2012年01月01日

50年目の元旦の感慨をば

本日元旦。

昔は、皆、この日に、一つ年をとった。だから、めでたい。日本国民全員で誕生日を祝うこの日。わかりやすくていい。

誕生日なんて言う個人主義的な記念日なぞ面倒でイカン。だいたい、最近では、自分の誕生日さえ、あやうく通り過ぎてしまいそうだ。

誕生日に意味はない。ただし、ひとつの目安にはなる。

そもそも、生まれた日なんて言うのは、2度と訪れては来ないフィクションだ。それは、通りすぎてしまった過去の日。

ならば、わかりやすいほうがいい。元旦が来れば、一つ年を取るのだ。全国民がそれぞれ祝って、それでおしまい。

だから、旧例に則って、誕生日が来る前に、50歳の宣言をする。

よくぞ、50まで生き延びた。

20の頃、自分が50になるなんて信じられないし、想像もつかなかった。不潔な感じがしたし、おじいさんだったよ、20の自分から見た50のオヤジというのは。息が臭くて入歯ガタガタで、よぼよぼしていて。

しかし、50の舞台にたってみれば、なんの魔術も必要ないほど、いともたやすく、そこに到達して、しゃあしゃあとしている厚顔無恥の自分を発見する。

自分が50になってみれば、髪の毛だってまだやや後退はしたけれど生えているし、白髪も殆ど無いし、歯は親知らずも含めて全部まだ口の中にあるし、結構な距離を走ったり、自転車に乗ったりしていたりする。へえっ、50っていうのは、結構若いのかしらん・・・と主観的には思う。客観的には、もはや、ジジイなんだろう。

しかし、まだまだ、老成することなく、しぶとく生きるつもりだ。

一度生まれてきた以上、精一杯生き抜くことが、人それぞれの使命だと思っているので。

とにかく、昨日の自分より、今日の自分が良いと思えるような生き方をすること。

いま、ここに、しかあり得ない自分の生というものを、味わい尽くすこと。自分の立場は、いまここにしかないことを常に肝に命じておきたい。

そして、ある日、風のように、何も残さずに、この世から消えてしまえば、本望だ。

一度っきりの人生だ。どこかで聞いたような人生ではなく、他人のために生きる人生でもなく、金や名声を求める人生でもなく、会社のためや、家族のためという詭弁を利用してエゴイスティックに自己を正当化するような生き方でもなく、単純に「自分の自分による自分のための」人生というものを生きるだけ。自分というフィルターを通してから物事を判断しないと、本質には迫れないと思うので。

これが、50年目の元旦の感慨。

posted by ロビオ at 20:22| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
良い事、おっしゃる。僕も50歳のMTB愛好者です。一般欲望などにかまってはいられませんな。一度きりの人生。
Posted by souyar at 2012年01月21日 15:00
コメント有難うございます。
ボクは、どこかで取ってつけてきたような話を聞くとむかっ腹を立ててしまう人間のできていない50のジジイです。
これからも、思ったことを書いていくと思うので、これからもよろしくお願い致します。
MTBも楽しいですよね。ボクは、マウンテンバイカーって呼ばれるのが、一番嬉しいです。
それでは、また。
Posted by ロビオ at 2012年01月23日 11:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。