2016年05月28日

カンパーニュとねじまき鳥クロニクル

4度目のカンパーニュ(ライ麦入り田舎風パン)で、まあまあ満足のいくパンが出来上がった。手間隙がかかるので、早朝のジョグとの時間調整が難しい。そして、夜焼くときは、ヨガをやりながら、発酵時間と焼き時間を調整したりして、同時に2つんことをやるマルチタスクは、年をとるとだんだんできなくなるね。そうならないように、練習練習。
田中宏曉教授の『スロージョギングで人生が変わる』という本は、以前図書館で借りて読んでいたのだが、ちょっと気になったので、購入してふむふむと読んでみた。
今の練習方法に間違いがないことを確信しつつ、どこまで行けるか挑戦してみよう。
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』読み始めたら止まらず、一気に3巻まで。
最初読んだ時は、村上春樹もここまで!と勝手に限界説を感じたけれど、どうしてどうして、フィクションの世界に取り込まれて、久しぶりに時間が飛ぶ。
人は、物語を通してでないと現実を理解できない。ある自分に起きた事件を理解するためには、その事件の起こった過程を物語にしないとそれを説明することができない。現実はフィクションであり、そのままの現実は、時と空間と物との関数を表した数値にすぎず、それを現実のものにするには、物語って数値に肉付けないと理解できないように人はできているのだね。
だからこそ、人生は変えられる、そして、過去も書き換えることができる。
ということを色々と考えながら、荒唐無稽な話が現実を帯びる村上春樹のマジックタッチを堪能しており〼。
これは、技工云々の問題ではなくて、『ねじまき鳥クロニクル』の例をとって考えると、井戸の底深く潜り込んで、人の共有できるアカシックレコードのようなものの世界で見聞したことを体験として作者の体を媒介として筆先から自動筆記のように溢れ出てくる文章が我々の心を揺さぶるのだろうと。
そういう特異な能力が持てるもののみが、その深い井戸の底までたどり着くことができるのであって、そういう体力が必要なんだね。
人に共感できる能力というのもそれに近いものがあるのかもしれない。
そんなことを思いしたのでありました。
さて、パンをこねたら、ランニングに出かけよう。4時間ばかりのんびりと走ってこよう。
posted by ロビオ at 08:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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