2017年05月17日

交通違反

この世の中に生まれたのは、学ぶためであるというふうに考えている。

学んで完成を目指すこと。これが、人生の目的である。

理不尽な扱いを受け、悲しみに落ち込み、自分のしたことが恥ずかしくてしょうがないとき、ふと、感情に流されてしまいがちなのだが、そのときは、これも学びだと、このことから教訓を得ようというふうに考えると心が落ち着くことが多いようだ。

先日、交通違反で捕まった。

1点減点、6000円の罰金。

昔の自分なら、自分の違反のことは棚に上げ、交通巡査はまっとうな仕事をしているだけなのに、見当違いの怒りで心を千々に乱され、自分の不運を一方的に呪ったことであろう。

あわよくば、自分の違反を見逃し給えという欲望を、摘み取られ阻止された結果の怒りである。

しかし、交通法規を守らなければ、交通事故を引き起こしたらそれは只ではすまされないし、こちらの命も危ない。

交通法規も、各条文に理にかなった理由がある。

こちらには、理にかなった正当な理由がない。

たしかに、私の行った行為は、他人にも自分にも危険を惹起させる行為だ。

これは、誰の為にもならない行為である。

そういうことに気づかせてくれたという点で、自分の為になっているのだというふうに考えたら、否定的な気持ちがすっかり消えてしまった。

こうした行為を行わないことで、未来の自分が交通事故を起こすという可能性を狭めてくれたかもしれない。ひょっとすると、この罰金6000円で、自分の命が助かるのかもしれない。

交通法規の罰金は、授業料。以後、同じような間違いはしないと気をつけるだろう。

こんな風に考えて、巡査と別れる際に、「どうもありがとうございました。」という言葉が口から自然に出たのには自分で驚いた。巡査もきょとんとした顔をしていたけれど、まあいいだろう。

私以外のすべての環境を変えることはできない。しかし、自分が変わることで、世界の有り様は変わっていく。

思い通りに世の中はならない。しかし、自分が変わることで、世の中はどうにでもなるのではないか。

こんな風に、学んだ訳であります。

posted by ロビオ at 08:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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