2015年04月29日

よく遊びよく学べ

最近、休みのたびに、池袋の新文芸坐へ行って映画を2本見るという週間が付いていたけれど、今週は高倉健特集。
ボクは、あんまり高倉健好きじゃなくて、昭和残侠伝でも、高倉健より池部良や藤純子に痺れるわけで、まして、任侠路線を外れた高倉健の映画でオモシロイと思った映画は、『幸福の黄色いハンカチ』くらいで、今回はやめておく。
というわけで、妻は、フレンチレストランへ友人と遊びに行ってしまったし、山の補給食でもつくろうと、朝から色々と台所仕事。
パンも、パン種が過発酵してしまうので、捏ねて焼かねば。
というわけで、色々忙殺されて、10時ころ、パン種の一次発酵の合間に、トレイルランに出かけた。
いつもの、北向地蔵往復、19キロコース。
体が重かったけれど、片道1時間で北向き地蔵へ。
ハイカーが多くて、歩くことが多かったのに、案外早く北向き地蔵についてしまった。新フォ−ムがいいのかしらん。
この時期、昨年は、飯能アルプス、飯能から武甲山、武甲山から羊山公園経由で西武秩父駅までを2回か3回。同じコースで、途中の伊豆ヶ岳を往復するのを3回やったはず。
今から思えば、ツマランことやっていたな。
そういうことやっている人には、そういうつまらないことは、やめて、早く自分のやりたいことを見つけなさいとアドバイスしたいね。
ま、冗談はさておき。、それに比べれば、可愛らしいもんだけれど、スピードは確実に速くなっているぞ。
リィディアードは偉大なり。本当に、選手になりたい人は、この人の本を読んで、そのとおりにやればよろしいのだけれどね。
50を過ぎたら、運動は2,3時間にしておきたい。残る時間は、自己実現のために利用するのが正しいんだね。
というわけで、家に帰って、幸田露伴の『五重塔』を読み、長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』を久しぶりに見て、休みを堪能ス。
よく遊びよく学べだよ。バランスが大切。







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2015年04月28日

グレープフルーツ

土曜日の晩、FM聞いていて流れた音楽が気に入ってしまった。

Love PsychedelicoというグループのGrapefruitsっていう曲。

探して見つけてよかった。英語の発音がいいんだね。

ボブ・ディランとビートルズの香りがする素晴らしいグループだね。

https://www.youtube.com/watch?v=vic2og0xztg

今朝は、ちょっぴり早起きして、ボブ・ディランの”風に吹かれて”を聞きながら、15キロ里山ジョグ。

舗装路でも山道でも同じようなフォームで走りたいというところがあって、山道では歩幅をその分小さくして、腰で走るようにしているのだけれど、なんとかものになりそうで、坂道も疲れることなく速く走り切ることが出来そうだ。

腰で乗っかる感じ。そういえば、坂道の腰で上るペダリングと同じような感じだな。

ちょうど、ケイデンスにピッタリな音楽が流れば、そのリズムを捕まえて、乗っかって、腰と肩甲骨で踊るのよ。

皆さん、あっちこっちのトレイルランレースに参加しているようだけれど、あれじゃ、業者にお金配っているようなもん。

もっと一人でも楽しめるトレイルランというのがあるのにね。

今日は、ガマズミ咲いてました。

大勢というは、楽しめない。ひとりが一番。それか、話の会う仲間と少人数というところか。

ロックンロールのお供があれば、おいらは、これで、十分さ。

明日は、長距離をこのスタイルで走ってみたい。

走れるトレイルって言えば、人の来ないあそことあそこかな?

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2015年04月26日

谷中・根津・千駄木散歩(都バス草46系、41系)

早朝、北向地蔵往復タイムトライアルをして、新フォームで2時間切って家に到着。

登りは、誰かに引っ張られているようで、とても気分がイイのだが、その分スピードが上がるので、2時間走った疲労度はあまり変わらない感じがする。

家に戻って、池袋へ。

パルコ前あたりから、草63系の浅草寿町行きのバスに乗る。もちろん、500円のバス一日乗車券を購入する。

都バスで運転手さんに発券してもらうのだ。テレホンカードのようなもので、裏側には有効日と23区内1日乗車券 大人500円 車0264との記載がある。このバスは、0264という記号で示されているんだな。これで、一日に何度でもバスを乗り継ぐことが出来る。

都バスを乗り継いで、青梅の都バスで、成木方面へ行き、そこから飯能まで歩いて帰るというのも考えているけれど、23区内と書かれているから、これでは、利用できないようだ。

住み慣れた実家の近所を通りぬけ、巣鴨、白山下を経由して芋洗坂下下車。

下りた瞬間、根津谷中千駄木地域が「観光地」になっていることに仰天。

コジャレたコーヒーショップ、レストラン、甘味処などなど、店先には金魚のフンのように列が連なり途切れることはなさそうだ。

さてさて、どう散歩しようか?

有名な森鴎外の住居後で、明治の文豪たちのサロンでもあった(今は博物館のようなものになっている)観潮楼跡からスタートして、藪下道を伝って、解剖坂を登り、漱石の旧居跡(明治村に移築されたそう)を見て、日本歯科大学をぐるり回って、根津神社。

根津神社がツツジ祭りで、花満開を少し過ぎた感じだが、人人人・・・。ああ、嫌だ。

逃げるように、そうそう、鴎外の「雁」で、S坂と呼ばれた坂が、そのままそうよばれている坂を登ったり下りたりして確かめて、今回はじめての「お化け階段」を登り、東京大学農学部のカフェテラスを眺めながら異人坂を下り、不忍通りに出たら、甘味処アイスモナカで有名な芋甚の前を歩いて、赤字坂。

途中、店の表面に銅板を打ち付けた商家があり、これは、関東大震災の後、焼失を防ぐために流行ったらしい。神保町の古書店にも1軒だけこうした姿を残しているものがあるのをどこかで読んだ記憶がある。

