2017年07月20日

天からの贈り物

足の裏が痛くて、本格的にランニング・トレーニングをすること能わざる状況で、鬱なんだけれども、何ヶ月か前、整形外科で診てもらったところ、レントゲンの結果では異常はないことになっていて、そのときに、医者に足の裏のマッサージが良いとは言われていた。

なんでも、ゴルフボールを足の裏に置いてグリグリと体重をかけて前後左右に転がすようにするのだ。

医者の言うことをすっかり忘れていたけれど、ふと思い出して、ゴルフボールを手に入れようと思っていたのだった。

1個幾らくらいするのか知らないけれど、ゴルフボールってどこか歩いていたら見つかるものだと思っていた。

ドブ板の下にゴミに絡まって浮いていたり、庭の片隅に半分くらい埋まって青い苔の生えかかっているのが見つかったりというイメージ。

そんなわけで、トレイルランをしながら、ウルトラQの愛すべき宇宙人、夜の国道1号線を走るケムール人みたいに、目をキョロキョロして探したんだけれど、成果ゼロ。

種種雑多なものが路地に落ちているような昭和な状況はとっくに終わっているのかも。

わたしのよく走る宮沢湖はゴルフ場に囲まれているからね、ロストボールが簡単に見つかるかと思っていた。

が、全然、予期もしなかった所で、ゴルフボールは見つかった。

早朝の田圃の草取りをして、泥土をほじくって、コナギやらヒエを根こそぎ引っこ抜いていたら、手に何か当たった。

鎌を置いて、そいつを握りしめたら丸いボール上の土の塊が手の中に残った。

水で洗い清めたり。

徐々に、白いぼつぼつと小さなエンボスが施されたゴルフボールが目の前に現れたのでした!

福岡県の志賀島で、百姓が鍬でカチリと音がして発見された漢委奴国王印の金印とまでは至らなかったけれど、わたしにとっては、こちらのほうが有用であったのだ。

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というわけで、こいつをヨガマットの上に置いて、足で踏みつけ、痛いところ、気持ちいいところいろいろあるが、数分足をマッサージしているのである。

その効果は?

まあ、1ヶ月位、やってみないと。

今日の教訓

本当に欲しいものは、そっちからやってくる。

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2017年07月18日

ひょっとしたら故障から復帰できるかも?!

両足の裏の親指の隣の第2指の付け根の関節が痛くて、この1年ほど運動は控えていてのだけれど、この3連休、田圃の草取りをした跡、連続3日10キロほどのトレイルを毎朝走ってみたら、痛みが軽減しているようで、なんだか嬉しい。

毎朝、気温は30度を超えて、パンツから汗が滴るほどの汗をかきながら、懐メロロックでリズムを刻んで、里山トレイルを走るというのは、この田舎町に住む理由の一つになっている。

なんで、足の裏の痛みが消えていきそうになっているのかを考えると、図書館で借りて読んだ『大転子ランニングで53歳でもサブスリー』という本を読んで、走り方を変えてから。

ふむふむと、この本の中で書かれていたモンローウォークみたいに腰をくねくねさせて足を着地するというやり方で走ったら、痛みが、随分と軽減しているのだね。

もっとも、そういう治る時期に来ているのかもしれないし、たまたまなのかもしれないので、明日の朝また痛みが酷くて、走る気にもならないほどの状態であるかもしれない。

このまま痛みがどんどん消えていってくれればいいのだけれど。

もちろん、ランニング中は、心拍数は130以上に上がらないように調整して、心拍計のアラームが130を超えて鳴れば、歩いて心拍数が下がるようにする(立ち止まるとブヨや蚊に食われるので)。

靴も、中敷きを取ると靴の中の足が動きやすくなるので、足が圧迫されないように気をつけている。

ところで、最近は、早朝に田圃で雑草取りに従事しているので、ウイークデイは、早朝のトレランができない。

というわけで、ここしばらくは、夕食後、夜に住宅地の坂道を登ったり下りたりしながら、ジョギングを楽しもうと思っている。

スマホ見ている夕食後の時間は、無駄だから。

posted by ロビオ at 15:41| トレイルラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月16日

