アタック299で痛めた膝がどうもいけない。
常に軽い痛みがあって、押すと痛い。
膝を痛めなければ、あと、30分は、時間短縮できたはず。当面の目標は、来年のアタック299だから、これは、しっかりと、治さないといけない。
そんな風なので、天気も悪いし、寒いから、ジョグは止めておいた。
午後から、司法書士会の年次研修。
府中市のNTT東日本の研修センターにて、午後1時から6時10分まで。
講義を聴いた後に、10名程度の小グループでディスカッション。発言も少ないこともあって、ついついぼく一人で喋ってしまう。何事も楽しまないといけない。時間が経つのがその分早くなるし。
この研修の内容は、「司法書士倫理」というもので、司法書士として何をしてはいけないか、何をしなければならないかに関する話。犯罪行為や反社会的行為は論外だが、プロフェッショナルな職業としての高度にかせられた倫理について話し合う。
我々にとって切実な問題であるから、常日頃考えていることが、頭のどこかに大量に蓄積しているので、こういうディスカッションという吐き出し窓があると、我知らず次から次へと意見が出てくる。
こうした意見をきちんと公の場で議論したことは少ないので、議論するための語彙を、的確に議論のための文体と言うべき話し言葉に、滑り込ませなければならないので、最初はもぐもぐとしてきたけれど、一旦慣れてしまうと、非日常的な語彙と特殊な語り口が、次から次へと口の端から生み出されていくのに驚いた。
文学にとっても倫理というのは主要なテーマで、これまた切実な問題でもある。
ボクの読書の範囲は、文学を中心に読んでいるのだけれど、こう言うときには、具体的な事例がそれこそ山ほどにあるので、なかなか便利である。ああ、あの文章は、そういうことを言っていたのか・・・と、逆にこういう場で確認できる場合もある。
やはり、文学は、必要なものである。他のどんな有用な知識よりも、根本的なものであるという意味において。
もちろん倫理とは何か?という広大な答えのない曖昧模糊とした、あるのだかないのだかはっきりしないものに対する哲学的な問いに関し話したわけではなく、倫理規定という内部規律に、当該行為は該当するや否やという、行為の当否を話し合うという問題ではあったのだけれど、その規定の適用範囲が、抽象の極みで広範囲にわたるものだから、各自当該行為を解釈しないといけないわけで、なかなか難しいのである。
まあ、大多数の人にとっては、関係のない話。
久しぶりに、そんな風に頭が回転していくのを心地よく感じたけれど、やはり、我々の仕事に倫理というのは重い問題で、深く考えさせられた一日ではあった。
帰り、池袋で、湯麺と餃子を食べる。久しぶりの外食だ。
湯麺と焼き餃子が、大森当たりの工場の街が発祥の地である、という説を偶然、片岡義男の「白いプラスティックフォーク 食は自分を作ったか」という本で紹介されていた。
今でも、滝野川の実家のの右斜め前にあった中華料理屋でさんざん食べた中華料理がボクの舌の基準になっていて、薄い透き通った塩味のスープに、もやし、キャベツ、豚肉をラードで炒めたものが上にのっかている湯麺をよく食べたのだけれど、池袋東口のかつてホウリンドウという本屋があった並びの中華料理屋は、そのままずばりの懐かしい湯麺だった。餃子は、ジャンボ餃子で、普通の3倍はある大きさのものだけれど。
北区・豊島区・板橋区、ボクの地元のこの当たりの湯麺や、今や絶滅寸前とマークさんのブログで紹介されていた五目そばは、未だ健在である。ここにも、五目そばのメニューがあったし、事務所の近所の中華料理屋さんにもメニューがある。
が、昨今、どんどんこういう個人経営の中華料理屋さん(中華料理と書かれた提灯とのれんがさがっているような店)が無くなってきているのは事実だ。板橋の御代代商店街にも、おいしい五目そばを食べさせてくれる店が無くなった。あと、5年も経つと、後継者はいないだろうから、湯麺、五目そば、(普通のなるとの入っている)ラーメンなんか、そのうち、食べられなくなってしまうかも。
食べ歩くなら、今しかないのだけれど、体重増も心配だ。自転車で食べ歩こうか。
たらふく食って、翌日体重を量ったら、やっぱり、だけれど、まさか、まさかのの体重増。
せめて、走っておけばよかった。

