2017年06月13日

ネオン・デーモン 他1本 早稲田松竹

毎週のように早稲田松竹へ行っている。

今週は、「ネオン・デーモン」と「五日物語 ―3つの王国と3人の女―」という映画を見てきた。

昨年の12月に、僕に何が起こったか忘れたが、とにかく、今まで、週末は近所の野山で走り回った犬のような生活をしていたのだけれど、それを改め、土日は都会に出て、映画、美術館、博物館に行くことに決めたのだった。

それに、溜まった仕事をこなす為にも都心にでる必要もあり、朝と夜にインド哲学の勉強会に出席しているので、野山を走り続ける訳にはいかないのだ。

というわけで、野山を走るトレイルランは、早朝1時間から1時間30分くらい近所の里山を周回している。

久しぶりに1時間30分を、心拍数を上げながら走ったら、立ちくらみがしたので、長い間眠っていた心拍計を胸に巻いて、マフェトン心拍域(最大130)で運動量を制限しながら走ることにした。

ヨーガをやり始めて、手のひらに棒を垂直に置いたように、骨盤に背骨が垂直に乗っかっているような安定感を感じるし、ハムストリングスの異常な固さも、ずいぶんと柔らかくなり、全体的にゆらゆらと体が全体で衝撃を吸収しているような耐震構造の体になったかのように思える。

バンダを加えたナーディ・ショーダナという呼吸法も、肺を広げてくれているみたいで、呼吸するのが楽になっているのかもしれない。

ヨーガとトレイルランは仲良しさんなのである。

食べ物も、ビーガン風に戻した。

寝る前にヨーガは1時間欠かさず。

何事にも限度を見極めず、やり過ぎてしまう欠点があるので、やや抑制しながら、心身の健康面を考慮して、一人で毎日旅立っているわけだ。

さて、映画の話だが、先日、ヨーガ教室の初心者用クラスで学んだことは、我々の悟りに至る道を塞ぐ「6つの敵(シャダー リプ)」についてだった。我々は、これらの感情に支配されないように注意深く自分の内面を考察しないといけない。不幸になるから。

その1 カーマ(欲情)

その2 クローダ(怒り)

その3 ローバ(貪欲)

その4 モーハ(執着)

その5 マダ(傲慢)

その6 マッチャリア(嫉妬)

である。

この日見た映画、たとえば、「ネオン・デーモン」は、まさに、これらの要素で分析すると、こじんまりとしたなんでもない話になってしまう。

というか、ほとんどすべての映画をこの6つの視点からみると、とても話の内容が整理されてしまうのがわかるだろうと思う。

ことほどさように、この6つの感情は、誰でもが共有している、いわば人間性の証明とも言うべきもので、これらの要素が交わって、ドラマが生じ、これらを克服したところに到着点を置く映画や小説は掃いて捨てるほどあるだろう。

これら6つの「敵」が生まれるその根本は、無知にあるのだけれど、その無知から生じた欲望から生じている。

また、これらの6つの感情は、私たちの行動を起こすエンジンのガソリンにもなるので、一概に悪いとは言えないのだろうが、こうした感情はない方がずっといい、という地点に私はあこがれる。

「ネオン・デーモン」という映画では、その5のマダとその6のマッチャリアつまり、傲慢と嫉妬が物語の通奏低音として響いている。モデルとして、とんとん拍子に出世する主人公が他の者に有する優越感。そこから生じる傲慢。

主人公のモデルとしての容姿、才能に対する劣等感。そこから生じる嫉妬。

劣等感や優越感が生じるのは、人と自分が異なる存在であると認識しているからこそ生じる感情で、

 

この二つの感情が物語を動かしているのが、よくわかる。

誰にも共感できる人物が生じないようにわざと作られている映画ではあるが、こちらに馴染みのあるこの二つの感情が物語を安定させ、理解させる道具として使われている。

という風に、インド哲学を学ぶと、映画を理解する着眼点ができるし、嫉妬や傲慢に対する深い理解ができているから、話を掘り下げることもできるのが、とても面白い。

週に2本から4本、映画館で映画を見れば、つまらない映画にも出くわすのだけれど、インド哲学で学んだものを、現実の社会にあてはめ、理解するための勉強として考えると、つまらない映画もいい素材になってくる。

posted by ロビオ at 10:24| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする