毎日規則正しい生活リズムでやり繰りしているので、土曜日の同窓会のように、いつもは10時には寝ているのに、そんな時間を過ぎて酒をのんだり、慣れない多人数の人と話し合ったりするというイレギュラーな要素が入り込むと、途端に調子が悪くなってしまう。
そんなわけで、日曜日は、二日酔いのせいだけではなく、体がだるくてしょうがなかった。
やはり、規則正しい生活がボクには合っている。昔のボクを知っている人には笑われちゃうけれど、早寝早起き、したくないことはしない、無理をしない、義理は欠く、大多数の人がするようなことはせず天の邪鬼に暮らす、そうした凡庸で平常の日々をこよなく愛するのだ。
というわけで、今日は、新たな再生の日と位置づけて、早朝のジョグから一日を始める。
二日続けて休んだので、久しぶりに散歩に出かけることを許された犬みたいに、尻尾があれば左右に大きく振って、外に飛び出したんである。
意外に暖かい。昨日の暑さがそのまま保存されている感じだ。
気がつけば、もう少しで誕生日だよ。クソ面白くもねえや。「ボクは二十歳だった。それが人生で一番美しい時だなどと誰にも言わせない」という「アデン・アラビア」の冒頭の言葉を嘯きながら、やり繰りしていらい、自分の誕生日なんかどうでもいいや。昨日と今日が変わらないように、誕生日と他の日の違いがわからない。
最近では、誕生日すら忘れてしまいがちだ。今年は、免許の書き換えで嫌でも思い出させられたけれど。
それよりも、1日1日を充実させることだ。その日を、確かな記念日にするように、なんでもいいからその日に刻みつけたと言えるような充実した日にしたい。
そして、ビックリしたことに、来年年男だと言うことが判明。がっくりだよ。残された時間は、意外に少ない。
年を取ったって、丸くなる必要は全くない。シリトーの「長距離走者の孤独」の主人公のように、ゴール手前で足踏みしてやるんだ。気迫を見せるんだ。そのためには、体を鍛えないとな。体力勝負だ。ゴール手前までたどり着かなきゃ、意味ないもの。
そのためには、毎日入念に一本一本磨き上げるように歯を磨き、髪の毛の皮脂を石鹸で洗い落とし、昨日食べたカロリー過多の食事の贖罪にと絞首台に登るごとく体重計に乗り毎日の体重を書き記すんだ。体の手入れを怠りなく。
太ることは、やはり怠慢だ。セルフコントロールすること。制御すると言うことは、バッサリと切り捨てること。しかし、ボクにこれ以上腹の周りにたっぷりくっついた脂肪の他に切り捨てるものが残っているかどうか。
切り捨てる度に透明感を増していったのは、「ライ麦」のホールデン・コールフィールドだ。最後には、何もなくなって、病院送り。捨て去ることも、難しい。つまり、制御はかくの如く難しい。終盤、彼は人ではなくなったような気がする。
この世の中に、本当に価値があるのかという疑問は、実は、価値があるとも無いとも言えないというところが本当のところだということを、丸山健二の本を昨晩寝ころんで読んでドキッとした。だからこそ、面白いのだと。なるほど。
二日休んで足が軽い。足がアヒルが早歩きをしているように、小幅でするするとテンポ良く前に降り出される。骨盤を回し、足が勝手に前に出るようなイメージで走る。
心拍数は、130を超えない。このくらいだと、考えることに神経を集中できる。血の巡りが良くなって、頭に多量の血液が流れ込むから、考え事をするにはジョギングは最高のスポーツだという。
イメージが頭の中で流れ出して、勝手に夢を見ているような気分になることがある。これもジョギングの醍醐味だ。ギャグが面白くて、吹き出して、走りながら大笑いすることも年に何回かはある。が、後で思い出して、その何処が面白いのか、さっぱりわからないし、多少おかしくとも、妻に聞かせても、たいていが滑る話であることが多い。
脳内麻薬のなせる技なのか?だから、ジョグ中の考え方が、正しく考えているのかどうかは当てにならないのだけれど。