今回、2件ほどそんな店を見つけた。

大名時計博物館の建物をちらりと確認して、伊勢五本店に辿り着いたら、TOKYOBIKEという店になっていて、中にはいって自転車を眺めてみた。

岬坂を下って、全生庵という臨済宗のお寺に、敬愛する山岡鉄舟と三遊亭円朝のお墓があるというので、お参りス。

寿司屋乃池は長蛇の列。空いていたら今度ここで寿司を食べよう。そこを右に曲がってよみせ通りに入る。

巣鴨地蔵通りも昔はこんなかんじだったのが懐かしい。途中右に折れて谷中銀座。

どこも、かしこも人また人。肉屋の店先の揚げ物に列を作っている。ワイングラス1杯400円なんていうのを酒屋でもらおうと思ったら、ここも人が並んでいて、面倒だ。

おう、これが、夕焼け段段。階段を登って、お寺の門に薩長隊の銃の穴の跡を手で撫でてみたり指を突っ込んだりして、その隣の佃煮なかのやで、好物のアサリの佃煮を買おうと思ったが、先を急いで、谷中せんべい手前の路地を右に入って、都せんべいで、単品のせんべいでも買って、小腹を満たそうかと思ったら、12枚入りのしかなくて、諦めたが、この路地も味わいがあって素敵過ぎる。

途中朝倉彫塑館、幸田露伴の住居跡を探して、観音寺の築地塀を鑑賞すれば、気分は「江戸」で、谷中墓地に入り込んで、五重塔の跡を見学する。

小学生の頃来た記憶があるが、幸田露伴の名作「五重塔」は、この塔を建築する職人の話で、高校の頃よんで、いたく感激したもので、もう一度読もうと、家に帰って、岩波文庫を取り出して読みだしてみれば、擬古文で読みやすいとは言えないのだが、やはり、何度読んでも、どこを読んでも名文中の名文。声に出して読んでみても得るものは多いだろう。

その先、いつものオウギョウチとかカバヤ珈琲店なんかもたくさんの観光客で賑わって、下町風俗資料館を左に曲がって言問通りを歩いて、2個めの信号を右折。寛永寺の鐘とかを見ながら、旧上野図書館が子ども図書館に変わっていたり、かつて一度だけ下りたことのある京成線の「博物館前駅」の跡を写真に撮ってみた。

薄暗い小さな駅だった。

ここらで、とてもつかれたので、都バスに乗り込もうとふらふらと科学博物館の前を歩いて、鉄道の高架橋を渡って昭和通りを左折して下谷方面に歩いた。

帰りは、浅草寿町から池袋方面へと行けばいいと思い、草41系のバスに乗って、寿町で降りたら、合羽橋界隈で、降りるところ間違えたわ。

家に5時に戻らなくてはならず、朝のトレイルランの疲れも合わさって、頭痛もし始めたので、バスで帰るのも諦めて、地下鉄で池袋まで帰りましたとさ。

本当は、もっと、都バスを乗り継いで、行き当たりばったりの旅をする予定が、延々と歩く事になってしまって、本日の目的は中途半端に終ってしまった。

どこかに、バスの路線図を書き記した案内本でもないものか?系統と系統が交錯する場所で、都バスを乗り換えて、違う場所に行くというのが理想なのだが。

普段あまり都バスを利用しないので、さっぱり土地勘がない。まあ、1日乗車券500円で、スリリングな旅が味わえるのだから、一つ一つ乗り場所をマスターするしか無いだろう。奥が深い。

昼の11時位から始めるには時間が足りないのも事実で、もっと早くからバスにのるといい。

次回は、神田・日本橋方面。足が伸ばせたら、芭蕉庵の方にも行ってみたい。

まあ、とにかく疲労困憊、げっそりしたな。

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2015年04月23日

映画もまた編集である

『映画もまた編集である』という映画編集者ウォルター・マーチと作家(イギリス人の患者!)マイケル・オンダーチェの対談でできた映画の芸術的な技に関して語り合った素晴らしい本。

フィルムの編集、サウンドの編集を通して、映画の見方がさらに深くなっていき、また、映画の編集作業が芸術一般にも通用するような批評する着眼点を提示してくれていて、これは、何度も読みなおして、言及されている映画をコマ送りで眺めながら勉強し直す気になる本だった。

『カンバセーション・・・盗聴』『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』『イングリッシュ・ペイシェント』に関しては、再度注意深く見ておきたい。

『ゴッドファーザー』のDVDで早回しで該当箇所をチェック。

ラストのシーンのドアの閉まる「カシャッ」という音。

アンソニー(アル・パチーノ)と妻のケイ(ダイアン・キートン)の住む世界の違いを表現する拒絶の音であり、この映画の最後に聞こえる小さな音。

この音の余韻が、どれだけこの映画の根底を支えているか。それは、映画を見終わった将来にまで影響する音でもある。

ウォルター・マーチ氏が、この場面に相応しいたくさんのドアの閉まる音を探したそうだけれど、もう一箇所、同じシチュエーションを見つけ出した。

それは、アンソニーが父ドン・コルレオーネが襲撃された時に、妻が一緒に病院へ行くことを拒絶した時のホテルのシーンで、ドアが静かに閉まる音が強調されていた。

アンソニーとケイが二人だけで部屋にいるシーンで、カメラのアングル等も同じように設定されていて、このシーンの比較だけで、この物語の深遠が覗くことが出来る、ということに、今回気がついた。

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話 -
映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話 -