映画『グリーンルーム』『ドント ブリーズ』

この三連休は、名画座で観たい映画も少なかったので、土曜日のみ新文芸座で『グリーンルーム』と『ドント ブリーズ』を観てきた。

まあ、製作者もよく考えるもんで、前者は、売れないパンクバンドがネオナチの輩が跋扈するコンサートに出向いて営業活動を行っていたら、殺人を見てしまって、監禁され殺されていく話で、後者は、若者強盗3人組が、盲目の退役軍人宅へ忍び寄ったら、この軍人に返り血を浴びて殺されていってしまうという話。

物語の前提のシチュエーションが凝っていますよね。

前者の『グリーンルーム』は、もう少し、ネジを締め上げれば、いい映画になったのにと思った。

サム・ライミがプロデューサーに名を連ねていたので、もう少しで切り落とされそうなほどナイフで切り刻まれた腕とか、犬に食いちぎられた喉笛とかが、リアルであった。

隣のおばさんは、キャッと声を上げて、映画館を出ていってしまったわ。

『ドントブリーズ』という映画では、目の見えない退役軍人宅へ押し入る若者が圧倒的に弱みに付け込んで強盗に入るというマイナス面を、聴力と嗅覚で若者を窮地に陥らせるその邪悪で異常な能力と助けを求める若者を無残に殺害するという人格的にこいつはやばいやつだ!というマイナス面で、どうにか強盗組と退役軍人を同等のものと扱い、さらに、この軍人が身の毛もよだつことを地下の部屋で行っているということで、2になり、若者強盗団が1ポイント上回って、ようやくこいつから逃げ出そうということに応援したくなってくるというふうに、バランスがとても良いわけですね。

二転三転、優位者が変り、最後の最後まで、先行きが見えないほど、凝っているけれど、とてもわかり易い映画で、満足しました。終わり方が続編を匂わせるような、まだ、物語は終わっていないという印象を与えていたのですが、ネットで調べたら、続編が決定したそうです。

どちらも、犬が大活躍。

というか、朝のトレイルを一人で走っているのだが、野犬に襲われたらコワイな。

posted by ロビオ at 09:54| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月15日

いつもの雑草取り

今朝も、日の出とともに、田圃で雑草取り。これで、今週は、毎朝田圃に出勤したことになる。

水の張っているところは、まだ除草しやすいのだが、水面に出た土には、ヒエの類の雑草がはびこっていて、稲がヒエに同化して、どれが稲で、どれがヒエだかわからない状態だ。参った!

丁寧に、ヒエを鎌で切り取り、稲に日が当たるようにはしておいた。根から抜くのは時間がかかりすぎて無理なので、稲に太陽光線が当たるように根元から刈り取っておいた。あとは、太陽光線と、栄養分を吸い取られながらも、育つに必要十分なものを根から吸い取ってもらい、稲に頑張ってもらうしかない。僕らが、出勤前に出来るのは、これが限度だから。

それにしても、稲の成長も早いが、雑草も同様だ。

同じように無農薬で田圃をやっている友人と電話で話したら、今時、田圃の中で作業している人を、見たことないよ!といって、二人で笑った。久しぶりの屈託のない気持ちのよい笑いだった。

また、最近のお米は、米の艶と歯ごたえが良いんだが、米自体の旨味がないとのこと。米に関してはうるさい友人が言うのだからそうなんだろう。けれど、この田圃からできた米は、旨味があるのだと。

雑草に揉まれ、なかなか手助けにもやってきてくれない我らが二家族に愛想をつかして、自分でなんとかしないといけないと自分がだめになってしまうというわけで、手がかけられない分、ここの稲は毎日筋トレに励んで、マッチョな米になってくれているのかもしれない。

田圃には、雑草が生えないものというのが固定観念としてあるのですがね、無農薬でやっていると、そこらじゅう雑草が蔓延るのです。

というわけで、世の中の99.9%くらいの田圃が、おそらく、除草剤をじゃぶじゃぶつかった田圃でありましょう。

この化学農業の世の中で、無農薬で稲を育てるなんて言うのは、ひょっとすると徒労に終わるかもしれないという冒険でもありますが、こういう変わった人が世の中にいてもいいのではないかと思うのであります。

人は、経験したことしか理解することができないといいます。私達が、物事を理解しているのは、かつて前世で経験したことを思い出すようにして理解していると、インド哲学では言うのですね。

なので、経験を積めば積むほど、我々の知識は豊かになっていくはずなのでありまして、これは、来世があるとしたら、その来世の自分へのプレゼントでもあるわけですよ。

そんなことを考えていたら、田圃の監督さんが眠い目をこすりながら登場して、昨年よりもずっと分蘖もすすんでいて、今年は収穫量がいいのではないかという嬉しい事を言ってくれましたね。

来年一年分、いや、それ以上の米が備蓄できたらね、そりゃうれしいですよ。

というわけで、毎朝の田圃通いは明日も続きのであります。

その後、10キロほどトレランして、今、事務所で仕事中。事務所のクーラー壊れたので、辛いわ!

posted by ロビオ at 14:07| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月13日

入谷鬼子母神の朝顔市

入谷鬼子母神の朝顔市

印度哲学の勉強会。その途中で、入谷鬼子母神の朝顔市に出くわす。

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人がいっぱい。

入谷鬼子母神の境内に入るのは初めてだが、「恐れ入谷の鬼子母神」っていうほど人口に膾炙している場所にしては、ひどく狭いのですね。ちょこっと、お参りしました。

既に、朝顔は売り切れており、どの出店も棚だけ残っている状態。

にもかかわらず、他の屋台は明かりを煌々と照らして商売し、人手が途切れることがない。

ベンキョウ終えて、2時間後。夜の九時を過ぎてもすごい人出で、鶯谷駅まで歩くのが大いに時間がかかった。

祭りとか縁日とか人手が多いところは大の苦手。

今後は、こういうところを避けてあるきましょ。

それか、人の少ない早朝に、売り物の朝顔なんかを覗き込みながら歩くというのは乙なものかもしれませんが。

posted by ロビオ at 11:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月12日

映画『未来を花束にして』『わたしは、ダニエルブレイク』

「未来を花束にして」主演 キャリー・マリガン 監督:サラ・ガヴロン
「わたしは、ダニエル・ブレイク」主演 デイヴ・ジョーンズ 監督:ケン・ローチ

飯田橋ギンレイホールで上記の映画を観てきた。

『未来を花束にして』は、イギリスにおける女性の参政権獲得のための戦いについて、『わたしは、ダニエルブレイク』はイギリスにおける社会保障制度の欺瞞について描いた映画でした。

参政権は基本的人権です。が、この参政権が女性に与えられたのは、ごくごく最近のことです。

参政権が与えられない理由は、やはり差別以外の何物でもなく、当時の権力者が男社会であるため、男が社会の実権を握っているという既得権益を手放さなかったのがその理由でしょう。

人に人権を認めないということは、人間として認めないということです。

人間でないから、酷いことをしても心が痛みません。

それは、社会的通念となって、人を人として観ないということが平然と行われてしまいます。

主人公たちが、命をかけて婦人参政権を獲得しようとする運動を推進しているときに、大方の「婦人」たちは、彼女らの運動に無関心か、冷淡か、敵対している態度をとります。

社会の中に埋没してしまうと、目が曇ります。何が真実なのか見えてこないのです。

日本に女性の参政権が認められたのは、1945年。

新憲法でようやく認められました。

女性に、人権が認められてたかだか70年。

歴史は、前に進むだけではありません。後退することもあります。

主役は、『華麗なるギャツビー』で、ハイソでバカな女の代表のディジーを演ったキャリー・マリガン。あれじゃ、ギャッツビーが可愛そうだと思えるのほど適役だったので、この社会活動に身を捧げる役はどうかと思いましたが、実に決めの細かい演技で満足しました。

『わたしは、ダニエルブレイク』は、ケン・ローチ監督の社会告発の映画でした。

心臓発作のために、仕事をすることを医者に禁じられている主人公が、国家に社会保障制度による救済を求めたときに、国家が彼に仕向けた非道な手続きの告発です。

医者に仕事をすることを止められているのにかかわらず、役人が要求することは、3日以内に履歴書を書き、就職活動をした証拠を提出するというものでした。

人間の尊厳を国家権力が最も弱っている仕事のない律儀で真面目な大工の老人をいたぶり、窮地に追い込みます。

観ていてとても切ない映画でしたが、これが現実ならば、何のために国家を作ったのかわからなくなります。

かつて「ゆりかごから墓場まで」と標榜していた福祉国家イギリスの現在の姿がこうであるようです。

弱者は、好き好んで弱者になったのではなく、そうならざるを得ない事情が各人各様にあるはずです。

日本でも、わずか数%の社会保証制度の不正受給者のことを槍玉に挙げて、あたかもすべての社会保障の受給者が不正に受給していると誤認しているような風潮があるようです。

これは、弱者に対するルサンチマンなんでしょうか?

おれよりうまくやっているやつがいるぜ、という。

人が生活できないときに、そうした人に気前よく援助を与え、社会で生活できるように支援するような社会が望ましいのは言うまでもないのに、人は、想像力がなくなると硬直化して、自分もいつかそういう境遇に陥るということを忘れて、お山の天辺から、そういう制度を罵倒します。

社会保障を受けられず、二人の子供を育てなければならない母親は、生活をするために万引きします。そのガードマンに、娼婦の仕事を紹介されます。また、ボランティアで食料を与える場所に出向いたときに、この母親は、子どもたちに食事を与えることが精一杯で、あまりの空腹に耐えられず、その場で缶詰を空けて、素手で貪り食べてしまいます。恥ずかしさに耐えられなく泣き崩れるこの母親に、大丈夫、安心して、あなたは何も悪いわけではないんだと、主人公が慰めます。

困窮者になるのに誰もが悪くないのに、これを自己責任と呼ぶのは、なんと傲慢な意見なんだろうと思います。

この母親が、こういう状況になってしまったのは、ロンドンでの借家に雨漏りがしているのを大家に言ったところ、家から出されてしまったからです。たったこれだけの、本人に過失のない行為で、あっという間に、生活困窮者になってしまうのです。

主人公の大工は、心臓発作にかかったことです。

こうした人達を救済していくのは、国の大きな役目です。

国民の一人ひとりの生活を守らない国は、滅んでいきます。

なぜならば、国を維持していくのは、こうした国民の一人ひとりなのですから。

posted by ロビオ at 13:03| 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月11日

草むしりの後はトレイルラン

田圃での作業を終えて、家に帰って、親指の爪の間に詰まった田圃の泥をシャワーでほじくり取ったら、トレイルランに出掛けました。

足の裏の痛みが取れなくて、走っても安静にしていても、なかなか良くならないので、随分とペースを落とし気味に時々走っておるのですが、やはりね、トレイルランは楽しい。

なんで楽しいというのかというと、心拍数130以上には上げないので、ゆるゆるペースで走ること自体がまず楽しい。それに、大好きな懐メロロックや懐メロジャズや懐メロ歌謡曲なんかを聞きながら走るのが楽しい。トレイルで聞く懐メロは、目の前に広がる視覚を更に生々しく引き立てる優れたBGMにもなる。また、家では、ジャズやクラシックばかり聞いて、あまり懐メロロックを聞かないので、耳の訓練の一つとして。

7月の30度を超える日が続くようになったら、タンクトップじゃないとだめですね。

肩が風に当たるだけで、随分と体が冷えるみたい。本当は、上半身ハダカで走りたいのだけれど。

ところで、10年位前に買ったモンベルのタンクトップが一番マトモで、こればかり着てしまう。肩の部分が細くて、肩が外気に触れる部分が大きいのがいいのだけれど、最近のものは、Tシャツから袖の部分だけを切り取ったようなのが多くて、不格好だよね。肩が冷えるから涼しいんで、あれじゃタンクトップって感じじゃない。

パタゴニアのも、肩の部分が広くて駄目・・・と思ったら、今年の製品から、ほぼ理想的な形のタンクトップが発売されましたね。だけれど、高価ですね。これは、セール品にならないと買う気がおきません。

というわけで、いまあるモンベルのタンクトップを愛用し続けます。

800ccのボトルを片手にもって、iPod shuffleで音楽を聞きながら、心拍計で心拍数をモニターしながら走るというのがいつものスタイルですが、ローリング・ストーンズやらビーチボーイズやらドアーズやらポリスやらホール・アンド・オーツやらの懐メロロックを聞きながらときに、足のステップを音楽に合わせて右左を繰り出すのが楽しい。

そしたら、突然、iPod shuffleの音がプシュという音とともに切れてしまった。

壊れました。汗が入ったのかも?

洗濯機で2度ほど洗ったのに壊れなかったiPod shuffleも終わりました。

ああ哀し。

古いZENというかつてあったメーカーのを取り出して、これが壊れるまで使ってみましょう。

汗だくで、トレイルを10キロほど、1時間15分位でのんびり走って、家に帰って、シャワーを浴びても汗がやまず、ここで、心臓発作を起こすかと思えるほど冷えたビールを飲んだら、これで1日が終わってしまうので、着替えて、電車に乗り、映画を見に行ったのでした。

次に続く。


ここから、7月11日の分

というわけで、iPod shuffle故障したため、新たなMP3プレイヤーが必要になったわけですが、そんなんだったら、スマホで第要すればいいじゃないという意見もありましょうが、あれは、重くて、トレランで持ち運ぶのに、バッグを持っていかないといけないですから、やはり、軽量小型のものがほしいわけであります。

昨晩、スマホでアマゾン見ていたら、プライムセールが開始していて、今度買おうと思っていたMP3プレイヤーが、2999円のところ、1600円で売りに出ていた!

AGPTEK A125 8GB ミラー式 MP3プレーヤー

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B06XNNX847/ref=oh_aui_detailpage_o00_s00?ie=UTF8&psc=1

というやつて、小さくて、8ギガあって、A→Bっている語学勉強するには必須の何度もマークした間をリピートする機能も入っているじゃないの。これで、1600円とは!というわけで、中国製ではありますものの、ありがたくポチッとしてしまったのでありました。

8ギガって、どんだけCD入るんでしょうか?楽しみですわい。

posted by ロビオ at 01:52| トレイルラン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月08日

草むしり

IMG_20170708_082136暑い日が続きます。今朝も田圃で草むしり。

IMG_20170708_082119泥だらけの私の足に田螺を乗せてみました。

というわけで、草むしり。毎日30度を越す太陽光線を浴びて、順調に稲穂は育っておるのですが、雑草も獰猛に育っておるので、草むしりをしないといけません。

ここに来る水田を除いてみれば、雑草もなく、稲だけが水面から浮いておりますが、これは、すべて除草剤のお陰でございましょう。

私がお手伝いをしている田圃は、何年も除草剤を使用していないので、ちょいと雑草取りをサボりますと、水田一面すべて翠の絨毯になってしまうのです。

写真は、足跡がついているのが、僕らが入って雑草取りをした跡。

これで、雑草取りは2巡目になります。

盛夏になるとともに、雑草の生育も爆発的に進むので、きっと雑草取りが追いつかなくなるのは必至ですが、まあ、やれることだけをやってよしとしましょうか。

ホント、雑草取りを、ギンギン太陽の下、2時間もやると、嫌になってしまいます。

長く続く作業でもあるので、根気が潰えた時、田圃作業は苦痛となってしまいます。

というわけで、毎朝、妻と、パン作りの日は、30分。そうでない日は、1時間だけにしております。

早朝は、爽やかな風に吹かれて、汗もそれほどかきませんし、尻尾のまだ生えているカエルのユーモラスな姿をを観察しながら短時間で済ませてしまえば、この作業も楽しくないとはいえないのですよ。

ギザギザの刃の付いた鎌を私は愛用していますが、小刻みにザクザクと引くようにして根から雑草を断つその感触は快感と言ってもいいくらいです。

ああ、今年は、大量の米ができたらいいなあと思うと同時に、収穫した後の田圃に麦を植えることは出来るかしらん?と調べてみるつもり。

自家製の小麦でパンが焼けたらこれまた最高ですもんね。

とにかく、こんな生活がいつまでも続けばいいなと思います。マジで。

posted by ロビオ at 02:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月07日

タオ・サーフィン

刈っても刈っても生えてくる田圃の雑草。

とくに、コナギという雑草なんだけれど、これだけ同じ種類の雑草が生えるというのは、環境が単一化されてるからなんでしょうね。

田圃とか畑というのは、自然というより人工的なもので、そこでは、自然のバランスが崩れている。そうであるから、かくも激しく単一の雑草だけが優勢になっているといえそうである。

ところで、除草剤の撒かれている田圃は、死んでいるかのように雑草が、生き物が、沈黙している。

これは、恐ろしい。

雑草の蔓延る田圃のも、一部その除草剤の撒かれている田圃の水が流れているところがあるが、そこには、雑草は生えない。

これは、自然云々という以前の問題で、これでは地球が滅びるのではないかと思えるのだ。

都心の事務所の近くに昼時になると、弁当屋さんが日除けパラソルを差して露店で商売している。肉をふんだんに使ったハンバーグ弁当やら唐揚げ弁当が均一価格360円で売りに出されている。

都心の梅雨時の正午は30度を超える暑さだ。

この湿気と暑さで、あっという間に、自然のものであるならば、腐らないといけない。

しかし、腐らない。大量の弁当がうず高く積まれて直射日光が当たっているものもあるのに。

食中毒を出さないためには、こうするより他に仕方がないのだろうけれど、これも、自然の営みに対抗するようなものである。

莊子に「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」というのがある。

機械を使うと機会を使った仕事が増え、そういう機会が増えると機械に頼る心が生じて自然からどんどん外れた生活になってしまうというほどの意味である。

効率性や生産性を考えた人のこのだけを考えた賢しらの技術が、世界を壊そうとしている。 政治でも経済でも教育でも農業でもそれは同じだろう。

私たちは、自然から離れて、どこまで遠くへ来てしまったのだろう?

防腐剤やら除草剤を使えば使うほど、社会はそうしたものなしで生活することは不可能になり(コンビニで24時間弁当なんて買えないだろうし、、米の値段も破格に高くなってしまうだろうし)、言い得て妙だと思うのである。

自然という流れに乗ることが一番労少なく力強く間違いがないものであるということを「老子」で知るのだけれど、いつぞや、そんな自然という波にサーフィンする姿を思い浮かべて、これが理想の生活だ!なんて夢想していたのは随分前のこと。

それには、技術もあるだろうし、自然を確知する智恵も必要だろう。しかし、その道(タオ)に従った生き方をすれば、人の賢しらな技術を超えた、本当のあらゆるものに応用できる技術が獲得できるだろう。

タオはそこらじゅうに遍満しているという。まるで、印度哲学のブラフマンのようにだ。そのタオを探し求めて、音もなく押し寄せてくる波にサーフボードで同一化し、この世の中を滑っていきたい。

そのタオの流れに棹ささず、そのまま流れていくに任せるそんなやり方もあるだろうし、これが一番合理的な方法であるはずである。

そうした農法を考えながら、今朝も、せっせと夫婦で雑草取り。

毎朝、コツコツと小一時間。

パンを焼き、老子やインド哲学を学び、Yogaをして、後先を考えないで仕事をし、瞑想する。

二項対立の相対的な世界から飛び抜けて、絶対的な世界に降り立って、そこから生じる知恵が何かを教えてくれるかもしれない。

そのための、ベンキョウも怠り無く、自然の波にのって、どこまでもサーフィンして行きたいのである。

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2017年07月05日

MARUZEN

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池袋のジュンク堂の並びに今度は、丸善が開店するらしい。

なぜか、西武線と京浜急行の先頭車両が展示してある。交通博物館?

西武池袋には、三省堂が入っているし、これで3大書店が、額を寄せ合って、軒を並べるという図になる。

丸善と言えば、僕が愛用していた八穴の奈良コンピュータのシステムダイアリーのレフィルを唯一売っていた書店で、御茶ノ水か、日本橋の丸善までよく行ったものだった。

ここ池袋の丸善は、外見から想像するに、本屋というよりも、百貨店的なものになるのかしらん?

近所の100円ショップも閉店し、文具やさんは、ジュンク堂の2Fか、イケセイの無印かロフトまで行かなければならないので、ここにあったら非常に便利になるのだけれど。

丸善と言えば、梶井基次郎の『檸檬』ですね。これは、京都の丸善が舞台だけれど。

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2017年07月04日

雑草が猛威

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無農薬で長年稲作りをしている田んぼには、びっしりとコナギの葉が水面出でてきている。先週は、水面下だったのに!

4時30分頃は、もう既に暗くなっている。ちょっと前にはまだ明るかったのにね。これから、どんどん朝日の出が遅くなる。

お隣の農薬を使っている田んぼは、ほとんど雑草が生えていない。

雑草が生えないのなら、こんなに楽な仕事もないだろう。

しかし、自分の食べるもの、農薬なしでやりたい。

自然との直接的に繋がる生活は、体を心を元気にさせてくれる。

農業や教育や政治を効率性の面から考えてはいけない。

それは、時間をかけて、無駄な知識だと思えるものを吸収し、そうして得た知識を様々なものと結びつけて、人生を豊かにするものでなければならないのだ。

手間ひまをかけた無農薬の野菜と、大量の農薬を使った野菜とで、味に違いはないかもしれない。

しかし、ガンディーの言うように、「善いものはカタツムリのような速さでやってくる。」

その手間隙をかけた時間の中で得られた経験、知識は、必ず、自分のものになって有益なものとしてゆっくりと還元されるはずである。

結果の問題ではないのだ。その過程に、人生のアイデアが沢山詰まっているのである。

結果だけを求めて短絡すれば、多くの過程をないがしろにする。そこに、大きな智恵があるものなのに。

しかし、雑草取りは重労働だ(が、楽しい)。

前世で撒いた種を現世で刈り取るという比喩があるけれど、まさしく、前年に撒き散らかされたコナギの種が猛威を振るって発芽している。

しかしながら、人類の文明のもっとも進んだ携帯としての稲・・・人間が過去数万年か、それ以上、品種改良を加え続けて、現在の奇形の稲ができあがったわけであるが、その稲も元気に育っておる。

人間の文明と自然がここで激しく生存競争をしているわけで、諸君!、我々は、人類を代表して、その文明の灯を絶やさないように、自然と闘っているのである!

 

(これは、名著。)

土日にまとめて長時間すれば、いずれ嫌になってしまって、無農薬の米をお金を出して買うようになった方がいいんじゃないの?なんて気もおきかねない。

そこで、早朝日の出と共に、田んぼで、小一時間を雑草取りにあてている。

これなら、嫌になるほどの労働ではないのでな。

今朝は、二日に1度焼いているパンを焼く日に当たっていたので、30分だけザクザクと鎌で雑草を刈ってきた。

裸足で、泥の中に入れば、足を土で包囲された感覚が楽しい。

30分でできる仕事量は、10平方メートルくらいだろうか?

二人で、20平方メートル。

一反が330平方メートルで、全体が600平方メートルくらい?あるから、やってもやっても終わらない感じ。

カルマヨーガ的に言えば、行為のために行為をすることが大切で、自己のカルマを刈り取るように、雑草の種を刈り取るのだ。

posted by ロビオ at 10:04| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする