2015年05月26日

私にはピッタリのPanasonicの鉄フレーム

Panasonicの鉄のフレーム。

悪くない。ちょっぴり重いかもしれないけれど、まあ、こんなもんかと思えば、峠を超える坂道でも、悪態をつくこともない。

古い自転車を大切に乗り続けている人が好ましいと思っている。

が、それには、愛着が湧くものじゃないと、なかなか大切にしたいという気持ちが起こってこない。

カーボンのフレームは、長年にわたって愛着出来るような気がしないのは、どんな形にも成形できるから、3年も経つと、型落ちの車のような古さが出てきてしまう。

どんなに高価なフレームであっても、レースのために特化した、その場限りの成果を得るために作られた、期間限定の、使い捨てのものであるような気がする。

天然素材の家が、10年20年と、時の経過によって、景色に溶け込んでいい感じにくたびれるのに反して、化学製品で囲まれた家が、10年経つと廃墟の香りが家の隅に忍び込んで来たような気がするのと似ているんじゃないか。

一事が万事。

0524robio

↑ 先日作ったカレー。美味かった。

イデア界から自転車を取り出したら、きっと鉄のフレームの自転車がそこから取り出されるだろうね。

目新しい物、電通が宣伝するもの、新しいテクノロジー、そんなモダンな世界に背を向けたわけではないが、もっとファンダメンタルで、ラディカルなものに興味があるんだな。

保守的。

自分は、保守的であるのは間違いないらしい。

憲法も、経済も、社会も、今後の日本の姿も、これまでどおりの紆余曲折で、行くべき道をたどればいいと考える。

革新的な現政権には、異議の申立てがある。

音楽の好みは、1960年台のロックと、1950年台のジャズと、ロマン派のクラシック音楽が好きだ。

読書傾向も、古典が多いし、現代作家を読むことは稀であるし。

基本から、根本から、原理から派生して生み出すものに、嘘偽りがないものだし、おおいな生命力があるんじゃないか?

腹圧、肩甲骨、骨盤・・・ここから生み出されるパワーは、体を動かす初動になるとても大切な場所だ。

哲学的な問いに還元できないような問題は、とるに足りないものかもしれない。

また、自転車に乗って、誰も通らないような山道を一人で、黙々と色々なことを考えながら、走ってみたいという気分になっている。

誰よりも速く走りたいとは全然思わない。

自転車は、思考するための良き道具なのだからね。

posted by ロビオ at 10:06| Comment(0) | 自転車(ロード) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。