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2015年04月21日

たけのこ

自然を楽しみ、自由に生きること。

不服従は自由の本当の土台であり、服従は奴隷の土台であること。

本当に人間らしく生きるには、僅かなお金で十分であること。

深呼吸して落ち着いてぐるりを見渡せば、世の中の仕組みが透けるように見えること。

死ぬときになって、本当に生きていなかったと後悔しないように生きることの大切さ。

ソローから学んだそれらのこと。

そんなことを、今朝、先日、竹林から掘り出して湯がかれた「たけのこ」が、タッパーウェアにうず高く積まれているのを見て、そう思った。

少々の味付けをして、汁ごと冷凍すれば、1年はたけのこご飯が楽しめる。

日本が誇れるのはこの絶妙な気候が作り出す豊かな自然であるのにもかかわらず、里山は破壊され、住宅地やゴルフ場のされてしまったし、放射能で汚されてしまった。

国益を第一にするなら、失われた自然の修復に国家予算の大半を費やすのが必要だろうに、株価を上げるために、青天井の税金を投入している。

見えない亡霊のようなものにお金を投入しても、得られるものは、亡霊の亡霊にすぎない。

生活とは、日々の暮らしのことである。

人の生活のあれやこれやを快適に過ごすためのあれやこれやのこと。

衣食住とエネルギーというふうに言ってしまえば、あながち、間違いではなさそうだ。

衣食住にどれだけの費用が必要なんだろうか?

本当は、家など、お金をそれほど使わずに100年保つ家を建てることが出来る。

いい服を買えば30年は保つものもあるし、畑で野菜を作れば、ほとんどお金はかからない。

ここだけの話で、小さな声でいうけれど、本当は、炭水化物は食べる必要はないし、肉も食べなくても、過酷なスポーツもこなすことが出来る。

エネルギー源は、裏山を散歩すれば、いくらでもあるという。

輪番停電の際の蝋燭の炎の美しかったこと。

植え付けられた「常識」を非常識に替えるのは、自然と直接的な関係を保つことと古典を読むことかもしれない。

情報は移りやすく、さっきの情報が今では無意味になっている。

僕らは、自然内でしか生きることが出来ないはずであり、古典は、時の試練に耐えた真実が書かれているから。

それと、最新のニュースが聞きたければ、ふと耳に入った口伝えの情報でぼくは十分だ。

里山では、ジュウニヒトエが咲きました。庭の蕗ももうすぐ食べごろですね。

従順さは、自由の足枷になる。

みな好きな道を歩めばよい。

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2015年04月20日

風邪のぶり返し

昨日から咳がコンコンと出始めて、風邪のぶり返し。

寒さが体の芯まで入ってしまって、なかなか抜けない感じがある。

「ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林の中でひとり楽しめ。」ブッダがそう言っている。

地獄の黙示録とスターウォーズの関係について書こうと思ったが、気持ちが萎えたので、そのうちに考えをまとめておこう。

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2015年04月19日

小麦から自作のパン作りへの第一歩

朝イチでパンを焼いて、オギノエンファームのマフィン教室に参加。
パン作りにも役立つことも多かった。
市販されているスーパー小麦と呼ばれている品種改良が進んでいる小麦粉は健康に害を及ぼす恐れなしとは言えないので、せめて、爆発的に品種改良された以前の原種に近い小麦粉でパンを焼きたいと思っていた折、本日農家のおじさんと思いの丈を語った所意気投合。
原種の小麦粉を手にはいれてみたものの、500グラム1000円で、これでは到底、経済的にパンを焼く訳にはいかないのだ。バゲット1本250円以上(小麦粉の価格のみ)かかってしまうから。
ならば、自分たちで、その小麦を作ってしまおうじゃないのと考えるのは、自然な帰結。
朝に、パンを焼いたのは、その原種の小麦粉で焼いたパンの味をおじさんたちに確かめてもらったからだ。
話まとまって、籾を手に入れたら畑で作ってくれるそうで、喜びひとしおだ。
世界中に散らばっている友人たちに声をかけて、小麦を探さなければ!明日から、忙しくなりそうだ。
秋までに手に入れば、畑にまくことになりそうだ。
自給自足の志のある者が集まって、得意分野を伸ばして、互いに助けあいながら、プロジェクトを立ち上げていく・・・。こんなことの始まりの第一歩として、今日は、記念の日になるかもしれない。

マフィンづくりの二次発酵の時間に、裏の竹林でタケノコ採り。
ツルハシ片手に3つたけのこ取ったら疲れてしまったよ。
近々、ボクもパン教室を開くかも。
自分達で作った麹と、その麹で作ったパン種で自分で作った小麦粉でパンを焼くなんてことができそうなので、こいつは、おもしろくなりそうだ。原種小麦畑作教室、麹造り教室、パン種教室、パン教室と一年に4回ほど教室を開かなければ本当のパン作りはわからないかもしれないけれどね。


最近の週末は、アラン・デュカスのフレンチレシピ((アラン・デュカスのナチュルレシピ)で、フランス料理を家で作っている。
今回のレシピも、野菜炒めだが、レモンとピーナッツと生姜の組み合わせが、ハッとする美味しさで、さすが三つ星レストランのシェフだなと、毎回感心する。
来週は何にしようかと、妻とお茶をしながら相談だ。
ゴールデンウィークには、久しぶりに、アラン・デュカスのフレンチレストランで、本物の味を確かめに行くつもりだ。

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2015年04月18日

ホドロフスキー監督の「リアリティのダンス」を観る

早朝、トレイルを走って、池袋へ。
ホドロフスキー監督の「リアリティのダンス」を鑑賞。
いやあ、素晴らしかった。あっという間に時間が過ぎてしまった。
その色使い。見事ですね。
混沌とした色彩と3色くらいに絞った画面とほとんど色の抜けているもので、空間と時間を自由自在に引き伸ばしたり縮めたりしている。
これは、ビデオで出ているのならば、もう一度観てみたい映画である。今年見た映画では新鮮度は一番だった。
併映の「ホドロフスキーのデューン」は、幻に終わったホドロフスキーの映画「デューン」についてのドキュメンタリー映画。
主役がデビッド‥キャラダイン、ミック・ジャガー、サルバドール・ダリ、オーソン・ウェルズっていうだけで、観てみたくなる。
ほとんど知識がなくても、とても楽しめた映画で、上記俳優たちとの出演交渉のエピソードもとても面白い。
ホドロフスキーというのは何者か?こいつは、ただの映画監督ではないと思うのは、自身「預言者」と思っていて、芸術の神様からインスピレーションを受けて、それを、超一流のスタッフにヴィジョンを伝えるという役目を大切にしていることがよくわかった。
「エル・トポ」は、是非見たい。
ビデオ屋に置いてあるだろうか?
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2015年04月17日

パタゴニアのサーフィンパンツ履いてみた

Patagoniaのサーフィンパンツと、Trimtexのポロシャツ、手には、Altimateのボトル、ポッケには、iPod touchという出で立ちでトレイルランをしてみた。靴は、メレルのオンロード用のZEROドロップのもの。どこを走るにも、最近はこれを履いていくお気に入りだ。

Patagoniaのサーフィンパンツは十分にトレイルラン用のパンツとして通用するでしょうよ。真夏に汗でへばりつくことがあるにせよ。

iPod touchには、走るペースに合わせて3000曲位入っているロックの懐メロから選んで音楽を再生してくれるソフトが入っている。

いつも、だいたい同じペースで走るので、毎回同じ音楽が流れることが多いのが玉に瑕だから、2週間に1度ほど総入れ替えして、いつも、フレッシュな音楽を聞きながら走ることができる。

昨日は、トラフィックの2枚目のアルバム「Traffic」とボブ・シーガーのライブ盤「Live bullet」、それを購入して、iPod touchに入れた。今朝はかからなかったが。

早朝起きて、誰もいないトレイルを走る。

すれ違ったのは、自分の妻だけ。おっと、ビブラムファイブフィンガーズ履いてた選手もいたな。

最高の気分だ。音楽を聞く最高の環境は森のなかだからだ。走ることによって体の線の境界線が滲み出したところに、音楽が、ココロを体の外に放り出してくれる。ココロがどこまでも拡がっていく。

内田樹の「憲法の「空語」を充たすために」というパンフレットのような薄い本を3度ほど読み返す。

熱狂なきファシズムが少しずつ実現化し始めている。

薄ら寒い。

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2015年04月16日

スペルト小麦でロデブを捏ねてみる

雨上がりの潤っている春の空気を吸いながらジョグすると鼻喉肺が浄化されているような気がして気分良し。

靴が汚れると思って、今朝も舗装路中心に走っていたが、途中で気が変わって、龍崖山に潜り込んでみた。

フモトスミレかな?ヤブニンジンかしら?ヤマエンゴサクなどが咲いているじゃないの。

図鑑片手に、休耕田を歩き回れば、様々な春の野草の花が拝めそう。

骨盤上下を意識して山頂に到達。

山頂では、オジサンがわらび狩り。片手いっぱいにワラビを握りしめていた。

今朝は近くに見える武甲山。削り取られた山肌がギザギザしていて、セミの腹をいつも連想させるんだけれど、今年は、あそこまで家から走ることが出来るかしらん?そんな余裕があるかしらん?とかんがえる。

いつもの道を逆に走れば、こちらのコースのほうが下りが楽しい。

ジェフ・ベック・グループの『監獄ロック』にテンポを合わせて、たのしくダウンヒルを楽しんで終了。ジェフ・ベックがギターの音で、パトカーのサイレン音を作っているのが楽しい。

ジグザグの折り返し部分は、骨盤を進行方向へ一気に向けて、かつ、バンクを利用しながらスピードを殺さずに楽しんだ。

家に帰って、スペルト小麦でパンを捏ねる。

水たっぷりのロデブ・パンだ。

準強力粉ではないので、バゲットのように、皮がパリパリと焼くのは難しかった。ならば、ロデブで、しっとり、モチモチに焼いてみたらどうだろう?と。

経費、1本250円なり。高価なり。

今晩、焼き上げて、少しだけ食べることにしよう。

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2015年04月15日

東京も味わい尽くすことにする

映画を味わい尽くすこと、この愉悦を本で知識をしっかりと入れているのといないのでは全く違うことに、アタリマエのことだが気がついて、「映画術」的な本を色々と読みあさっている。

『映画もまた編集である ウォルター・マーチとの対話』という本は、作家であるマイケル・オンダーチェ!とゴッドファザー等の編集に携わったウォルター・マーチとの対話を中心に、映画術、芸術論、文学論に関する刺激的な本となっている。

読む悦楽を感じさせる数少ない映画に関する本だ。

映画って、あらゆる人間が編み出した技術が投入されている芸術でもあるので、誰でも楽しめるのだが、その奥行は限りなく広い。知れば知るほど面白くなるので、こうした本を読んで、手がかり足がかりを確保しないと、本当に登頂したとは言えない難しい山脈だ。

トレイルランが、野草や鳥を知らずして、味わい尽くせないように。

勿論、町山智浩の『映画の見方がわかる本』は座右の書として、気になるたびに図書館で借りだして何度も読んでいる。

『映画はこのように撮られた』ドミニック・ヴィラン著は、撮影技術に関する教科書だ。

凡百の日本の映画評論家は、いったい、今まで何をしてきたのか?

こういう本の内容を踏まえて、映画を解説しなければ、”何も映画がわかりはしない”のに。

今後数年を費やして(一生かもしれない)映画を一番見ていた小学校6年から高校3年までの一映画フアンに戻って、初心に帰って映画を味わいつくす予定。

と同時に、こだわりの「東京」である。

故郷でもあるのに、ほとんど東京について知らない。

東京よりも、高校時代、浪人時代に足繁く通った30数年前の京都のほうが詳しかったりする。

ピンポイントで通うという悪い癖があって、東京でも、北区、神保町、上野、アメ横は、とても詳しいし、ガイドも出来る程なんだが、その他は、ほとんど訪れない。

これでは、駄目でしょう。勉強しなくっちゃ。

文化、芸術、歴史、地形といった重層的に存在する東京を観察し味わい尽くすのだ。

デジカメ片手に、水筒持って、ほとんどお金を使わずにね。

最終地では、庶民的な居酒屋で、川本三郎的にビールでも飲んで、旅を終わりにしたい。

というわけで、都バス(1日フリー乗車券)を利用することにする。視覚的にいろいろな場所を見ることができるからだ。地下鉄は駄目。

とんでもないところに、連れて行かれることもあるだろう。

そのうち、都バスの路線図も頭に入って、地下鉄のように乗り換えることもできるようになるだろう。

で、その訪れる中心地の候補は、

1 神田周辺

2 浅草周辺

3 佃・月島方面

4 日本橋周辺

5 本所 深川

6 向島方面

7 谷中 根津 千駄木

8 霞が関 丸の内方面

9 赤坂 麻布

10 吉祥寺 三鷹方面

興味のある地方はそんなところ。これを、都バスを使用して何度も通うことになるであろう。

しかし、なかなか休みがとれないので、いつになったら実行できるのかわからないが、とにかく、東京を味わい尽くすのだ。

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2015年04月14日

雨のやみ間に

雨のやみ間にジョグ。雨が降ったら2日はトレイルは禁止。靴が汚れるからね。

というわけで、冬の間走っていた舗装路コースをじっくりとフォームを意識しながら15キロほど走る。

骨盤の上下と拇指球を意識する。

意識しないと体は言うことを聞いてくれない。体に気持ちが通じることが大切だ。その為には、無意識のレベルで体が統制できるようにトレーニングが必要になってくる。何度も、何万回も命令し続ける。骨盤と拇指球に指令を出す。

油田から真っ黒な石油を吸い出すポンプのように、骨盤を上に、下に、着地と同時に骨盤が下を向いて体重を載せる。その瞬間にアキレス腱が縮こまって、その反射を利用して、足が地面から拇指球から離れていく・・・そんな一連の動作を常にイメージしながら走る。

今、ここにある限り、世の憂いは無くなってしまう。不安は将来に無かって写る幻のようなものかもしれない。しかし、未来は未だやってこない。過去は、今がやってくると同時に霧消してしまう。今に意識を集中して、やれることをやる。走るという体を飛び跳ねながら目的地に運ぶという作業に専念するのだ。

溜息ばかりの人生もあるだろう。しかし、ジョグで走っている限り、溜息は出来ない相談だ。

空気を欲する意欲が溜息をつくことをやめさせてしまう。実は、我々の心配事というのは、早朝15キロ走るジョギングで微塵に砕け散ってしまう、あるいは、足元に捨ててしまえるつまらないものなのではないか?

心配事に追いつかれないように、もっとスピードを上げて、振りきって逃げてしまおう。そうして、徐々に苦しくなってくる肉体を意識するうちに、心配事は、ふいに姿を消してしまう。

ジョグの報酬は、脂肪を燃焼させるシステムを確固としたものにする生理的変化と微細な血管を体内にめぐらさせることによる健康の増進という面がある。

低炭水化物ダイエットで、更に少なくなっている体内の筋肉に備わっている糖質をなくしてしまって、その反射的作用によって、より脂肪を燃やすことの出来る体に変えてしまうことだ。

久しぶりに、横縞の雲の隙間から白い太陽光線が漏れてきた。

今日から、半ズボンでジョギング。

明日からは、上着もTシャツになるだろう。

汗を猛烈にかくという快楽をジョグで味わう季節ももうすぐそこに来ている。

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2015年04月13日

風邪でリセット。イタリア語勉強してみよう。

風邪の症状も3日でおさまって、今日から本格的に朝トレイルラン開始。

低糖質によるダイエットも、本格的に再開だ。

どうしても、土日は、ゆるやかになってしまうので。

パンは、古代小麦を手に入れたので、麹から、狭山のパン屋さん「ミラベル」のやり方でパン種を起こしてみた。

風邪を引いて、体を休めて、一巡。

また、パワフルに動き回れる。多分、3ヶ月位周期で風邪気味になるだろう。

小出しに、風邪をひいて、体調を整えていく。野口整体的には理想的だ。

無理なく、早朝に、北向き地蔵を往復できる程度の運動が出来れば理想的だ。

所要時間、2時間。

炭水化物はあまり摂らないので、脂肪燃焼効率が上がるような体を作ってやるのがその目的だ。

ところで、一週間遅れで始まるネットの語学のラジオ講座。

今週は、2周目だ。

月曜日に入れ替わる。

昨晩、ふと気づいて、イタリア語もやりたいなと思い、一週間目のラジオ講座を聞いてみた。

フランス語とイタリア語と英語か・・・

今晩『やさしいイタリア語』のテキスト買って電車の中で勉強しよう。

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2015年04月12日

第三の男 恐怖の報酬

病上がりの体が、すこしばかり良くなったので、早朝1時間ほどジョグして、今日の予定を考える。

最近、こんなふうに、朝2,3時間ジョグをして、残りの時間を有効に利用するという休日の使い方になっている。

運動は、最長3時間程度で十分でしょう。朝8時には家に戻って、その他に、予定をこなせばよろしい。

平日も休日も分け隔てなく、体を鍛え、かつ、自分自身の自己実現要求を満たすことが出来る時間の使い方だ。

というわけで、今日の予定は、都バスの1日無料乗車券(金500円也)を使って、池袋から適当にパスを乗り継いで、どこか遠くまで行って、なんとか、そこから、池袋まで戻ってくるという遊びを始めようかと思ったが、池袋についたら、バス乗り場が長蛇の列。後からわかったのだけれど、山手線の事故で電車が止まったからなんだね。

こりゃ、御免こうもり傘。

というわけで、昨日に続き、新文芸坐で映画鑑賞だ。

イギリスの高級住宅地、ハムステッドを歩いていて、ここにキャロル・リードが住んでいたという小さな看板がかかっている前を通り過ぎた。

今日は、そのキャロル・リード監督の名作『第三の男』と、アンリ=ジョルジュ・クルーゾ監督の『恐怖の報酬』の二本立てを楽しんだ。

前者は、10回位は見ている。後者は、3回目。

しかし、映画館で見るニュープリントの白黒映画は素晴らしい。音もよかった。

今回は、より深く映画を鑑賞するために、以下のことを注意しながら見てみた。

カメラを斜めにして写された映像がどんな場面に使われているか。

「マーダー」と叫ぶ少年の効果。

音響がどのように使われているか(チターの奏でるテーマ音楽に、英米露仏の占領下にあるウィーンの何を行っているかわからない各国語も音響効果として有効に使用されている)。

アリダ・バリが、ハリーとホリーを言い間違える脚本上の意味は一体何か?

ホリーがキャラウェイをキャラハンと言い間違える脚本上の意味は一体何か?

ホリーの米語とキャラウェイの英語がどのように脚本上活かされているか?

昨日見たドイツ表現主義の名作『カリガリ博士』の影響はどんなところに現れているか?

などなどの視点から、この映画を読み解くと、じつに味わい深いものがあって、面白い発見があった。

そもそも、主役がホリー・マーチンスとハリー・ライム。

ホリーという”聖者の”とかいった名前を有するマーチンスと、その友人ハリー・ライムが主人公と敵役という対立を生んで、その対立がピークを迎えて結末に至るという脚本であるから、神とサタン的な対比がなされていることを読み取れば、夜のウィーンの町の光と影の対比が必然であったことがわかるわけで、脚本のいろはを知っていると、味わい深く鑑賞できるのだ。

ライトに照らされたオーソン・ウェルズ扮するハリー・ライムの顔が薄試打されるシーンはいつでもココロが弾むのは、そういう演出があるからでもあるけれど、極悪人に感情移入をさせてしまうニヤリとふてぶてしく笑うオーソン・ウェルズの名演技でもあるんだね。

あれやこれや、抜き出すと収まりきれない映画の教科書のような映画なので、またもう一度見て勉強したくなる。

今回、おやっと気づいたのは、ラストのシーン。

ハリー・ライムの2度めの葬式後、トレバー・ハワードに駅までジープで送ってもらっているジョゼフ・コットンが車を降りて、アリダ・バリを迎えるという有名がラストシーン。

降りるときのセリフが、飛行機の時間に間に合わなくなるので、そんな馬鹿なことはやめろと諭されて、

「そんな分別のある名前じゃないんでね、キャロウェイ」と答えて、車を降りるホリー・マーチンス。もちろん、ホリーという名前に引っ掛けて行っているわけだ。

CALLOWAY:  Be sensible, Martins.
MARTINS: I haven't got a sensible name, Calloway.


その時、キャロウェイの頭上に十字架が写るのを発見した。もちろん、背景のお墓なんだけれど。



監督がそれが写るように配置したのだけれど、これには参ったよ。降参です。



というわけで、映画をとことん味わい尽くすことが、ほんの少しの知識で得られるのだから、何事も勉強だ。



次の映画は、『恐怖の報酬』



仕事にあぶれて、にっちもさっちもいかない南米の吹き溜まりの町にいる男たちが、2000ドルという成功報酬に目が眩んでニトログリセリンを積んだトラックを油田の火災現場まで運ぶという物語。



これも有名が映画なんだけれど、今回、ホモセクシャルな関係というのが、強烈ににじみ出ていて面白かった。



最初の1時間余が、物語の背景説明で、次の1時間30分が、スリルとサスペンスのてんこ盛り。



見せ場は、なまこ道というゴツゴツした未舗装道路を走るシーン。今にも腐り落ちてしまうような橋の上で切り返せないと曲がることの出来ない山岳道路を上るシーン。行く手を塞ぐ岩を、運んでいるニトログリセリンで爆破するシーン。何らかのミスで自爆した跡にパイプラインの破損部から油が漏れだして池のようになっているところを脱出しなければいけないシーン。



この4つの見せ場を、いかにスリルとサスペンスで盛り上げるかが、後半の勝負だ。



どんな映像的手法が使われていたか・・・・。枚挙にいとまがないけれど、こいつも、もう一度、細部まで読み込んでみたい映画だ。



名画と言われる作品は、見るたびに発見することがある。



もっと映画を味わい尽くしたい。



というわけで、図書館で、映画の文法を解説したような本を借りてこようと思う。



そうした知識を取り入れたら、次は、映画館で理詰めの鑑賞をするのだよ。



ちょっと、今年は、映画の年になるかもしれないね。



来週も、暇があったら、映画見に行こう。

posted by ロビオ at 01:16| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月11日

サイレント映画(弁士、生演奏付)を堪能

新文芸坐で、黒澤明が選ぶ100本の最終回は、『カリガリ博士』『アッシャー家の末裔』『会議は踊る』の超有名な映画の三本立て。

開始1時間前に行ったら、もう列ができてる。

開始早々満席で、こんなマイナーなサイレント映画にこれだけ映画フアンが集まるというのは嬉しい限り。

まえに、ここで、ヴィスコンティの『山猫』を観に行った時も、お爺さん、お婆さんの年齢の人が、列を作って並んでいたっけ。

ボクも映画フアンだが、こういう人がいる限り、日本はまだまだ捨てたもんじゃないとその時も思ったし、今日もそう思った。


ボクの見た回は、『カリガリ博士』が柳下美恵さんというサイレント映画専門のピアノ演奏家のみの演奏で、『アッシャー家の崩壊』では、片岡一郎さんの弁活と湯浅ジョウイチさんのギター演奏付きでサイレント映画を堪能。

ボクの祖父の弟にあたる人が弁士だったんだけれど、品のいい東京弁が懐かしく思えた。

サイレント映画は、『ナポレオン』と小津安二郎の『生れてはみたけれど』くらいしか見たことがなかったのだが、セリフがなくても、十分映像で雄弁に物語ることが可能なんだね。

『カリガリ博士』のドイツ表現主義は有名だけれど、『第三の男』の影の使い方とかね、オマージュとして使用されているわけだし、冒頭の主人公が、屋外のベンチに座って、これまでに起きた出来事を初老の紳士に語っているという冒頭のシーンは、まさに、『フォレスト・ガンプ』にもあったよな、なんて、いろいろな映画を思い出しながら楽しんだのでありました。こういう映画の落ち・・・実は、主人公が語る荒唐無稽な話は、主人公が精神病棟の患者であって、・・・というのは、色々なところで使われているはず。
セットは、すべてデフォルメされた舞台装置で、かなりシュールな印象なのだが、これが、ドイツ表現主義というのだそうだ。三角形のドア、平行四辺形の小屋、道化師のように化粧された顔、壁に映る大きな影など、思い出せないけれど、様々な映画で影響を今も与え続けているのではないかしらん。映画フアンに共通しているアカシックレコードのように記憶されている映画と言えるのかもしれない。

2作目の『アッシャー家の崩壊』は、これもまた無声映画で、弁士の語りとギター生演奏で楽しませてくれたけれど、ボクの祖父の弟は、弁士だったという芸能家族だったんだけれど、大正時代の映画というのは、こうして生演奏で映画を見ると、本当に贅沢極まる娯楽だったというのがわかるんだね。

映画も、これこそ芸術だという映像表現で、カットバックやら、パンを多用した寂寞たる部屋の取り方とか・・・『市民ケーン』の先駆けみたいだし、屋外のシーンの美しさったら・・・荒涼たる沼地の荒野のシーンは、黒澤明の『蜘蛛巣城』っぽいし、時計の振り子が画面の左端から右下に振り下ろされるシーンのダイナミックな動きとか、スローモーション・・・本が本棚から垂直に雪崩落ちるところとか、息を呑む映像美。
植草甚一さんが好みそうなモンタージュもあるし、いやあ、フランス映画というのは、芸術的な映像の伝統は、現在に至るまで綿々と続いているのだなと感嘆した次第。素材がポーの小説だから、こうなるのも当たり前かもしれないが。夜空に輝く十字架がなんとも象徴的。

キューブック監督の『シャイニング』で、ホテルのロビーを子供が三輪車で走るシーンがあるのだけれど、枯れ葉が左右に吹かれていって幽霊が歩いているようなシーンは、まさに鳥肌モノで、多分、キューブリックもこんな映画からヒントを得たのかもと思ったりしたり。

『会議は踊る』は、なんといっても、♫ ただ一度、二度とない♫の「ただひと度」が歌われるシーン。カメラは、クリステルを乗せた馬車と平行に、あるいは、離れた場所からパンしたりして、高揚した気分をどこまでも開放させたように描かれる。いつまでも、このうたが続くようにと思う程素晴らしい場面で、あっという間に時が過ぎてしまったよ。

明日も映画見ちゃおうかな。『恐怖の報酬』と『第三の男』。これまた名画中の名画だ。研究するにはいい映画。



posted by ロビオ at 18:17| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『ハリウッド白熱授業』実践編

喉の痛みは無くなったものの、咳ゴホゴホと夜眠れなかったなあ。

今は、落ち着いて、ジョグくらいならできそうな体調ですが、外は雨。

というわけで、先週大変感銘を受けた『ハリウッド白熱授業』をメモりながら読み、動画も見たので、本物の映画を映画館で見ながら、映画芸術を多角面から鑑賞しに行くことに決定。

ちょっとは、鑑賞眼が鍛えられたでしょうか?

その成果が待たれます。

ああ、咳が出ませんように!
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2015年04月10日

TRIMTEXのレトロジャージなど

喉の痛みが続いている。

他に、不快な症状はないのだが。

TRIMTEXの”If I ever get lost,Orienteering”というロゴの入ったレトロなジャージと、ボタン止のテニスシャツのようなのを手に入れた。

”万一道に迷ったら、オリエンテーリング!”くらいの意味かしらん。

うっしっし。

今年は、トレイルを楽しもう。

パタゴニアのサーファーパンツもあるし。

風邪が治ったら、インプレも。

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2015年04月09日

種まく人になるかも

喉の痛みで風邪確定。

風邪引く前の危うい感覚、体とココロが微妙にずれていたり、臭いに敏感になったり、風呂にはいると皮膚が刺激されて敏感になっていたりと、危ういバランスで体調が保たれていたことはうすうす感じていたのだけれど、はっきりと体調不良が現れてしまった。

昔は、ここで、2週間、風邪っぴき状態が続いたのだけれど、最近は3日で治ることもある。

『小麦は食べるな』は、現代の小麦は品種改良やら遺伝子組み換えやら、人類の長年の叡智を積み込んだ変種になっているので、それがコワイという話だった。

これに加えて、炭水化物は人体に不必要で、これの摂り過ぎが、体内の炎症を起こし、小腸に、リーキーガット現象なるものを生じさせて、体内に取り込まれないようにしてある「網目」がゆるゆるになって、そこに異物が混入して、体内では、右往左往の混乱状態がアレルギー反応として現れる・・・といったことも踏まえれば、やはり、小麦粉は口にするべきじゃないだろうとの結論に至りそうである。

が天然酵母でパンを作ることは楽しい。

ならば、上記害を少しでも取り除くため、デザート的に少量のパンを口にすることはもちろんのこと、人の手があまり関わっていない原種に近い小麦粉でパンを作ればいいじゃないの!と思いつき、スペルト小麦という古代小麦でできた小麦粉を購入してみた。

これで、パンを焼いてみようじゃないの。

イースト菌やホシノ酵母などでは、グルテンを分解しないので、甘みや旨みが現れないというのを書いてある本を読んだことがある。

グルテンに小麦粉の問題があるので、グルテンを分解する天然酵母で焼いたパンは、さらにマシかもしれない。

しかし、このスペルト小麦は、高価でこれじゃわが家の台所事情だと経済的に成り立たない。

ならば、さらに一歩進んで、100グラムの籾から6キロの麦が出来るらしいので、種籾からこいつを育てようじゃないか!というところまで、頭の中では方向性が決まっている。

仕入先も不明。ドイツから取り寄せた農家があるらしいが、なかなか大変そうだ。

週末、農家の親戚と会うので(マフィン作りの講習会!!!)、ちょっと相談しようと思う。

苦労は、パン作り職人的なプライド維持と金銭的な見返りとしても戻ってくるはずだと信じたい。

最初から、自分の手で、この古代小麦を蒔いて、収穫して、粉に挽きたいと思っている。

ということは・・・土日は、潰れてしまうのか・・・。

理想を現実にしていくのには、労力がかかるもんだ。

posted by ロビオ at 09:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月08日

トレイルをサーフィン

朝起きて雨、家を出るときにはみぞれ混じり、東所沢の病院を出る頃には雪。

ああ、さぶい。

今日は、埼玉県内をグルグル回ってあっという間に、お仕事終了の時間。

電車の中では、今週から、NHKラジオ講座の『まいにちフランス語』のテキスト(現在と過去2年分のテキスト)を音読して一心不乱に暗記しながら暇つぶし。

昨日も、今朝も、隣に座った人が、その隣の席に移っていったから、変な人に見られているかも。

何かを犠牲にしないと、何かを得ることは出来ない。回りは気にせず、ガンバロウ!

さて、今年はサーフィンパンツでトレイルランをするので、パタゴニアで28インチサイズのを購入した。ちょうどよかったのは、炭水化物をあまり摂らずに、少しだけカロリーを控えめにして、ゆるやかに運動していたからこそ。

自分で自分を褒めてあげたい。

ダイエットは、ゆるやかに成功している。

肉、魚も控えめか、ほとんど摂らずに、野菜と大豆を中心に美味しい食事を心がけたいもの。

腹回り28インチ以下のサイズは、パタゴニアにはなくて、あと、2キロも痩せると履くものが無くなる。これも困った問題ではあるが。

甘いもの、穀物は、朝、昼抜く・・・という程度のダイエットなのだけれど、胃が小さくなったか、朝味噌汁一杯でおなか一杯になってしまって、豆乳ヨーグルトにフルーツ食べると、苦しい程になってしまい、これもやめれば、更に体重は減っていくであろう。

炭水化物を抜く習慣で、昨晩は、黒砂糖を少しだけ入れて煮込んだ厚揚げが、濃厚な黒砂糖の香りが舌に響いて、甘さに対して敏感になっているのは確かだ。

他に、トレイルランニング用に、ポリエステル製のウエスタンシャツを三井アウトレットのORで購入。

ウエスタンシャツとサーフィンパンツで今年は、トレイルをサーフィングするのだ。

posted by ロビオ at 15:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

人生で何をするにしても、私達はそれを味わい尽くすべきだ

『私の信条はこうだ。人生で何をするにしても、私達はそれを味わい尽くすべきだ。』という信条の持主の南カルフォルニア大学の教授による”映画の本当の楽しみ方教えます”という副題のついた『ハリウッド白熱教室』という本を読んで、これまた眼から鱗状態になって蒙を啓かれた。

NHKEテレで放送されたものの完全書籍化したものらしいが、映画を見る着眼点をたくさんてっとり速く自分のものにするにはいい教科書だ。

最近の映画は、観客が映画の基本を知らないので、いちいち説明をくどくどと説明しないと、その映画の真意が伝わらないようになっているらしい。ここでも劣化が激しい。

みんなバカで、平等が一番という平等主義が今日の民主主義を支え、無能な指導者を受け入れて、有能な政治家を排除するような現象と相関関係がありそうな現象で、今後の研究の成果が待たれるところではある。

映画は、言葉以外の様々な効果でも雄弁に物語りを進めていく優れた芸術だ。

膨大な情報を逃すことなく捉え(なぜ、この角度から映画をとっているのか?照明はどこに当てられていたか?色の配置は?物の配置はシンプルか、雑多か?)などなど、映画を物語る情報を的確に理解する、これ、大切。

この本は、映画を鑑賞するのに有益な知識が教科書的に説明されているので、要点を押さえて、知識を常識にして、今後映画を丹念に見る際の着眼点にしようと思う。

人生を味わいつくすこと。吟味なき人生は無に等しい。とは、ソクラテスが最良の態度として取り上げたものだったはず。

そういえば、3.11の震災及びその後の原発事故の時に、偶然にソクラテスの弁明、クリトンと読んでいて、生き残ることよりも、よりよく生きることが大切だというメッセージが心に染みわたった経験を持っている。

ソローは、死ぬときになって、自分は人生を生きていなかったと後悔したくないために、湖のほとりに小屋を立て、自給自足の生活を2年数ヶ月送った。

何事も味わい尽くすべきだ。この態度は正しい。

すべての物事は、骨組みがある。

その骨組みを文法という言葉で置き換えれば、映画にも文法がある。

文法を知っていれば、作者が放ったメッセージを誤った形で受け取る形がなくなる。

込み入った英文や古文を正しく鑑賞するために、我々が文法の知識を総動員して読み解くように。

作者の放ったメッセージをどういう風に捉えるかは、たしかに、鑑賞者の勝手ではあるが、それは、やはり、文法で解釈された意見であることが必要だ。そうでなければ、コミュニケーションが成り立たない。

こうした文法は、自分の偏見を取り去る効果もあるだろうし、習慣にがんじがらめになって結論を短絡化させることを躊躇させる効果もあるだろう。論理的に考えれば、こうなるはずだという道筋が見えるから。

こうした態度は、映画にとどまらず、人生のすべての局面で有効に活かされるはずだ。

もっと人生を味わおう。立ち止まって、深呼吸をして、もう一度考えなおしてみよう。

posted by ロビオ at 09:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする