2015年05月31日

七人の侍

新・文芸坐の友の会に入っている。

とてもお得で、年会費2000円払って、そのときに、2本立て1300円の無料映画券を1枚くれるので、その差額800円になっている。

そして、友の会の会員は通常1300円のところを、1050円で見ることが出来、さらに、8回映画館に通ってポイントを貯めると次回は無料になる。

というわけで、今回は、その8回目のポイントが貯まったので、無料で、黒澤明監督の『七人の侍』を見ることにする。

映画は、世界で一番有名な映画の一つで、誰もが知っている映画ではあるけれど、意外と映画館で見る機会がないのではないか。

私も、映画館で見た記憶が無い。ビデオ、DVDで、何回も見たけれども。

長い映画で、3時間20分。

2本立てを基本とする新文芸坐では、例外の1本立て。

お客で満員。

以前、ヴィスコンティの『山猫』をここで見たが、その時も、こんなふうに混んでいた。たいてい、初回は空いているのだけれど。

野武士の野盗は、画面の右から左へ走って行くのは、映画文法の定石通り。

クローズアップ、超クローズアップの使い方が凄いと思ったのは、最近、映画の技術に関する本を読んでいるからかもしれない。

一つの退屈のする場面がなく、次から次へとつながり編集されて、物語を前に前に強力にプッシュする力は一体何なんだろう。

野盗の群れが、坂道を馬に乗って下ってくる迫力が、スタンダードサイズでも表現できることに驚嘆。

挟み撃ちをして最終決戦をするさいのカット数は、物凄い数になるはず。

7人の性格を、手際よく説明する手腕に脱帽。

主に3箇所のロケで映画が撮られたそうだが、編集が完璧なので、全くそういうふうには感じない。

最後、死亡した4つのサムライの墓の前で、残った3人の侍が映されたシーンの広大さは、どうやって撮ったんだろう?

今回見て圧倒的だったのが、三船敏郎の演技と運動神経。

もう、画面からはみ出してこちら側に出てきてしまうほどなのだ。

志村喬の放つ矢が飛沫を上げながら放たれるしシーンは、何度見てもいいシーンだ。

野武士に人身御供として弄ばされている村の人妻(島崎雪子)が、火を放たれて、最初慌てるが、その場で死んでもいいと思い返して笑みを浮かべるシーンの演技は凄い。もう、この女優さん、一生分の演技をここで費やしてしまったのではないか?

こんな素晴らしい映画が、日本で生まれたことを誇りに思うとともに、いまだ、これを抜く娯楽映画はないんじゃないかとも思う。

オールタイム・ベストの映画であることを再認識した。

posted by ロビオ at 05:41| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月30日

久しぶりのグリーンライン

Panasonicのクロモリのフレームを注文してから、2度3度、自転車に乗ったけれども、50キロ以内のほぼ平地しか走っておらず、屋内においたままの自転車は、沈黙を守ったまま2年数ヶ月が経ってしまっていた。

シマノの相当前のデュラエースのコンポと、これまた同じのホイール。ハンドル・ステム・シートピラーは、日東というわけで、ほぼ、タイヤ(ミシュラン)を除いたら、純国産バイクというわけ。

イタリアンだのフレンチだのアメリカンだの言っている輩は、自分の面をみてから言えって。縄文顔の俺は、国産が相応しい。本当のパトリオティズムっていうは、こういうことを言うんだぜ。

しかし、乗らなきゃ、愛国心の発動も、体力の増強も、運転技術の向上も図れない。

使いきるまで乗りこなしたい。このバイクフレームに費やした12万円を回収するのに、どれだけ汗をかけばいいのか?

私のこのバイクは、これで最後のものだ。もうロードバイクは買わない。これ以上のフレームは世の中に存在しないと思う。あとは、どれを乗っても同じじゃないかしら。

自転車というのは、こういうもの、という感想を、あるいは、実感を各自もっているだろうが、私の場合は、このクロモリのまっとうな工場で手作業で作られたフレームというのがそれに当たるのだから。

それ以前に、自転車用の体を造らないといけない。

そうすることによって、初めて、自転車の性能を引き出してやることができるようになるわけだから。

この自転車のフレームが体にしっかりとした頃、私はきっと、もう一度、あの坂道をグイグイと登っていく気持ちのいい加速感を得ることが出来るであろう。

その為には、乗らなくっちゃ。

日差しを避けて、ペダリングを色々と考えながら走るには、グリーンラインが最適でしょう!ということで、林道清流線の入り口まで走ってみたら、鎖と鍵でゲート封鎖。

かつては、その横は、自転車1台通れるくらいの隙間があったのだが、そこも、鎖で封鎖して、誰も入ってはならぬ!との強い意思を感じたので、宿谷の滝の坂道で、GLに乗っかった。

坂道を、よっちよっちと登っていく。

トレック・マドンというカーボンフレームとクロモリフレームに換えたのだから、当然1,2キロ、いやもっとかな、車重量は重くなっているのに、あんまり重さは感じない。2年前より体重は2キロほど痩せているだろうから、相殺しているのか?

よっちよっちと登って行って、やはり、足りないのが、スピード。

踏み込むペダリングになりそうな斜度のキツイところも、回すようにして、足を休めてあげる。うん、こうやって、ペダリングってするんだよな、と思い出しながら、進むんだけれど、毎日のように乗っていた頃とは、ギアが2枚は軽いギアを踏んでいる・・・というか、ほぼ、ファイナルローで固定という体たらくっぷり。

筋肉量はさして変わっていないはずなのに、パワーが出ないということは、無駄なペダリングをしているわけだね。力がどこかに逃げていってしまったいる。

10%でも、20%でも、効率よく無駄な力を入れずにペダリング出来れば、それだけの強度が増したことになるわけで、要するに、筋力の問題ではなく、技術の問題なのだ。

ざ〜っと、ペダリングっていうのは、どうするのかを頭の中で整理して

時計にして、1時から4時位までが力を加えていい箇所で、全般はおしりの筋肉、3時位からは足の筋肉と足の重さを加味して踏んで、すぐに抜重して、8時から11時位まで腸腰筋を使って、かつ、足首をたたみながら、効果的に引き足を使って、11時から1時位まで、引っかからないようにお尻のあたりの筋肉をつかって、上死点を超える。

こんなイメージだったっけ?

