

(これは、名著。)

土日にまとめて長時間すれば、いずれ嫌になってしまって、無農薬の米をお金を出して買うようになった方がいいんじゃないの?なんて気もおきかねない。

そこで、早朝日の出と共に、田んぼで、小一時間を雑草取りにあてている。

これなら、嫌になるほどの労働ではないのでな。

今朝は、二日に1度焼いているパンを焼く日に当たっていたので、30分だけザクザクと鎌で雑草を刈ってきた。

裸足で、泥の中に入れば、足を土で包囲された感覚が楽しい。

30分でできる仕事量は、10平方メートルくらいだろうか?

二人で、20平方メートル。

一反が330平方メートルで、全体が600平方メートルくらい?あるから、やってもやっても終わらない感じ。

カルマヨーガ的に言えば、行為のために行為をすることが大切で、自己のカルマを刈り取るように、雑草の種を刈り取るのだ。

posted by ロビオ at 10:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする