2017年04月30日

ルビッチ・タッチ

シネマヴェーラ渋谷で開催中のエルンスト・ルビッチ特集、本日は、『ウインダミア夫人の扇』と『生きるべきか死ぬべきか』の二本を堪能。
前者は、1920年代のサイレント映画、後者は、ルビッチ監督の代表作として知られている作品、クラーク・ゲーブルの最愛の妻で、飛行機事故で亡くなった主役のキャロル・ロンバードの遺作。
サイレント映画を見る機会は少ないけれども、いいんだね、これが。
広い部屋の中をロングショットで撮って、二人が部屋の中でそれぞれの考え事をしながら動き回るシーンがあるのだけれど、画面の重量のバランスが常に釣り合っており、まるで、シーソーの上で、水平が保たれるように人を動かしてみせる。
言葉がない方が、画面に集中できるし、顔の表情やら、モンタージュ手法で、何を意味するかがはっきりと分かるから、疲れずに映画を眺めていられる。そういう技術が積み重なって完成の域に達したときにトーキー時代に突入してしまったんだね。
そして、この『ウインダミア夫人の扇』というのも、勘違いから巻き起こるややこしい筋ではあるのだけれど、これをほぼ、セリフ無しで成立させてしまうすごい技を堪能する作品でした。
『生きるべきか死ぬべきか』は、劇団員の監督の役者さんが、小津安二郎作品の常連の中村伸郎にそっくりでビックリ。そういえば、小津安二郎もルビッチ監督の影響を受けたわけで、ポーランドのヒットラー政権下のナチス・ドイツという場面で、これだけ洗練された、人間性の美醜を極力描かずに、エンターテインメント映画にしつらえてしまうその技が、まさん、ルビッチ・タッチといわれる所以なんでしょうね。
とにかく、劇場がクスクス笑いと爆笑で盛り上がっておりましたよ。
う〜ん、やっぱり、名監督の映画は素晴らしい!というわけで、この映画館に足繁く通うことになりそうです。


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2017年04月29日

ジュリエッタとブルーに生まれついて

ギンレイホールにて『ジュリエッタ』と『ブルーに生まれついて』の2作を観る。ほぼ満席。

ペドロ・アルモドバル監督の20作目の映画が『ジュリエッタ』。

この監督の僕が最初に観た映画は、新文芸坐で見た『オールマイマザー』だった。

それ以来、旧作新作は観るようにしているのだけれど、衣装と美術が素晴らしい。

衣装は、ソニア・グランデ。アルモドバル監督の作品の常連で、近年は、ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』で活躍。

こういう映画観て、ファッション勉強しないとね。

たしか、この監督の『私の秘密の花』という映画も衣装と美術に目を引かれましたが、たしかFENDIとMaxMaraの衣装を使っていたのだったっけ。

それから、美術が、アンチョン・ゴメス。

インテリア勉強したいなら、しっかり見ないと。

常連と言えば、一度見たらその顔と姿が忘れられない女優、ロッシ・デ・パルマも出演。

内容はさておき、映像の小津安二郎風の赤の使い方。

電車が止まったときに、駅の模様が映し出されるのですが、小さな鉄道信号の店のような赤、そして、駅員の点のような赤い帽子が強調されておりとても綺麗でございました。

若い主人公は、赤と黄色とブルーの原色が背景にあり、中年になると茶系の落ち着いた色が多用されており、これもアルモドバル好みの配色哲学のでありましょうや。

一人旅をする主人公の乗っている電車のコンパートメントに、男がやってきて話しかけるのだが、気持ち悪がって、食堂室にいって将来夫となる男とであうのですが、その奇妙な男は、その電車に飛び込み自殺をしてしまう。もしあの時話し相手になっていれば死なないで済んだかもしれないという罪の意識。その罪の意識が、業として、自分の周りの人々を不幸にさせていってしまうというような観点から見ても面白いかもしれない映画でしたね。

『ブルーに生まれついて』は、ご存じ、ウエストコーストジャズを代表するチェット・ベイカーのお話。

こちらは、薄いブルーがかった色が多用されており、盛り上がりにはかけるものの、その筋のプロのミュージシャンが見たら痛切に思うのではないでしょうか、クスリと音楽の切っても切れない関係をば。

チェット・ベイカー曰く、音と音との間が広く感じられて、そこに音を入れることが出来るんだそうで、麻薬やると。

麻薬漬けの音楽の世界に戻るか、クリーンな体で奥さんと子供と暮らしながら音楽をやるか、その選択を迫られて、前者を選んだチェット・ベイカーの業の深さがこの映画の中心のテーマ。

その麻薬を打って演奏したバードランドでの演奏は、同席したマイルス・デイヴィスが拍手をするほど、上出来だったというのがこれまた悩ましいわけです。

会場で、どうして、チャールズ・ミンガスの名作アルバム『道化師』1曲め「ハイチアン ファイト ソング」が流れているのかね?と思ったら、失意のチェットが、路上ミュージシャンを見て、再起を決意するところで、この曲が流れましたのでしたね。会場で流れていたのは、サントラ盤でございました。

どちらの映画も、人間の業の深さを描いたもので、自力では救いようのない人間という存在を確信したのでありました。

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2017年04月28日

タカラホーローのシステムバス

4時30分起床して、天覧山でトレイルランニング。

タカラホーローのシステムバスがようやく昨晩取り付けられて、朝走って汗びっしょりになっても、シャワー出来るようになったのだった。

工事期間中は、2日に1回妻と銭湯探しの放浪(ホーロー)生活。

遠方、近場の銭湯的な場所にですね、妻と二人分だと、えっ、こんなに払うの?というくらいに費用を払って、出向いておったのでありました。

私、かけ流しの温泉以外の公衆浴場というのおは、どうも不潔感が抜けませんで、何十人もの肛門を湯に沈めた湯船の湯がどうも綺麗だとは思えないのでした。また、塩素系の消毒液の匂いが体にこびりつくのも嫌だし、着替え室においてあるジメジメしたバスマットや、ペッタペッタと張り付く床は、水虫の温床に違いない。と申しますのは、プールに足繁く通っていた頃、2,3度風呂場のマットレスで、多分水虫をうつされて、皮膚科の患者になったこともあるからであります。

ついでに、悪口言っちゃうと、普段は、自家製石鹸で、髪の毛と体を洗っているのですが、どうにも、あのリンスインシャンプーとかボディソープとかが駄目なのね。何度洗っても、髪の毛や体がヌルヌルして気持ち悪いのと、香料が髪の毛から取れないのが不快なわけです。

まあ、それはともかく、平成11年だか12年に家が出来上がって以来、当時も今も建築資金の乏しい我が家では、風呂にお金はかけられず、簀子を引いて、コンクリートのベタ基礎部分に排水溝を作って、体を洗ったお湯が簀子の板と板との間から漏れ落ちて、ベタ基礎部分から排水されるといったウルトラCの節約設計のものであったのだった。

その後、リホームしたが、風呂と便所が区切りなく風呂場にあるという西洋バスルームのようなもので、そのまま体を湯船から出てあらうものなら、便器もなにもびしょ濡れになってしまう。

だから、風呂桶の中に座り込んで縮こまってシャワーを浴びて、湯船からお湯が飛び出さないように細心の注意をしながらの洗体、洗髪作業になっていたのでありました。

風呂場で寛ぐどころか、なんと窮屈な思いがして、風呂好きだった大昔の自分を遠い目で見る日々が続いておったわけでございます。

我が家は、こんなふうに、永遠の未完成な家なので、建設当時のアイデアがまだまだ出きっていないのでありまして、例えば、鉄筋部分の平屋根部分は、草屋根にする予定で、土を運びそこに雑草を生やす予定でもありますし、トイレの水は、雨水を利用するために、雨水の貯水タンクを据え付けられるようにコンクリート部分にホースの穴も空いておりますのでした。

まあ、お金が溜まったら少しずつ手を入れて、徐々に過ごしやすい家になっては来ておるのですがね。

それにしても、タカラホーローさんのシステムバスは、値引きしないというか強気でありまして、TOTOとかにすれば、かなり値引きされますよなんて大工さんには言われたけれど、ショールームにいって、琺瑯の質感がとてもよかったので、他のメーカーは眼中になかったわけです。

それじゃあ予算内に収まらないじゃないの、ということで、知り合いの方からのアドバイスで、展示品処分が出ることを待つこと数ヶ月、かなりの値引きで手に入ることができ、ようやく、設置工事着工になったのでありました。

まだまだ、使い勝手がよくわからないのであるが、展示品処分だけあって、最高グレードで必要遠だとは思わなかった室内乾燥機までついていたりして戸惑っておるのですが、久しぶりに長いこと湯船に使ったお陰で、腰の痛みで長らくお休みしているヨーガのアーサナもバシッと決めて(少し腰をまた痛めたようだが)プラーナヤーマも瞑想もできて、ようやく生活が起動に乗りそうな気配なのだ。

というわけで、いざ山を走らんとて、久しぶりに汗をかいた次第です。

馬鹿のように走ることは、もうしないけれど(いい加減馬鹿は卒業である)、1日1時間程度の軽めの運動は、お腹周りにだるっと垂れている贅肉を溶かすのには必要なんでがすね。気持ちもいいし。

4時30分に走って、5時30分にシャワー浴びてからYogaのアーサナちょっとやって、6時からパンを捏ねて、焼いて、6時30分から食事して、コーヒー飲んで、7時からバガヴァット・ギーターを写経して、7時30分の急行で事務所に向かうのが理想的である。

身につくまで、しばし、意識してリズムをつかまん。

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2017年04月26日

キッチンタイマーでお勉強

仕事の合間に勉強をするのはとてもいいことであるのだが、ついつい、長時間勉強をしてしまったり、途中で飽きてしまったりとなかなか時間の管理は難しいもの。

というわけで、家で、パンを焼くときに利用しているDRETECのキッチンタイマーを職場の机のスチール棚に裏面にあるマグネットで貼り付けてこれで勉強時間を管理することにした。

https://www.amazon.co.jp/DRETEC-%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AF-T-140OR-dretec-%E6%99%82%E8%A8%88%E4%BB%98%E5%A4%A7%E7%94%BB%E9%9D%A2%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BCT-140OR/dp/B0001ZN3NA/ref=pd_sim_201_3?https://www.amazon.co.jp/DRETEC-%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%83%E3%82%AF-T-140OR-dretec-%E6%99%82%E8%A8%88%E4%BB%98%E5%A4%A7%E7%94%BB%E9%9D%A2%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%BCT-140OR/dp/B0001ZN3NA/ref=pd_sim_201_3?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=N3W5VAZRM07E6VZ4N7X9

だいたい、30分か45分。このくらいの時間でサクサクと写ギーターしたり、サンスクリット語勉強したり。

時間を区切れば、集中力も増すし、仕事に戻る気分転換にもなる。

というわけで、このキッチンタイマーは、時間も表示できて、この値段は、かなりお買い得。

posted by ロビオ at 16:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

写ギーター

『バガヴァット・ギーター』というヒンドゥーの聖典にとても感銘を受けてしまって関連した本を幾つか読んでいる。

けれども、いくら解説を読んだとしても、ココロに届かない何かがある。

じつは、解説よりも大切なのは、ココロがなにかしらの真実に触れてふるえることだ。博物館のように整理陳列されてそれで良しされるものではない。

解説を読んでわかった気になっても、原本から照射される力はわかったような気がするたびに弱まり、その本が持つエネルギーが削がれてしまう。

言葉を超えた何かが言葉を支えているのだ。

そうであるから、ありのままを抱きしめなくてはいけないのだ。

それならばというわけで、写経ならぬ写ギータを開始ス。

ただひたすらノートにギーターを書き写す。

「常住にして不滅、無量無辺なる霊魂の之なる肉体は限りありと言われる。さらば、戦うがよしーバラアダの御子よー。」なんていう調子でずんずん書き写しながら進む(鎧淳先生の訳のやつ、講談社学術文庫、但し絶版なので図書館で借りてきた。)

難しい単語もなくはないけれど、最初に感激した岩波文庫の上村訳と洋書の解説書を比べながら理解し、1ミリの太めの水性ボールペンでスラスラと書き写す。

目でさらっと文章をスペって読み進めるのと違い、一字一字中止して声に出して読み進めると、本の中で繰り返し書かれていることとか気になったところがクロスリファレンスされて噛めば噛むほど味の出るスルメ型の読書を満喫できる。

わからなかったことがわかるようになる。このわけのわからん細い道が実に太い道に繋がっていたんだと膝を打つのを体感できるようになるのは、人生におけるツウカイ事ではなかろうか。

また、こうした楽しみの他に、パソコンばかりを使って生活で、ペンで書くことを忘れておったが、ペンで書くことも実は快感であったということを再認識した次第。

絶版の本も書き写せば、手元にコピーが残る。

一挙両得。

もう一冊気になるのは、『歎異抄』だ。これも、写そうと思っている。

posted by ロビオ at 12:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

名画座巡り

昨年末から、土曜日と日曜日は自宅を飛び出して、インド哲学の勉強会に行くか、名画座で映画を見るか、という生活が続いておるわけであります。

映画は、高校生の頃一番良く見たような記憶があるけれども、それを凌駕するような映画の数を見ております。

秘密は、二本立ての名画座に行くからであります。

僕の行く名画座は、池袋の文芸座、高田馬場の早稲田松竹、飯田橋のギンレイホール、渋谷のシネマヴェーラ渋谷の4館に限定されております。

文芸座、シネマヴェーラ渋谷は、1000円を払って会員になると、通常1500円とか1300円とかの映画鑑賞券が1100円になり、8回だか見に行くと9回目がタダになるのでお得であります。

文芸座はご存知、池袋の誇れる文化の殿堂でありまして、ここで、貴重な映画、例えば、中村錦之助の『鮫』なんていう映画は、経年劣化してピンク色になっておるやつを見たりしたわけですよ。無声映画の『カリガリ博士』とか『アッシャー家の崩壊』なんて、弁士付きで見た映画は、ここ10年位で一番の感動を与えてくれました。

シネマヴェーラは、邦画洋画を問わず、特集が組まれており、現在は、ルビッチ監督の映画のプログラムを日替わりで提供してくれております。これも、見に行かなければ!

また、ギンレイホールは、年会費10800円を支払うと1年間タダで映画が見られますので、これもお得。ただし、2週間固定のプログラムで、年間それほどの映画の数を見ることができない。ちょっと古い映画が中心のプログラムがほとんど。先週は、『エブリバディ・ウォンツ・サム』を見ましたが。

二本立ての名画座で育った僕にとって、映画とは二本立てで一つのものということになっており、単品のロードショウとかは物足りないか、お金がもったいなくて見に行けないわけです。それが、つまらなかったら、代替が効かないしね。二本立てだったら、次の1本があるさ!とも思えるし。

早稲田松竹は、そういう会員特典とかはないのですが、とてもいい映画を厳選しているので、ここを逃す手はない。先日も、九段下のインド大使館でインド哲学を午前中勉強して後、走って高田馬場の早稲田松竹に飛び込み、素晴らしきインド映画「PK」と「きっと、うまくいく」の二本立てを見たのでした。午後7時からのこれまたインド哲学の勉強会があって、このまま映画を見続けるか、それとも、ここで、席を立ち上がって、勉強に行くか、を、悩みに悩みながら、断腸の思いで、「きっと、うまくいく」の最後40分で映画館を抜け出したのは、俺ってエライぜ!と思った数少ない瞬間でしたが。(家に帰って、アマゾンプライムで「きっとうまくいく」で見終えたのは言うまでもない)。サミュエル・フラー特集の3本建てを見たのもここだった。お気に入りの名画座である。

というわけで、映画鑑賞とインド哲学の二本立てで、今年はブレずに頑張っております。

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2017年04月21日

Yogaで最高の高みに登る

ある本を読んでいて「酔生夢死」という言葉が自分に飛び込んできた。

夢を見るかのように一生を無駄に暮らすこと。

この世の中で、自分は、一体今まで何を学んだのだろうと、今までに学んだことを反省すれば、そこには何もない自分を発見して呆然とする。

何も学ばずこの世から退場するのは慚愧に堪えない思いが打ち寄せた。

このままだと、取り返しのつかないことになるという漠然とした思いがココロに沁みた。そして、それは、確信に変わった。このままでいいはずがないと。

この世に人として生を受けたのは、何かを得るためだったのではなかったのか。

それは、財力でも、子孫を残すことでもなく、何かをこの世界から何かを学んで、そして、少しは賢くなってこの世を去っていくことが人としての道のような気がしている。

そして、来世があるとすれば、僕らが来世に持っていけるものは、そうした知識だけなのではないか。

友人に恵まれ、仕事に恵まれ、他に何を欲しがるのかという声もある。

が、私は、欲張りなのだ。

たった一人で、高みに登ってみたいのだ。

というわけで、インド哲学を学んでおります。

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