膝が腫れて痛むので、馴染みの整形外科に通院し、レントゲン写真を見ながら、骨に異常がないことを確認。まあ、これは打撲した記憶がないので、想定内のこと。
で、この膝の皿の下あたり、骨がぽこっと突き出た当たりの先端部部が痛むのだけれど、ここが痛むのは、小学生など体の成長が未熟な時に痛めることが多いらしく、大人になってここを痛めるのは珍しいらしい。
なんでも、足を持ち上げてぐっと下に踏み込むような動作をするときに痛めるのだそうで、これはまさしくペダリングのことかい、と、土曜日日曜日に重いギアをダンシングで踏み込む動作を何千回も行った事による障害だったのかと妙に腑に落ちたのだった。
「一個人が、現に自分がもち、またもちうるかも知れぬすべての関心や目的を無視して、自分に内在する意思の血潮のすべてをある対象にそそぎ込み、この目的に向かってすべての欲望と力を集中させるとき、個人の全重量に込められたこの関心を情熱と名付けることができる」
という文章に、ヘーゲルの「歴史哲学講義」の中で出会い、これって、一心不乱に坂道でダンシングペダリングしているときの様じゃないか、と驚き、あれって、「情熱」に近い感覚なんだと合点して、以後こうしたペダリングを「情熱」と呼ぶことにしたのだった。
「情熱」も度が過ぎると故障を引き起こすこと、歴史が物語る以前に、僕が体験してしまったわけだ。
というわけで、膝を壊して無理を重ねると、どれだけ長引くかは、登山初心者の頃大いに味わったので、運動は即中止。
朝5時前に起きて、ヨガを行い、ソファーでちっとも前に進まない岩波文庫の哲学書の文字の配列を縦に目を滑らせ、なんとか、単なる無意味に思える文字の配列が意味を持ち出して腑に落ちる事にはならないかと期待しながら、丹念に字を読むのだった。
しかし、ヘーゲルの「歴史哲学講義」は、読みやすい哲学書らしいが、ホントかね?確かに、とりつく島がないほどではないけれど、僕にとっては、麦草峠クラスの大きな峠に取りかかった様な気分で、体力を消耗しながら読み進めているのだ。
上下巻あるので、これで2ヶ月は、楽しめる(苦しめる)。今まで、現象学入門とか、ヘーゲル入門的な本を読むことが多かったけれど、やっぱり著作を読むにこしたことはない。
それらは、「入門」という名の本を隠れ蓑にして、解説者の学者的野望を満たすためといっていいほどの偏向した意見に基づいて書かれたものが多く、かえって難しくというか、訳がわからなくなるものだ。ぼく達は、前人未踏の地平に到達した天才の考えをなぞることが読書の妙味であって、一般人の大学教授の文章を読みたいわけではないのだから。
次は、二ーチェの「善悪の彼岸」だな。やはり、ニーチェは面白い。
というわけで、そんな日々を数日。痛みが完全に切れて無くなるまで我慢。自分でも驚くほど我慢した。
昨日は、少し痛みが残っていたのだが、今朝は、全く痛みがなかったので、10日ぶりにジョギングに出かけたのだった。
走り始めて、違和感は少しあるものの、痛みは無し。腫れは少しあるものの、まあ、ゆっくり走れば良いだろう、といことで、心拍数は、130に設定。
10キロを65分の超のんびりペースだった。
不思議なことに、この10日間ジョグしなかったのに、体重は、64キロ当たりで安定。
これに、ジョグが今日から始まったので、来週は、63キロ台で安定するように、積極的にダイエットに参加できる。

