2017年05月23日

酔生夢死の人生だけは避けたい

2日に1度、パン種が冷蔵庫の中でちょうど良い具合に発酵するので、パンを焼くのが朝の日課となって幾星霜。

暖かくなったので、冷蔵庫の温度も上昇しているのかしらん?やや過発酵気味ではあるのだが、さらに、二次発酵させたら、どんなパンが焼けるかね、と思ったので、山に走りに行く間、冷蔵庫からテーブルの上に置いて久しぶりにトレイルを走ってきた。

感覚で味合う楽しさというものは永続するものではなく、こういうものに捕らえられると、人生の真実に気づく前に、命の炎が消えてしまう、とある日突然気がついて、インド哲学を勉強し始めた。

「酔生夢死」。何も価値のある事をせず、ただ生きていたというだけの一生を終えること、と辞書にはある。

まさに、自転車に乗り、トレイルを走って感覚的な快楽に身を浸して、気づいてみたら10年があっという間に過ぎ去ってしまった。このままでは、酔生夢死してしまうじゃないの。

まさに、夢を見ているかのようなこの10年。

価値ある人生とは、オリンピックで金メダルを取ることでもなく、総理大臣になることでもなく、億万長者になって他人を見下すことでもなく、ローンを返済する為に会社で働くことでもなく、社長になることでも、幸せな家庭を築くことでも、子供を育て上げることでもなく、有名人になることでもない。

そうしたことのすべてが、本当の自分を知ること、本当の世界を知ることに繋がるような生き方である。これにつきる。

こう言うと簡単なことであるけれど、ウパニシャッドの表現によれば、カミソリの刃を歩くほどの険しさと難しさがあるのだと。

自分の心は、自分を完成させる事業を行えと常日頃自分自身に語りかけていたのだろうが、その聞く耳を持たず、一日一日が充実していればそれで幸せだとうそぶいて、恥ずかしくもそうやって何十年も生きてきたのだった。

何も悟らず、人生の真実というものがあれば、それを探求しようともせず、感覚的な快楽に身を置いて、これが充実した人生だと勘違いしていたことに、ある日ふと、『酔生夢死』という言葉をどこかで読んで、気がつき、このままでは、私の人生が取り返しがつかないことになると激しい後悔の念とともに悟ったのでした。

その方法はどこにあるんだろう?と思ったところ、25年くらい前に足繁く通ったヨーガ教室を思いだし、その頃読んでいた佐保田鶴治先生の『ヨーガ入門』という素晴らしい入門書を本棚から探り出して、読んでみると、まさに僕が感じたことが、そのまま先生の言葉として書かれてあった。

なんと、ここに来るまでに、その時から25年もかかってしまった。

そうは言うものの、やはりトレイルを走ることはとてもの楽しい。この自分の体は、本当の自分ではないとヨーガは教えるけれど、肉体は、「でない」ことを教える大切な物質であることは確かで、それを大切に鍛えることは無駄ではなかろう。

というわけで、日曜日の裸足マラソン大会で、こっそりと裸足ランニング倶楽部?の代表吉野さんの走り方教室を横で聞きながら、その走り方を思い出して、練習したのでした。

家に帰って、パンの二次発酵は、だれ気味で、発酵させすぎたかしらん?とも思ったが、焼いてみたら、気泡もまあまあ満足するような具合で入っていたので、合格点でしょう。

どこかのだれかに妻が持って行くそうで、これまた売り切れ。

posted by ロビオ at 10:37| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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