台風一過なのか、夜明け前の空は、分厚い氷を叩き割ったような雲が散乱して、生暖かい空気が固まりになって、そこかしこに落ちていて、時折、そんな場所を走りすぎると、温室の植物園の中に入ったように、むっとするのだ。
晴れて良かった。
が、2日ぶりに走ったからなのか、体が重い。左の腓骨の筋肉が固まっちゃってどうにもならない痛みと腫れを感じる。
走り方が悪いんだろうなあ、とは思うのだけれど、そこの筋肉を使わずに力を抜こうとしても、ますます、ジンジンと固まってくる。
心拍数は、丁重で、普段なら楽勝に走れるコースなのに、「今日は走るの止めちゃおうかな」という弱気が出てくる。何とも、ジョグに乗れない。
今日のMp3プレイヤーは、4ギガバイトの容量のカウオンという韓国製のもので、その中には、「日本の名詩」というCDがはいっていて、しかも、123巻すべて入っていて、シャッフル機能をオンにすると、詩の朗読が流れて、それが終わると、例えば、サイモンとガーファンクルの「水曜の朝午前3時」という曲が流れたりする。落語あり、長唄あり、都々逸あり、相撲甚句あり。
なんか、FMの詩の朗読を中心にしたような番組を聞いているようなのだが、たまには、こういうのを聞きながら走るのも悪くはない。
ところが、昔の文語調の詩というのは、聞いただけではわからない。
有名な「ああ大和にしあらましかば」は、以下のとおり。
ああ大和にしあらましかば 薄田泣菫
ああ、大和にしあらましかば、
今神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩へ。平群のおほ野高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字、
百済緒琴に、斎ひ瓮に、彩画の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす芸の宮、斎殿深に、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
美酒の甕のまよはしに、
さこそは酔はめ。
「ああやまとにしあらましかば」というフレーズだけは、知っていたのだけれど、こうして、すべてを聞く体験は、全くなく、この調子で延々と続く長い詩なのだけれど、聞いただけでは、ちんぷんかんぷんだ。
で、言葉で読み返すと、だいたいの意味はわかるけれど、脳味噌の表面を滑って、なかなか鑑賞する、というまでにはいかない。鑑賞するということは、評価をするということで、知的な理解が必要だから。
ボクは、とても好きな詩だということがわかったのは、優れた参考書をつい最近読んだから。
岩波文庫の「詩を読む人のために」三好達治著。
この中に、懇切丁寧に語句の解説と読みどころが書かれている。興味のある人は、この詩の箇所だけでも立ち読みするべし。
こういういい詩は、暗記してしまおう。
豪華絢爛な奈良文化の中に、トリップして入り込んだように恍惚と、言葉が作り出す風景を観賞すればいい。
奈良観光の優れたコピーライトにもなっているし、言葉によって、微妙な光の明暗、空間の奥行きが、見事に描かれていているのに驚く。
そして、読む度に新たな発見というか、理解が進む。明治の人は偉かった。
そんな風に、詩を聞きながら、ジャズが流れ、ビジネス英語が流れ、ロックが流れる。「ながらジョグ」で、いつもの右脳左脳美杉台トレというか、ジョグを終了。楽しかったけれど、体が重かった。