それに、ジョギングで練習している骨盤の上下を加えて、肩甲骨と骨盤を連動させ・・・と、まあ忙しく頭の中では、色々と考えながら坂道をひたすら登った。

自分の足の重みと骨盤の上下による加重が合わさって、上手にペダリングができるようになるときが、たまにあって、そんな時は、ギアを1,2枚トップ方面に入れられるのだけれど、これが、長続きしないのは、だんだんと頭の中のイメージと体の動きがずれていってしまうからだろう。

それでも、アンカーな若者、デ・ローザ・キングなオジサンを、この鉄の塊のフレームでスッと抜いていったんだから、案外、速かったのかも。

GLを下って、大好きな白石峠でも登ろうかと思ったが、2時には家に戻らないといけないので、微妙な時間だ。

というわけで、正丸峠方面に下りて、山伏峠を下って、飯能に帰ろう。

下りは、路面が濡れていて、とてもスピードが出せるような感じではないので、刈場坂峠からの下りは、慎重に降りて、少々疲れを感じた正丸峠の登りは飽きてきて、最後の下りのデザートは、山伏峠。

下りのポイントは、視線を点でとらえて、進む方向に点として移動させていくこと。

ダラっと行く先を目でなぞっていくと、スピードについていけなくなって、ブレーキを掛けて減速傾向になる。

かといって、その原則が安全かというと、全然そうではなく、安全のマージンが取れなくてした減速だから、これでは、進歩はおぼつかない。

目をパッパッと切り替えて、先へ先へと動かしていく。

トラックが前からやってくるのだが、前は、それだけで減速したろうが、よく見えているから、やや減速して後続車がないかどうか等安全を確認したら、ブレーキから手を離してすり抜けて越えていく。

ひらひらとリーンウィズで、左に右に重力を感じながら曲がる感覚は最高だ。

ただし、首が痛くなる。。。これさえなければ、本当に楽しいのだが。

というわけで、久しぶりのグリーンラインは楽しかったなあ。

商店街のガラスのドアに映る自分の自転車をみると、やっぱりクロモリのフレームはカッコイイよ。

クロモリという素材での最終的な到達点までいった完成形の姿がそのまま封印されて今でも売りに出ているわけだから、これが、悪かろうはずはない。

家に帰って、カーボンバイクではそんなことしなかったけれど、きちんとホコリを払って、シリコン液でピカピカにフレームを綺麗にしたのだった。

posted by ロビオ at 05:07| Comment(0) | 自転車(ロード) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月28日

何事も勉強が不可欠だということで

この手の映画の技法に関する教科書を読むと、今までの自分の映画の見方がいかに脆弱だったかについて思い知らせられる。

映画作家が映像にして発したメッセージを的確に受け取ることが出来るかどうかは、こうした知識が不可欠だ。

こうした知識があると、色々なことを映像を見ながら考えるので、映像が頭に鮮明に残るのですよ。

『マルホランド・ドライブ』だって、こうした知識を総動員すれば、あれま、すっきり、訳がわかったような気になる。

ただの感想、あるいは、印象しか残らなかった映画が、なぜそう感じたのか、心を打ったのか、あるいは、つまらなかったのか、論理的に例証を挙げて、考えることが出来る。

理論は、じつに素晴らしい理解のための道具であることでしょう。

同じように、文学作品や絵画やバレエや演劇や音楽にも同様の理論があるので、この大きな本(Uもある)を読み終えて、メモして、記憶したら、そっちの方面を勉強しましょう。

映像論に関しては、カメラで写真を撮るときにも、ミゼンセヌ(舞台の配置)とか、色々と流用できるような気がする。

絵画をみても、今までとは、ちょっと違った角度から鑑賞できるかもしれない。

事程左様に、理論というのは、見方という角度を色々と教えてくれるものです。

何事も勉強して損はない。それが、他のものにも流用できれば、二乗倍に人生を楽しめるかもしれないね。

posted by ロビオ at 11:56| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月27日

腹圧トレーニング

腹圧をかけて自転車に乗る。

ブランケットに手を置きながら自転車を漕いで、その姿勢のママ手を離す。

腹圧をかけていないと、背筋がピキッと緊張するのだが、腹圧をかけていると、内臓の上に背骨が乗っかっているようで、力はいらないし、上半身がリラックスする。

この状態がいつまでも続けられれば、様々に良いことがあるだろうことは想像に難くない。

腹圧をかける。

下腹あたり、おそらく、丹田というところ、そこに力を入れる。

ランニングのある本には、すこしだけ腹を凹ませて力を入れると書いてある。

腹を膨らませて腹圧をかけるという方法もあるようだ。

ランニングもペダリングと同様、腹をふくらませるようにして、下腹部を固定して、それでも、横隔膜を上下させて複式呼吸できるようにする練習をしながらランニングをしている。

なかなか難しい。

おしりとペニスの間の会陰部をギュッと絞る方法もあるし、肛門を締めてやる鍛錬方法もあるようだ。

後者は、たしか、達磨禅師の鍛錬の仕方だったのではなかったか?

腹圧をかけると、体幹が固定されて、体の力を抜いた時、様々な技を繰り出すことが出来るようだ。

主に、武道で用いられる。

クラシックバレー、モダンバレー、あらゆる素早い動きをする運動に必須の技術らしい。

また、能や日本舞踊でも、しっかりと丹田に力が入っている。

江戸時代のサムライの写真を見て感嘆するのは、正座をしていても、立ち姿でも、腹に力が入っているのがよく分かることだ。

いつしか、日本人は、そんな体の使い方をどこかに置いてきてしまったのかもしれない。

とにかく、静動、いずれの動きにも用いられる大変重要な体の使い方だ。

切腹するときに、この丹田あたりを、真一文字に掻き切るらしいから、ここに、生命が宿っている。

第1のチャクラ・ムーラダーラは、会陰部にある。色は赤。

第2のチャクラ・スヴァディシュターナはここにある。色は、オレンジ。

第3のチャクラ・マニプラは、その上、みぞおちのあたり。色は黄色。

走りながら、このチャクラを意識する際に、色を思い浮かべながら、場所を特定してやると、ヨガの際にも役立つかもしれない。

事程左様に、重要な部位。

ここの使い方を上手に、ランニングに、ペダリングに利用できれば、もう一歩先の地平線が見えてくるかもしれない。

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2015年05月26日

私にはピッタリのPanasonicの鉄フレーム

Panasonicの鉄のフレーム。

悪くない。ちょっぴり重いかもしれないけれど、まあ、こんなもんかと思えば、峠を超える坂道でも、悪態をつくこともない。

古い自転車を大切に乗り続けている人が好ましいと思っている。

が、それには、愛着が湧くものじゃないと、なかなか大切にしたいという気持ちが起こってこない。

カーボンのフレームは、長年にわたって愛着出来るような気がしないのは、どんな形にも成形できるから、3年も経つと、型落ちの車のような古さが出てきてしまう。

どんなに高価なフレームであっても、レースのために特化した、その場限りの成果を得るために作られた、期間限定の、使い捨てのものであるような気がする。

天然素材の家が、10年20年と、時の経過によって、景色に溶け込んでいい感じにくたびれるのに反して、化学製品で囲まれた家が、10年経つと廃墟の香りが家の隅に忍び込んで来たような気がするのと似ているんじゃないか。

一事が万事。

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↑ 先日作ったカレー。美味かった。

イデア界から自転車を取り出したら、きっと鉄のフレームの自転車がそこから取り出されるだろうね。

目新しい物、電通が宣伝するもの、新しいテクノロジー、そんなモダンな世界に背を向けたわけではないが、もっとファンダメンタルで、ラディカルなものに興味があるんだな。

保守的。

自分は、保守的であるのは間違いないらしい。

憲法も、経済も、社会も、今後の日本の姿も、これまでどおりの紆余曲折で、行くべき道をたどればいいと考える。

革新的な現政権には、異議の申立てがある。

音楽の好みは、1960年台のロックと、1950年台のジャズと、ロマン派のクラシック音楽が好きだ。

読書傾向も、古典が多いし、現代作家を読むことは稀であるし。

基本から、根本から、原理から派生して生み出すものに、嘘偽りがないものだし、おおいな生命力があるんじゃないか?

腹圧、肩甲骨、骨盤・・・ここから生み出されるパワーは、体を動かす初動になるとても大切な場所だ。

哲学的な問いに還元できないような問題は、とるに足りないものかもしれない。

また、自転車に乗って、誰も通らないような山道を一人で、黙々と色々なことを考えながら、走ってみたいという気分になっている。

誰よりも速く走りたいとは全然思わない。

自転車は、思考するための良き道具なのだからね。

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2015年05月25日

バイクとトレイルランのクロストレーニング開始

おいしい食事をすると、寝付きもいいし、朝の目覚めもいい。

最近は、4時にはお目々パッチリ。

トレイルランに出かけよう。

走りだすなり、物凄い違和感。

体が重いし、軸がぶれている。

これは、自転車に乗った影響かしらん?

回すペダリングを一所懸命やって練習して、さて、ランニングをするとなると、頭と筋肉にの連携が、少しずれてしまうのが原因でしょうかね?

腹圧かけるのも、うまくいかないし、拇指球から体重を抜くような感覚も絶えてなかったし、いいことなし。

こんな日は、長く走ってみてもいいことがないので、短めのインターバルを3回やって、1時間ほど走って家に戻る。

自転車をこのまま乗らずにおくのは、勿体ないので、今後は、自転車も積極的に乗ってみよう。

1日おきに、トレイルランとロードバイクをクロスさせてトレーニングをするのじゃ。

1日、2時間強。

真夏が来るまで、あと残り僅か。

やれるところまでやってみよう。

posted by ロビオ at 14:59| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月24日

益子、そして、カレー

高速道路飛ばして、益子までドライブに。

関越、北関東自動車道、東北道、北関東自動車道と繋いで、久しぶりの高速道路運転は、つまらないとはいえなかった。

吉田拓郎の2枚組のCDを聞き終わらないうちに、到着した。

益子に滞在した時間はわずかで、渋滞に巻きもまれないように、早めに帰ってきた。

土曜日は、フレンチ料理。

日曜日は、インド料理。

というわけで、カレーを作る。

4種類のスパイスの種、4種類のスパイスパウダーを、炒めて混ぜ込んで、どうして、カレー粉のような香りになるのか、いまだに不思議だ。

ガラムマサラや、ターメリックとか、単独で臭いを嗅いでも、これらが合わさって、例のカレーの香りがするようにはとても思えない。

今日のレシピは、銀座のナイルという有名カレー屋さんの3代目が紹介したもの。

上記、8種類のスパイスを入れて、ココナッツミルクを少々入れた、風味の良いチキンカレーだ。

これで、カレーに関しては、連続3週、スパイスから作るカレーを食べている。

目標は、自分で、好きなようにスパイスの分量を考えて、独自のカレーができるようになること。

レシピで、基本を覚えて、あとは、その応用で、自分のカレーを作りたい。

パンも同様、フレンチも同様。

posted by ロビオ at 05:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

久しぶりのロードバイク(パンクの嵐)

前回自転車に乗ったのは、3ヶ月くらい前。

大仁田峠で、荒れた路面の石でスネイクバイトパンク。

応急処置して、パンクの処理で継ぎ接ぎだらけのチューブに交換してパンク修理を済ませた。

さて、今朝ほど。

自転車に乗ろうと思ったら、後輪のタイヤがぺったんこ。

空気入れても、はかどらず、ぺったんこに戻らんとする。

チューブ外して、空気を入れて漏れる箇所を調べてみたら、パンク処理のパッチのところから空気が漏れているじゃないの。

これは、接着剤抜きで貼れる四角形の透明なパンク用のパッチなんだけれど、接着剤でくっつけるタイプとは違って、あくまでも応急処置のためのパンク修理キットなのかしらん。

お金に余裕が有ることには、パンクしたら、チューブ捨てていたけれど、そんな勿体無いこと出来ないので、パンク修理キットで修理しながら使っている。

接着剤で乾かしてから貼り付けるタイプのものは、しっかりと剥がれずにいるのだが、この透明なタイプの接着剤無しで貼るタイプは、劣化が激しいのかもしれない。

それで、また、継ぎ接ぎだらけのチューブで、これまた、継ぎ接ぎだらけのチューブを取り替えて、タイヤを嵌めこんで、7気圧程度に空気を入れて、終了。

そしたら、出かけようとしたら、すぐさま、空気が抜けた。

それでもって、また、継ぎ接ぎだらけのチューブに、手元に残っていたこれまた継ぎ接ぎだらけのチューブを交換して、パンク修理を完了して、家を出た。

行く直前に2回もパンク修理作業を行って、行く気を削がれたが、乗ってみることにする。

腹圧を常にかけながら、骨盤を上下させて、ペダルの回転ができやすいように、サドルの位置を小まめに変えながら名郷まで。

途中、ローディに追い抜かされたのだけれど、うまい具合に足の重さをペダリングに加えるあの懐かしい感覚が戻ってきたら、だんだんと距離が縮まって、そのまま追い抜いた。

なんだか、いい感じでペダリングができていて気持ちが良い。

名郷から山伏峠を登っていみる。

足をピストンさせるような上下運動ではなく、辛くても、回転させるようにして、登っていく。

乗り込んでいた頃よりも、ギア2枚位ロー側だ。というか、ファイナルのローに固定(涙)。

乗り慣れている時とは、随分とスピードも遅いのだろうが、まあ、そこそこの疲れで、峠に到着。

ここから、下りの練習。

ふと、気がついたのだけれど、下りで一番大切なのが、目の動かし方だということ。

だら〜っと、行くさきを線で辿っていくと、視線が後手後手になってしまう。

車のレーサーは、視線を点でもって、動かすのだそうで、今日は、その練習がしたかったのだ。

視線を、パッパッと、先に先に切り替える。

素早く視線を移動できるので、安心感がかなりある。

線で視線を負っていると、だんだんと遠くを見ることができなくなり、入り組んだカーブの場合、どんどん、視線が手前手前になってしまい、焦るし、先から車が突然現れるんじゃないかという不安で、減速する必要がないのに、ブレーキをかけてしまう局面がかなりあるような気がする。

体は、緊張で固まっているし、全く良いこと無いわけがない。

登ってきたトラックがあったら、今までならば、相当減速してすれ違ったろうけれど、よく見えるので、空いているスペースを、ほとんど減速することなくす〜っと通過できたのは、たった、これだけのことで、こうもちがうのかしらんと感心したわけです。

というわけで、ほんのちょっぴりの思いつきで、下りがかなり安全に速く下れるようになったかもよ。

今日も、帰りにバイクが事故っていた。

この数回、山伏峠で、必ず、バイク事故に遭遇している。バイクには気をつけよう。

次回、山伏峠で、また、調子を見てみよう。

そんなわけで、ロードバイクを練習していた頃とあんまり違和感もないまま、名郷の手前の水場を通り越したら、後輪で蛇でも踏んだかのように、左右にぶれて、おかしいなと思って、止まって調べたら、これまたパンク。

継ぎ接ぎだらけのチューブの、継ぎ接ぎ部分から空気が漏れだした模様。

Park Toolsのパンク修理パッチは、もう使わねえぜ。緑色した接着剤の入った昔ながらのパンク修理キットを使うぜ!と固く心に決めたものの、ボトルの脇に差し込んでいるはずの空気入れがないじゃないの!

ああ、つけてくるのすっかり忘れてしまった(涙)。

チューブも持ってきたんだが、空気入れを忘れてしまったら、万事休す。

しょうがないので、フラットタイヤのまま、あと20キロ強飯能まで自走ですわ(涙)

少しでも曲がる局面だと、後輪が蛇のように左右にのたくりまわり、チューブが外れそう。ひょっとしたら、ホィールが駄目になっちゃうかもしれないし。

新しく出来た新道では、縦の水切り溝がついているところがあるのだが、後輪がズルズル滑って走行不能。

舗装路をちんたらと走るしか無い。

体のフォームも乱れて、腰が痛みだし、肩が凝りだして、尻が痛みだし、辛いのなんのって。

ようやく家に辿り着いた時、やっぱり、自転車は面倒臭えなあ〜と思ったし、チューブは、数年パンク修理キットを貼り付けたまま外に出しておけば、そこから空気抜けがするようになるということも学習したけれど、案外、ロードバイクも楽しいじゃないの。

早速、チューブも新調し、側面にヒビが入っているタイヤも交換して、来週からは、自転車に乗って体を鍛えようじゃないのと思い始めている。

posted by ロビオ at 05:30| Comment(0) | 自転車(ロード) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月22日

トレイルで腹圧トレーニング

昨日のランニングがうまくいったので、今朝は、トレイルで試そうと、里山に入る。

腹圧をかけ続けるのも、だんだん慣れてきて(まだ二日目だけれど)、胸を開いて、胴を伸ばして、骨盤を前傾させて、かつ、上下させて、着地した瞬間に体を伸びあげるようにして、走ってみた。

マルチタスクをするのは、骨が折れるのだけれど、体を弾ませながら、長いトレイル道を走る気分が満喫できてよかった。

こうやって、しつこく体の使い方を監視しコントロールさせたあとで、最後の5キロは、体から意識を抜いて、腹圧と旨を開くことくらいに神経を集中させて走ってみると、軽く走っているつもりでも、キロ4分台くらいで走っているので、このトレーニングは成功しているのかもしれない。

長いトレイルの下りは、久しく体験していなかったキロ2分台。力を抜くことの大切さを身にしみたわけです。

明日は、自転車に乗る予定。

午前中はランニングと農業塾。午後は自転車とフレンチ料理。

ランニングとシンクロさせて、ペダリングを中心に、色々遊ぼうと思っている。

posted by ロビオ at 15:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

腹圧

自転車のペダリング等に関するメルマガを登録して、第1回めのものが届いた。

内容は、「腹圧」。

自転車のフォームで腹圧をかけると、上半身を固定する力が働いて、腰はもちろん、手のひらや肩首の痛みも軽減するか、あるいは、無くなるのだそうだ。

腹の中身である内蔵を含めた大きな空間に圧力を掛けることによって、腰骨だけで支えていた上半身のちからを、腹の部分で支える分、負担が軽減するとイメージしている。

ロードバイクの長い下りで、首が痛くなるのに悩まされ続けているのだけれど、ひょっとしたら、この腹圧をかけるということで、解消されはしないだろうか、と、淡い期待をしているのだけれど。

週末は、長い距離を、フォームを考えながら走ってみよう。

腹圧は、ランニングでも大切で、体をゴムマリのように弾ませるには、腹圧をかけて、体を緊張させておくことも重要であると何かの本で読んだことがある。

ネットで腹圧について検索してみると、腹圧を欠けることが、腰痛に効くのは間違いないらしい。

丹田に力を込めるとか、古武道での体の使い方の基本でもある。

ふむふむ。何か世界が拡がっていくような気がするじゃないの。

深夜の嵐が通りすぎようとして、早朝はやや雨が残っていたのだが、ドアを開ければ、エメラルド色とブルーの空が、雲の裂け目から、顔をのぞかせているじゃないの。

というわけで、いつものフォーム練習に、この腹圧を加えて、軽めの1時間40分のジョギングだ。

腹圧を高めるには、下腹部の横隔膜を上下する際に使う腹筋の中でも奥にあるインナーマッスルを使用するとのことである。

腹に力を入れて、鎧を纏ったように武装しておいて、腹を凹ませて息を吐いて、膨らませて息を吸うということを一緒にしようとすると結構しんどい。

腹全体に力が入っているようで、腹を前後に引っ込めたりして横隔膜を上下させることが阻害されるのだ。

下腹部だけに力を加え続けるということも可能だろうが、下腹部という腹の筋肉の一部分だけに力を入れるようには、自由に筋肉を「分化」使用出来ないようだ。どうしても、腹全体の筋肉が作動してしまう。

こうやって、机に座っている時でも、下腹部に力を込めているのだけれど、知らぬ間に、力を込めているのを忘れている。こうして、腹に力を入れると、肩に力みが入って、なんとなく、体の動きがギクシャクしてしまう。

自転車とランニングとは、使う筋肉やフォームも異なるのだろうけれど、体の使い方がどういった機能をするのかということは、同じようなもので、インナーマッスルが体幹を保持するためにあるということで、一致する。

最後の5キロほどは、今日のトレーニングの総まとめで、もう一度立ち止まって、フォームを正して、腹圧をかけて、やや速めに走ってみている。

腹圧のかかっている箇所が丁度体の重心である丹田に相当すると思われるので、腹圧に使用されている腹筋のインナーマッスルだけに意識を集中させて、あとは、体中、脱力して、この丹田から、力が発生し、この部分で動かされたエネルギーが、腸腰筋、臀筋、ハムストリングと移動して、拇指球から抜けていくことをイメージして走ったら、案外、上手に走ることが出来た。それも速く。

腹圧を意識して走ったのは、久しぶりのこと。

今日がこの感覚を大切にして、明日も走りましょう。

posted by ロビオ at 14:35| Comment(0) | トレーニング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月20日

パン・ド・ロデヴ

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全粒粉でパン・ド・ロデヴを作りました。

酵母は、麹でおこしたものです。

5月はパン作りには、最適の温度で、プクプクと過発酵気味でパン生地が出来上がりました。

朝にパンを捏ねて、およそ10時間程度冷蔵庫に入れておきますが、冬と夏では冷蔵庫の温度が違うんでしょうか?発酵し易いのです。

今朝も、パンこねたから、これで、3日連続のパン作りになります。

いままで、無理して、パンを成形していたけれど(レーズンやくるみを入れてみたり)、一度軽く気泡を叩いて抜くだけで、あとは、4つに分解して(一つ250グラム)、オーブンに入れて焼くだけ。

キッチンペーパーを折り目をつけて、隣のパン生地とくっつかないように工夫して焼くといいみたいですね。

温度は、250度で17分。

回りの皮はパリパリ、中はもっちりとした美味しいパン・ド・ロデヴの出来上がり。

焼き上がりの表面の色は、ややきつね色で、調度良い感じ。過発酵だと糖分がなくなるので、焦げ目がつかない白っちゃけたパンになります。酸味も出るかもしれません。

以前、狭山のパン屋さんのパン教室に半年通いました。

その時習った酵母のおこし方から、水の分量、粉の選別も全く違いますが、このパンを食べて頂いた知り合いが、狭山の『ミラベル』さんと同じ味がすると言われて驚きました。そのパン屋さんのパン教室に通っていたものでしたから。そのパン作りの精神をしっかりと身につける事ができたのかもしれません。

まだまだ課題があります。

上手にクープが入りません。パン生地は、固体というよりも液体に近いので、剃刀の刃がうまくたたないのです。

天然酵母と塩と小麦粉だけで作るパンは、嘘がつけません。

私は、バゲットとこのパン・ド・ロデヴだけしか作りませんが、これが上手にできるようになると、他のものは、たいていうまく行くような気がします。

毎日、毎朝、パン作りのトレーニングです。

posted by ロビオ at 09:54| Comment(0) | パン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

英語を日本語に置き換える作業はミステリーを解くのに似ている

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英文解釈というのが好きで、難しい英文を、文法やら単語の意味を駆使して理解していくことは、ミステリーを解くのに似て楽しめる。

私が大学受験をしていた頃は、Z会とか、オリオン社の英語の添削は、難しかった。

何度読んでも、何が書いてあるのかわからず、辞書を引き引き、本屋で分厚い辞書を手繰ったりしたこともあった。

自分の実力をはるかに超えた学習素材だったが、宅浪して、通信教育しか受けなかったので、これをするしかなかった。

そんなオリオン社の添削教材を集めて編集したのが『思考訓練の場としての英文解釈』という本で、字が細かくて、今の私には、読むのが苦痛であるけれど、読み返してみると、知らない単語はけっこうあるのだが、一読して内容を把握することが出来る(こともある)のは嬉しい事だ。

いつの間にやら、英文をたくさん読んでいるうちに、英文解釈の力がついているのかも。

それにしても、昔の受験参考書は、素材が、英米の有名作家や批評家(リンドとかモームとか)で、意味内容が素晴らしいもので、英文の極致とも言える省略された文章は、詳細な解説で理解すると、ココロの肥やしにもなって、お勧めだ。

もう一つ、私達の受験時代に一世を風靡した伊藤和夫先生の『英文解釈教室』なる本があって、先日、ブックオフで100円で売っていたので購入したのだけれど、

One notion left over from the nineteenth century and still influecing our thoughts is that two major wars cannot happen within a few years of one another.

という文章があって、

19世紀からあって、現代でも我々の思想に影響を与え続けている考え方のうちの一つに、数年の間隔を置くだけで2度大きな戦争は起こらない。

と言った意味だろうけれども、10代の自分には、この意味することがよくわからなかったはずだ。

現時点で、ああ、そうか! 戦争体験者がいなくなって、戦争の悲惨さや、それが人類の最悪の事態であるということを、自分の体験として語る人がいなくなった頃、大きな戦争が始まるんだ、ということを、短い文章で言い尽くしているのだな、と感嘆するのである。

戦後70年。戦争体験者がいなくなり、記憶が風化すると、他人ごとのように戦争を考え、自分がその場に立って国や企業の捨て駒として濫費されるのもわからず、分裂したカーキ色のメンタリティを纏った積もりに積もった内的自己が、自己開放の場はここにしか無いと、まさに暴発しそうな噴煙のきな臭い香りが漂っている現在、まことに、身につまされる文章ではないか。

ところで、ジュンク堂が配布している(頒価50円と書かれているけれども)雑誌『書標 ほんのしるべ』という雑誌があって、本の紹介がされているのだけれど、この紹介文が実に上手で、どれもこれも読みたくなってしまうのだ。

その中で、『かつて「チョイス」という名の英文教材があった』斎藤雅久著という本が紹介されていて、これは、駿台予備校の英語授業で使われていた教材「チョイス」を改変したものであるらしい。

紹介文では、

直訳して内容を理解するには一筋縄にはいかないものばかりで・・・

というところがあって、そうそう、英文の難しさは、直訳では、まったく日本語として成立していないものが多く、英語の中に入り込んで自分もそれに同化してその言わんとする意味を把握し、体験するといったことが必要なのだということを喚起させてもらった。

というわけで、この本、本屋で立ち読みしてみようっと。

味のある英文をとことん噛みしめるのも、いい日本語の文章修行であろう。思考の訓練にもなるし。

というわけで、写真は、昨日焼きあがった、パン・ド・ロデヴ。

回りはカリカリ、中身は、しっとりの逸品でありました。

色々な方にさし上げて、パン外交に使っております。

今日も、明日も、パンを焼く予定。こちらも、楽しい。

posted by ロビオ at 11:16| Comment(0) | パン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月18日

トレイルラン再開(2日ぶり)

二日間雨やらイベント手伝いで走ることが出来なかったので、今朝は長めのトレイルラン。

体の筋肉疲れは、完全に抜けている。

イベントの手伝いも、体を休めるのにいいのかもしれないね。

最近、朝の3時30分には目が醒めて、十分な睡眠がとれている感じ。

3時半に起きるには、早過ぎるので、うとうとしだすと、朝4時にセットしたラジオが流れて、ラジオ深夜便の『明日へのことば』をそれとなく聞いているうちに起き上がり、短パンランシャツに着替えて、水を入れたボトルを1本手にして家から飛び出すという感じ。

4時30分頃走れば、だいたい6時30分くらいに家に戻る形で、今朝は、出勤前に、パンを捏ねることが出来た。

パンに関しては、パン種を発酵させづらい冬の低温に慣れてしまって、うかうかすると、過発酵でパン種を駄目にしてしまう。

二日前に、麹酵母エキスで作ったパン種は、過発酵で大失敗。

日曜日、イベント手伝いの前にちゃちゃっと作った奴が、もうパンを作れる状況になっているので、パン種を起こす時間は、冬の二分の1くらいになっていることを頭に入れないと、パン作りのスケジュールを調整できない。

毎朝、2時間程度、週末も含めて走り続けることが出来るような体力を身につけたいというのが、5月6月の目標だ。もちろん、自転車だっていい。

その為には、心拍数を管理して、体に負担を与えていないかを随時チェックしないといけない。

今朝も、低心拍数で、150には入れず、135くらいで落ち着く程度に走り、スピードを出したかったら、天井知らずでどこまでも駆けていくという方針で走ってみる。

とにかく、この朝のトレーニングは、生活のベースを作り出す大切な儀式でもあるのだから、一生、こんなふうに運動が出来る体を維持できるよう、無理せず、怠けず、いい塩梅を見つけて、体を鍛えていきたい。

posted by ロビオ at 13:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

スペルト小麦とパプリカのココット

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毎週土曜日は、フレンチ料理に挑戦。

スペルト小麦とパプリカのココットを、レシピ通りに作りました。

スペルト小麦は、小麦の原種で、購入費も高いので、秋に自分たちで作ってしまおうという計画があります。

勿論、パンにも使用します。

現在出回っている小麦は、とても健康的だとは言えないので、原種の小麦を調理するのです。

この小麦は、ぷつぷつと弾力があって、「ナッツのようだ」という人もいます。

第何回目かは忘れたけれど、二人で料理をつくるのはとても楽しいですね。

日曜日は、本格的なカレーを作って3週目。以前、カレーに凝っていた頃に集めたスパイスを処分するということも考えてですが。

月に1度程度、美味しいと言われる店にも行って、味を確かめるのですが、我が家で作ったほうが、美味しいですね。

外食して二人で7000円とか払うなら、同じ料理が半額以下、2000円もあれば、出来てしまうのではないでしょうか、それも、大盛りで。

パンも、自家製のパンで、そこいらのレストランで出るパンとは、別ものですし。

皆さん、フレンチを自宅で作りましょう。

そして、情報交換しましょうね。

posted by ロビオ at 03:35| Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月16日

Formaを観た(ネタバレあり)

映画館のスクリーンに、登場人物が右から出てくるか、左から出てくるか?、という演出があって、例えば、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」という映画の冒頭シーン、普通の靴を履いている主人公は、左側から、生存を脅かす存在になる敵役で、白とクロのコンビの靴を履いた人物は、右側から登場する。

そして、同じ電車に乗って、コンパートメントの対面に座り、交換殺人の話が出て・・・というサスペンスが始まる。

つまり、欧米人にとって、左から右に文章を読む癖がついているので、左から登場する人物は、異常事態ではなく、左からあるものが登場するという事態、慣れない視線を共用されるがゆえに、ザラザラした、居心地の悪い感覚を、観客に与える効果があるのだそうだ。

というわけで、先日見た映画『Forma』http://forma-movie.com/jp

登場人物が、ほとんどすべて右から左に現れる。映画は、淡々とよくありうる話が続くのだけれど、観客は、何か得体のしれない物語が既に始まっていることを予想するのである。

この映画の特徴は、シーンのすべてがカメラを固定したロングショットの長回し。カメラが移動することもなく、ズームもしない。一点で固定して動かない。そして、音楽がない。照明がない。

ビデオで、定点観測をしているか、あるいは、ATMの犯罪記録カメラのようで、長回しのショットをつないだ映画とも言える。

観客が、音楽、照明の当て方、プロットの流れ、カット割りの速さ、カメラの位置で、話の方向性、意味を汲み取る芸術が映画というものだろうに、そうした技術を敢えて放棄して演出しているところが凄い。

定点に置かれたカメラで、人物を撮るわけだから、カメラが主人公の視線となって相手の顔を映し出すことによって、二人が相対して、相互に相手を映し出すことによって、その場に生じている感情を、言葉の意味を汲み取っているという演出は皆無である。

ある部屋の、場所の一箇所に、隠しカメラのように置かれているわけで、カメラの存在に気がつかない登場人物は、覗かれていることも知らずに、日常生活を営んでいることになる。

だから、登場人物が、この隠しカメラの存在に気がつくまで、一切、カメラに目を向けることがないことになり、つまり、登場人物の顔を真正面から捕らえたショットは、一回しか登場しない(かったはず)。

映画に溢れる色(音の氾濫も同じ)が、時の流れを変えるという演出方法があり、画面に色が氾濫すると、観客は様々な色を追いかけることになり、情報が氾濫するのに忙しく、その分、時間の経過が速くなると感じることができる。

この点、この映画は、色は、蛍光灯のオフィスを普通の感度のカメラで写したやや青白っぽいビデオ撮影の色に支配されて、この点でも謙抑的だ。

音に関しても、音楽は一切ないかわりに、台所の石油ストーブの上に乗せた薬缶の湯の沸き立っている音とか、そういう音を、登場人物が話す声と同じくらいの音量で流したりするという演出や、

喫茶店で登場人物が話す言葉を、手前のテーブルで話しをしている二人連れの声と同じくらいの大きさの音で拾って、話している内容をわかりづらくする演出や、

突然、コップが床に落ちて、割れる音を、大きな音で流したり、

その他にも、色々あっただろうが、計算され尽くした演出が心憎いのである。

脚本に関して言うと、ある状況を設定して内容を役者に理解させて、自分のもっている「日常」で語る語り口で、自由に会話をさせたというふうに思えるほど、整理されていないセリフの過剰が、実に、自然な形でセリフとなって浮かび上がってくる。

なお、物語の進行は、アリストテレスの悲劇論を踏まえて、登場人物の紹介→敵役の存在→その対立が生み出すラストという流れを綺麗に追いかけているのだが、途中で1箇所、時間系列が前後するので、長回しのロングショットを見続けているしびれかけた頭に、血流を促すいい気分転換になっている。

なにせ、2時間20分を超える映画である。こういう点でも素晴らしい演出だ。

殺人の場面でも、主人公の一人が、これから起こるであろう女二人の修羅場を段ボール箱に穴を開けて隠しカメラを設置して証拠を掴もうとしておいたものが、映画としてのカメラの視点に置き換わるので、実際の殺人場面も、倉庫の段ボール箱の影に隠れて映しだされない演出だ。

こうして、この映画は、様々な映画技法を駆使することによって、観客を映画の世界に泳がせるというよりも、そうした映画技法を剥ぎとってしまったところから、サスペンスやリアリティーを浮かび上がらせることに成功したように思える。

定点から映される20分を超えるロングショットの画面の中で起こる女二人の喧嘩の場面は、リアリティーがあり、それをどこかで覗き見しているような感覚があり、ああ、女の人ってコワイと心底思ったのは事実である。

最後に、この間読んだ『ヒッチコック「裏窓」 ミステリの映画学』加藤幹郎著によれば、ヒッチコックの『裏窓』で起きた殺人事件は、本当に起こったのか?ということを、わざと直接の現場を映さないことによって、ヒッチコックが二重の意味を生じさせたと解釈している

確かに、殺人現場もなく、犯人が直接殺人を自首した場面もないから、そうとも言えるのかもしれない。そのことが、映画に奥行きをもたせているかどうかは疑問だけれども。

この映画も、こういう視点で見ると、殺人が行われた場面で、殺された(とされる)女の足が動かなくなったとしか見えないし、その映像テープを見た父親が、娘を(殺したとされる)かつての愛人(とされる)女のところに行き、女は号泣し、父親は膝をついて崩れ落ちている姿を、遠いところから長回し(20分以上!!!)で撮っているだけなので、殺人は実際に起ったのか?父親と主人公の友人は本当に「出来て」いたのか?という疑問も生じていいのかもしれない。

とにかく、あらゆる映画的なもの(映像や音によって、あるいは、脚本によって真実を明らかにするといったようなもの)を隠すことによって、ふしぎなリアリティーが獲得された素晴らしい映画であることには間違いない。

posted by ロビオ at 02:45| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月15日

自然を内在化させる

1日2時間、毎朝走っていると、やはり疲れが溜まってくる。

脹脛、前頚骨筋あたりが筋肉痛っぽくて、早朝起きてトイレまで歩くのだが、苦痛でもある。

けれど、しばらく立ち上がって、着替えしていると、あ・れ・ま そんな不快も綺麗さっぱり(とはいわないが)消えてしまう。

痛み成分というのは、寝ている時に、沈滞しているんでしょうかね。それが、増大する心拍で血液が流していってしまうからなくなっていく、そんな生理的な作用があるんだろう。

というわけで、今朝は、一瞬、走るのを休もうかと思ったけれど、腹の脂肪もなくなりつつあり、あと3キロほど痩せてしまいたいので、走ることにする。

行き先は、近所の里山。

とかく、ハイカーとトレイルランナーとの気分的な衝突が昨今叫ばれているけれど、実際に山道を走るというほどの脚力がある人はごく少数で、早歩きか、歩幅狭くしてチミチミと山道を登っているという方がふさわしく、決して、猛スピードでトラックを走るように走れるものではない。

南アルプスやら、八ヶ岳やら、人の集まる「山岳」地帯では、走るのは無理に違いない。少しばかり早歩きのハイカーといったほうが正しいのだ。峻険な山道を下るのだって、走ることはできない。休まず、弛まず、軽い荷物と軽快な靴で、早歩きで下っているのに過ぎないのだ。

ハイカーとトレイルランナー、そもそも、あまり変わりはない。レースでもしない限り。

鎌倉アルプスなる観光客が大勢の狭い道で、大勢でトレイルランナーが走れば、それは眉を顰めたくなるのはよくわかる。

なので、一人ぽっちでトレイルを走るのが嫌いなら、せめて、4,5人位の仲間でトレイルを走ればいいし、できれば、単独で走ってもらいたいと思うのである。

幸い、朝の4時頃、里山で人に会うことは、稀である。物思いにふけりながら走るもよし、瞑想的にココロを無にして走るも良し。、耳から聞こえる音楽に合わせて踊りながら、歌いながら走るも良し、来た道を戻って何度も登りの練習もするも良し、ここは、本当のパラダイスなんである。

かつて、この地が住宅地になるという計画があった頃、無くなる予定の里地を走って、そこの空気を吸い、そこの山道を走りながら筋肉の厚みといった体内の構成要素として、あるいは、記憶として、内在化させようと思っていた頃があった。そうすれば、この里地が無くなってしまっても、自分の中に残るのではないかと。

なんだか、珍しい鳥の声が聞こえたけれど。

蝶が三頭、縄張り争いしている。

エノキの白い花が国道の街路灯の光のようにトレイルに落ちている。

息をするたびに、何者かが入り込み、でていく。

ありのままを肯定しようという気分になる。

今日の始まりは成功だ。

posted by ロビオ at 12:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

紙の月(ネタバレ注意)

宮沢りえ主演の映画『紙の月』を観た。

始終、ヒロインに感情移入できないのは、横領事件に手を出すその動機に説得力がないからだ。

学生時代に天災に苦しむ子供を助けるための寄付金を、親の金を盗んでまでも寄付したという善悪の感覚が少しばかり偏っているという説明とどんな大きな犯罪も、最初は小さな犯罪から始まるといった私達が持っているある種の先入観を、「男と金」というテコを利用して、説得力を得させようとしている。

普通の人なら、犯罪の一線を超えるその壁は高いものなのだけれど、彼女は、こうした性格だから、簡単に踏み越えちゃった、そういう風に見えるのだ。

けれど、それは、見る側の予想の範囲内のことであって、そこには、ドラマ的な盛り上がりが少ないのだね。

この映画の内容だが、アリストテレスによれば、物語とは、主人公の説明、次に、対立者の存在、最後に、両者の対決があり、結論が生み出されるという流れになる。

この映画の場合、対立者の存在というのが、やさしいできすぎた夫との日常生活になんとなく満足できない自分自身ということなのだろうけれど、それを乗り越えてこそ、彼女自身が成長する物語、あるいは、苦労の末、敗れ去ったとしても、それまでとは違った自分がここにいるという風に流れないと(ロッキーみたいに)、見る側もココロを動かされないのだ。

この主人公は、平凡だったパートの主婦から、一ミリたりとも最後の最後まで成長していない。見終わって、こちらの気分も高揚しないのである。

2時間程度の映画だと思うが、銀行にパートとして働く主婦が、旦那とのすれ違いを感じ始めた頃、訪問先のお客の甥っ子とできちゃって、浮気をしながら、銀行の金を横領し、捕まる寸前に国外逃亡する話。

以上!で終わってしまう。

という風に、あまりにもわかりやすい筋書きなので、色々な捻りや、屈折した伏線がなければ、映画が持たない。原作に難ありなのか、脚色が悪いのか?

それが、どうにかもっているのは、主役の宮沢りえの魅力だ。

昔のハリウッド映画なら、ベッドシーンなど写さなくても、電車で出会った二人が見つめ合い、ホテルの入口まで歩いて行けば、それだけで、その後の経緯は100%どうなったか説明したことになるのだけれど、この映画では、何度もこんなシーンが続く。

こうしないともたない映画なんだろう。こうした過剰な説明映像を省いたら、単なる10分位のドキュメンタリー映画に堕してしまう可能性がある。だから、魅力的な主人公が必要だったのだ。

たしかに、宮沢りえは魅力がある。

けれど、痩せ過ぎで、顔の頬骨が飛び出て、上唇の鼻の下あたりの肉が薄くて、上の歯列が浮き出て見えるよう(サイコのラストシーンでジョージ・チャキリスの顔と母親のミイラの顔がダブって写されるけれど、そんな感じ)。

最後に、詰問されている銀行の部屋から、大きな窓を椅子でぶち破って逃走するシーンがある(唯一、唐突で意外性があって、一瞬、スカッとした爽快感があるが、次の瞬間、この主人公は、何から逃げて自由になろうとしているんだろうと頭の中でQuestionsが現れて、すぐに快感から冷めてしまった。「カッコーの巣の上で」でチーフが水飲み台を担ぎあげて扉を壊して逃げ出すシーンには感動したが)。カメラは、横から走る姿を取るのだれど、竹馬を履いているのではないかというほど、足が細い。

願わくば、フアンの一人として、あと、5キロほど太った宮沢りえが見たいものである。

posted by ロビオ at 11:18| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月14日

将来は暗い。だから、トレイルラン。

『街場の憂国会議』晶文社内田樹編を読み始める。

内田樹をはじめ、小田嶋隆、想田和弘、高橋源一郎、鷲田清一等優れた書き手が、日本はこれからどうなるのかということについて自由に書いた文章で編まれている。

今の日本の現状を知るのに役立つ視点を得るにはこれほど優れた本はなさそうである。

今、日本は、本当に病気である。

常識が通じない、論理が通じない、良識が通じない。

それらを持っている人には、ただただ驚くばかりの事態が、毎日のように起こっている。

ニュースを聞くのが苦痛である(それを聞きながら悪態をつく)。

国が神経症を病んでいると分析したのは、岸田秀の「ものぐさ精神分析」においてである。

ペリー来航によって、強引に国を開かされた日本は、アメリカに卑屈に隷従する外的自己と、自己を理想化した内的自己に分裂してしまった。卑屈にアメリカに隷属する自己を、内的自己は許さない。その自己同一化の維持が難しくなった時に発狂する。

日本にペリー・ショックという精神外傷を与えて日本を精神分裂病質者にしたのも、日本を発狂に追いつめたのもアメリカであった。そのアメリカへの憎悪にはすさまじいものがあった。この憎悪は、単に鬼畜米英のスローガンによって惹き起こされたのではなく、100年の歴史をもつ憎悪であった。日米戦争によって、百年来はじめてこの憎悪の自由な発現が許された。開戦は内的自己を解放した。

日本は、今、発狂寸前。何かの引き金でたやすく内的自己がマグマのように噴出するかもしれない。戦後70年経って、マグマは十分に噴火口直下に溜まっているのではないか?

アメリカの押し付け憲法と現憲法を呪い、アメリカに行けば、日本の国土を、自衛隊をアメリカのいいように利用させる約束する(させられる)。大丈夫なのか?反米なのか親米なのか?自分でもわからず分裂しているんじゃないか?

日本人は、みな、この病を持っている。しっかりと自覚して、つい気分でふらふらとしないように、肝に銘じたい。

日本の将来は暗い。しかし、暗いと言っても始まらないので、今朝も早朝ジョグ。

路面は乾いているだろうから、トレイルを走ることにする。

精神安定剤の代用としても、この早朝のトレイルランニングは必須のものだ。

卯の花が咲き、エノキの白い花びらが路面を彩り、ニセアカシアの花がミツバチを誘っていたよ。

パーシー・フェイス・オーケストラの「夏の日の恋」を聞きながら、スカッと走り終える。18キロ。2時間。

https://www.youtube.com/watch?v=bz4DOlnh64Y

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2015年05月13日

朝トレーニングを継続すること

最近は、朝にトレーニングして体調を整え、休日は、他の活動に勤しむという方針を立てたので、土日も含めて毎日、早朝トレーニングをするためには、強弱併せ持った内容で、疲れを溜めることなく毎日を乗り切らないといけない。

環境問題と同じ「持続可能な」というのが、キーワードになる。

そもそも、1日2時間弱、運動に精を出せば、それで十分じゃないのかね?との声を走りながら聞いたのが発端で、毎日しっかりと鍛えていれば、土日に8時間も運動する必要は感じない。時間は有効に使うべし。

昨年の今頃、土日は、飯能アルプスにて、8時間以上トレイルを走っていた。今思うと、馬鹿だねえ、と思う。

確かに、そんな時期も必要だろう。怪我故障をしなかったのも褒めてあげたい。

しかし、あれもこれも、過ぎてしまえば、無駄なことだったような気がする。

50をすぎれば、時間が勿体無い。やりたいことは、たくさんある。

東京を味わいつくしたい、スペルト小麦栽培の行く末も見届けたいし、農作業も、料理もしたいし、旅行も行かねば(奈良京都)、映画も見たいし研究したい。

早朝トレーニングに運動を限定する所以である。

今年は、そんな風にして、トレーニングと向きあおう。

というわけで、今朝は、緩めの心拍数で、20キロ走。山王峠方面をぐるりと。

雨の日にトレイル入ると靴が汚れるので、久しぶりの舗装路だ。

熱帯高気圧が空気を入れ替えて、瑞々しい空気が喉を潤す感じ。

腰の上下、拇指球を意識して、緩めに走る。

自転車とランを交互に練習できれば理想的なのだが、なかなか自転車の整備が・・・。

骨盤の上下運動は、ランニングやトレイルランニングの場合だと、特に上り坂で、足の屈伸が腰で足を持ち上げる分だけ縮こまらないので、膝を曲げて体重を持ち上げる時間が短くて済み、結果、前面の筋肉をあまり使わずに、省エネ走法に繋がりそうだ。

それに、腰を下げた時に同時に着地すると体の体重が腰に乗るので、反動を利用して走ることも出来そうである。

トレーニングで消費されるカロリーというのは、運動の強度にかかわらず、体重✕時間にほぼ等しいらしいので、2時間走れば、私の場合は、1200キロカロリー消費されたことになる。

こうした生活のリズムを1年継続できると、どんな体になっていくのか、それを知りたいと思っている。

その為には、賢く毎日運動を続けないと。

朝、4時30分にランニング始め、白い色は恋人の色を聞きながら、今朝も自然の気を体内に取り込んで6時15分頃終了。

https://www.youtube.com/watch?v=BMkJjevfaiY

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2015年05月11日

ジャージー・ボーイズ

久しぶりの映画です。

クリント・イーストウッドといえば、映画の巨匠です。

この監督が作った映画でつまらないものは一つもない。

そういった意味で、ヒッチコックに比肩するのは、この監督をおいて、誰もいない。

その映画の巨匠が、フランキー・ヴァリとザ・フォーシーズンズのミュージカルを映画にするという。

これは、見なくっちゃ。

この監督は、音響に非常に拘りがあるので、劇場で見ないといけない。

歌と音響にやられました。まさに、ジュークボックスのように歌が流れ続ける。台詞の間にも、映画の中のラジオから彼らの曲がかかり、一体全体、何曲、彼らの曲がかかったんだろう。サントラ盤から抜け落ちている曲も含めたら、相当数になるはず。そのどれもが、いいんだなあ。

フォー・シーズンズの歌といえば、シェリー、君の瞳に恋してる、が有名ですけれども、僕が初めて知ったのは、ジャクソン・ブラウンの「ランニング・フォー・エンプティ」というアルバムの「ステイ」ですね。このツアーに明け暮れている辛い日常を描いている映画で言うとロードムービーのような優れた半ライブアルバムのラストの曲。

歌詞は全く変えているけれど、バックのローズマリー・バトラー、そして、デイヴィッド・リンドレーがフランキー・ヴァリのように裏声で歌うという大団円の曲。

♫もう少しだけここにいたいんだけれど

プロモーターも組合も気にしないよ。だから、もう1曲だけ歌わせて♫

https://www.youtube.com/watch?v=AiHBCruacA4

ジャクソン・ブラウンとブルース・スプリングスティーンが、「No Nukes」のライブアルバムでも歌っていたっけ。

この映画は、音響が全て。家でDVDでみても、感動はガクッとさがるかも。

ジャズ好きのクリント・イーストウッドだけあって、「君の瞳に恋してる」を歌うシーンでは、ブラスバンドの音が凄い!

それにしても、こんな映画もものにしてしまうクリント・イーストウッドってバケモノだ。

posted by ロビオ at 06:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする