2019年11月12日

プチ同窓会

週末は、小学生の同級生からの依頼の仕事で久々に滝野川に出向き、自分の家があった近所を散策した。
仕事の後は、僕のために飲み会まで開いてくれた。

僕のワガママで、昼過ぎの4時から飲み会開いてよ、ということで、集まってくれたのは、5名。

少人数ではあったけれど、某財閥系の金融機関の常務様で、現在は、財閥系の不動産会社の役員をしている友人とか、若い頃はグレて危ない橋を渡りながら、現在は、事業に成功して、「僕は、出ていくお金より入っていくお金のほうが多いから」といって、飲み会の費用をすべて払うと言って聞かない友がいて、また、某スポーツの卸会社に勤めている友人は、僕と妻に、富士山と桜をデザインしたBuffをプレゼントしてくれた。自営業の友人は、自分の家を改造して、人に貸すのだという。僕にも、こういう友人がいたのだなと改めて、感慨深く思ったのでした。

40数年くらい会わないでいれば、それは、ほとんど、まったく接触のない他人と変わらないのに、同じクラスで2年4年と暮らしたという事実だけで、数時間話が留まることなくできるというのは、不思議なものです。

西巣鴨のお好み焼き屋さんで、ホッピーをちびりちびりなめながら、楽しい時間を過ごしたのでありました。

帰りは、友人のレクサスで池袋まで送ってもらった。

僕の実家は父の死で住む人がいなくなって、売却してしまった。つまり、この地の居場所を喪失したわけです。

しかし、地元に根づいて色々世話を焼いてくれる彼らがいる限り、この地との縁が切れることはなさそうである。

みんな、本当にありがとう。

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2019年11月03日

時間割

今朝は寒かった。小学生のように短パン(サーファーパンツ)履いて家を出たが、ゴルフ場にたどり着く10分間は、足が極度に冷たく寒かった。小学生のように、短パンで早朝トレーニング過ごせたら、冬の乾布摩擦はいいというし、健康法として優れているのでしょうか?
そういえば、私の通った小学校の3年4年を受け持った担任の小倉先生は、二時間目の10分の休憩時間に、男は上半身ハダカで、女子は体操着で、屋上を時間いっぱいまで走らせた。心臓に穴が空いている同級生もいたのだが(今なら危険でとても走らせられないね)、これで治ったというし、風邪で休む生徒は少なかったような気がする。
ちょっと前まで、週末は、秩父まで山道走ったりして、8時間とかかけて運動していたことが嘘のように、今では、せいぜい運動時間は1時間半。土日関係なく毎日少しずつ強度を変えながらコツコツと体調維持に勤しんでおるのであります。
ところで、小学生の頃、夏休み前に、夏休みの時間割とかを適当に書いて先生に提出したものですが、そして、一度もそんなものを守ったことはなかったのですが、大人になって、この時間割こそ有意義に人生を使う特効薬であることが判明しました。
やりたいことをするには、なにかを削らなければならない。
今、3時50分に起きて、4時から瞑想1時間・・・30分でパン焼いて、1時間か1時間半トレイルを走ってシャワー浴びて出勤。午前中に人に会うことにして、午後からは、書類の作成等・・・3時に帰るモードに突入して、4時30分には事務所を出て・・・というふうに時間割がで上がって、もう1年ほぼ時間割の通りの生活が続いております。
最初の1週間か2週間くらいは努力しないといけないが、習慣づけられれば、時間割通りの生活をするのは決して難しくはない。
今は、もっと瞑想の時間を増やしたい、ヨガの時間を増やしたいと思い始めているので、そのための時間割を作って、明日から実行する予定である。
瞑想するようになって、睡眠時間が少なくても済む・・・9時半頃に眠ると2時半には目が覚める・・・ので、このあたりをうまく調整して時間割を作るのだ。
うまく行けばいいのだけれど。
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2019年05月20日

2019.5.20

村薫の合田雄一郎シリーズは、「マークスの山」「レディ・ジョーカー」「照柿」までは発売直後に読んでいたが、その後「太陽を曳く馬」「冷血」と続いていることを思い出して、本を買い込んで読み始めた。
きっかけは、アマゾンプライムで、マークスの山とレディー・ジョーカーのTV版の番組を見たためと昨日タイムトラベルの名作と言われている広瀬正の「マイナス・ゼロ」を熱中して読み終えたこと。。
あれほど読んでいた小説の類も、ここ数年は、仏教関連の本ばかり読みあさって、滞っていたのだな。

やはり、小説は娯楽の中では最高のものだな。テレビドラマじゃ伝わらないものも大いにある。

ところで、今朝の通勤電車で読み始めた村薫の「太陽を曳く馬」って、これ、仏教書じゃないの。いきなり、軍畑のお寺が登場して、あの辺りかしらん?なんて想像するのも楽しい。仏教勉強した人には、深読みができて、作者のメッセージを直に受け取ることができそう。まだ、少ししか読んでいないのだが。
小説を読み始めようと思うほどに、少しは、僕のココロも良い方向に進んでいくのかしら。
ところで、5月連休前の体重値でびっくり仰天して始めたダイエットだが、連休最終日に体重増加で、ものすごい敗北感に打ちひしがれたが、再度挑戦して、3キロほど体重は減っていった。
それとともに、スーツのパンツはキツキツから緩めになって、ベルトをしてもちょうどよいくらいになってきた。

運動しても、自分を制御できずに豚のように口に入れれば、何も変わらないのは理の当然。
わかっちゃいるけどやめられないという言い訳はせずに、犀の角のようにひとり歩むのヨ。

それとともに、トレイルを走るのもかなり爽快になってきた。
数年前と同じくらいのスピードで走れるようになってきたので、あと、5キロほど痩せたら、もう少し速くなるかも知れない。別に、どうでもいいんだが。心拍数は140程度でしか走らないので。
目指せ60キロ。

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2019年03月08日

ヴィパッサナー瞑想

ヴィパッサナー瞑想なるものはじめて数ヶ月が経っている。

欧米ではマインドフルネスということで、宗教色を抜いて、実践されていることが多いようだ。

瞑想を始めて何が変わったか?

今言えることは、少しずつ、苦しみがなくなっていっているかもしれないという感覚だけがあるということだ。

運が良くなったとか、思いもかけない幸福が訪れたとか、良い偶然が重なったとか、そういうオカルト的なことが生じたことは一切ない。

また、こういうことを望んで、瞑想をしているわけではない。

そうではなくて、今ある自分よりも・・・という表現はまずいらしい・・・昨日よりもマシな現在の自分になりたいと思い始めた瞑想である。

少しでも、向上しようと思っている人にとって、おそらく、唯一の人類が考え出した手法が瞑想ではないかと思う。

他には、ちょと思いつかないのだ。

最初は、マシな人間になろうと思って学び始めたインド哲学・・・ウパニシャッドとかバガヴァッド・ギーターとか、ヨーガスートラとかを本で読んだり、先生に習ったりして、勉強していたのだった。

しかし、勉強だけでは、少しも自分の人間の器というものは変化しないのがわかったのは、深い悲しみに陥った経験と、仕事上の悩みに直面して、為す術もなくまったく対処できない駄目な以前の自分を発見したからだった。

というわけで、瞑想。

何かを実践しないと、なにも変わらない事に気づいて、それから、あれやこれやの瞑想の本をあさっている内に、ヴィパッサナー瞑想にたどり着いた。

スマナサーラ老師は素晴らしい先生である。

正しく瞑想しようと思い、1日、ヴィパッサナー瞑想の講習を受けた。

そのときに、1時間は、歩く瞑想をしないといけないと教わったので、それ以来、早朝に1時間歩く瞑想を励行して今まで5ヶ月、途切れたことはない。

瞑想をしはじめて、自分は、過去と未来に思いを向けていて、今ここという地点に、ほんの僅かでも生きていないのだなと思った。

というのは、瞑想を始めると、過去の失敗やら、仕事の心配事やら、将来の不安や、計画などの雑念・妄想が次から次へと浮かんで来るからだ。

過去はすでにない。未来もまだやって来ない。そんなないもの時間軸で自分が勝手にドラマを作り上げて、そこで呻吟している、あるいは、喜んでいる阿呆な自分に気がつくのである。

こういう世界に私は生きていたのだな。なんと、浅ましい世界ではないか。私は、自分の人生を生きているつもりであったが、自分の生み出した歪んだ妄想や雑念の世界の中でまさに、自業自得で一人苦しんでいたのではないかということがわかってきた。

しかし、こういうことがわかっても、苦しいのだ。けれども、以前よりも、そうした妄想や雑念の世界に執着せず、離れることが少しは簡単になったか?

まだまだ、ひよっこの瞑想実践者である。

しかし、自分の殻を打ち破って、すこしでも成長するには、この道しかないと確信しているので、ずっとヴィパッサナー瞑想は続けていくと思う。

 

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2019年03月07日

こんな人になってみたい

大学受験で使った「英文標準問題精講」という今でも販売されている参考書を時々読み返している。

その中で、ジョン・ゴールズワージーの作品の一部からこんな文章が抜粋されている。

「10時には、絞首刑を受けることになっているのに、8時にチェスをやろうというような太っ腹な人物が時にはいるものである」と。

自分は、こういう人物になりたいとか、憧れるとか、そういうことを考えたことがあまりない。

けれども、今は、はっきり言える。こういう人物になりたい。

些細なことで、自分の心は、千千に乱れて、まだありもしない将来を考え、自分の身を案じたりして、貴重な時間を妄想で濫費していることが、よくわかっているので、こういう人物に私はなりたいと思うのである。

18の時には、文意がよくわからなかった文章が、55を過ぎて、しみじみとわかるということがよくわかる受験参考書でした。

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2019年01月07日

『真田丸』全50話をDVDで

年末年始の休日は、大河ドラマの『真田丸』全50話をDVDで見てしまった。。。

ああ疲れた。

しかし、テレビを見ていないから、出てくる俳優さんの3分の2以上は知らない方ばかり。

それでも、3分の1くらいは知っているので、芸能界というところは、案外新陳代謝が遅いのかも。

近所のDVD屋さんには、他に同じ三谷幸喜脚本の『新選組!』もあったが、これは、数カ月後に見てしまおうか。

その他に、『ワンダーウーマン』『マトリックス』『ボルサリーノ』なんていうのを借りて見た。

そして、ちょこちょこっとトレイルを走って、妻の実家で小さな新年会、知り合いのお宅で1日だけご馳走を頂いて、あと、1日そば粉のガレットの作り方練習みたいのを我が家で行って、年末年始の休みは慎ましく終了。

お酒は、ビールをコップに一杯だけ飲んだわ。

お酒は要らないね。

ちょいと太って、今日からお仕事。

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2018年12月31日

来年は今年よりマシな自分になっていたいと思う

年末休みから今日で3日。休まず早朝トレイルを走って、今は事務所でお仕事。

運動靴を換えて走ったら、ふくらはぎの筋肉が渋く疲れるので、途中でやめて帰ろうと山坂道を下ったら、嘘のように痛みが無くなったので、そのまま、いつものコースを走り切ることができた。

連休終わるまで、毎朝走る予定である。

さて、今年は、とても辛い1年になった。

昨年末、父と義母とが3日という差で相次いで亡くなり、その後の相続手続き、実家の処分等、慌ただしく雑務に翻弄された。

その他、今思い返してみれば、ろくなことがなかった。

しかし、いいことがあれば悪いこともあるだろう。

悪いことも長くは続かない。

無常というのは、固定されたものは何一つないという事実であり、物事が流動していくということは、また、可能性もうまれるということで、忌避されることでは決してないのだ。

とにかく、そんなこんなろくでもないことがあれやこれやと続き、追い打ちをかけたのは、仕事のことで、これはどうにもならないという渦巻きに巻き込まれて、アップアップしているところ、このあまりに外界のプレッシャーに負けてしまう自分の情けなさが身にしみて、このままでは、自分が壊れてしまうだろうし、碌な死に方もできそうもないと思い、ふと中途半端には行っていた瞑想ではあったが、その世界に一歩踏み込んだというのは、このブログで前回書いたことだった。

それ以来、毎日欠かさず、早朝1時間、寝る前に30分の瞑想を行って、今日の大晦日を迎えた。

瞑想というものが、苦行であるということは、30分の結跏趺坐してすれば、よくわかった。

腰は痛むし、背筋は疲れるし、足首はちぎれんばかりに痛むし、しびれもすごい。

妄想は、次から次へと浮かんできては、自分の「我」を虜にしてどこかに連れて行ってしまう。そして、拉致された自分がその妄想に開放されて、ようやく自分が妄想の世界に引きずり込まれたのだということを知る。

こういう体験を積み重ねて、早3,4ヶ月が過ぎてしまった。

きっと、このまま瞑想は続けていくのだろう。1年、瞑想を続ければ、ちょっとは、今の自分よりはマシな人間になれるのだろうか?

実際、瞑想を始めて変わったと思うことは、自分の考えていることの殆どが、有りもしない将来の心配事を考えている雑念、妄想のたぐいだということが、瞑想を通じてわかったことである。瞑想は、こうした雑念、妄想を吹き飛ばす実に優れた技術である。

良きことはゆっくりとやってくると誰かが言った。

また、あるフランスの王様が、悠々として急げ!と言った。

しからば、悠々としてだが、しかし、急ぎながら、到達点に届くまで精一杯の努力をしていこう。

今年も、今日で終わり。平成という年号も改まる。

昭和63年に試験を受け、明ける平成元年に試験の合格発表があり、この仕事を一人で始めて30年。

生きとし生けるものがしあわせでありますように!と願いを込めて、来年も、少しはマシな自分になれるように、向かってくる荒波を乗り越えていきたい。

さて、来年はどういう年にしていくのかの努力目標である。

インド哲学を仏教を中心に来年も学んでいくだろう。

そして、仕事は大変そうな仕事でも受け入れていこう。

瞑想は、もう少し時間を増やしていこう。

ヨーガもやるぞ。

土日の料理も手抜かりなく楽しんで作っていこう。友人の食事のパーティーももう少し増やしてもいいかも。

瞑想の時間にトレイルランの時間が取られてしまうので、なかなか時間の都合がつかなくなってきている。

それでも、リクリエーションとしてトレイルランとかランニングは積極的に取り入れたい。

朝の瞑想、夜のランニングというような形が出来上がれば、月に30時間の運動量をこなせるかもしれない。

というわけで、体調を維持しつつ、本丸の瞑想中心で、残りの人生を楽しく充実したものにしていこうと思うのである。

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2018年12月06日

僕には瞑想しかなかったのだ

映画『マトリックス』は、夢の中の世界が現実だと思っているキアヌ・リーブス扮するアンダーソン君が、その夢の世界を捨てて現実に立ち向かっていくという話である。

夢の世界から目覚め、現実の世界で敵と戦っている同志から、アンダーソンは、二錠の色の違った薬を与えられた。そのまま夢の中の世界で生き続ける場合は、青い薬を、現実の世界でいくようとしたいと思うなら、赤い薬を飲むという選択を与えられ、結局、アンダーソン君は、赤い薬を飲み現実に対峙することになる。名前を「ネオ(新生といういみだろうか?)」に改めて。

何年か前、ふと『酔生夢死』という言葉にはっとさせられた私にも、その時、そうした選択肢が与えられたのかもしれない。

このまま、仕事をし、休日には体を鍛え、仲間と面白おかしく暮らし、ストレスを溜めずに、なに不自由なく過ごしたところで、後から自分の人生を振り返れば、まさに酔ったように生き、夢を見るように死んでいくのだ。そこにあるのは虚しい人生しか残らないではないか。

たとえ誰もできない偉業をこの世で達成しようとも、親しい友人、家族に恵まれようと、誰でも人は、裸で生まれ、そして、裸で死ぬのだ。何もあの世には持っていけない。

腸を地面に杭で打ち付けられたように動けなくなる。

だから、死ぬまで楽しいことをせいぜいやるがいいと君は言うのか?

死んでしまえばこの人生に意味はなかったのだから、今を楽しんでも、その楽しみにも意味はないではないか?

インド哲学にその答えがあるのかもしれないと直感したが、2年間一生懸命とまではいかないが、あちこち出かけて勉強しても、時間が足りない。また、勉強をいくらしても、「頭」の知識が増えるだけで、自分になんの変化も起こらない。

ちょうどその頃、仕事上の悩みがピークに達し、妄想が妄想を生み,その不安で寝られない日が続いたことで、実証された。悲しいことに。

この今までの人生をなぞらえるような既視感、いつか来た道を何度も繰り返して何事も中途半端に人生を終えてしまうのかという絶望感を覚え始めた頃、そうだ「瞑想」しなくちゃとある日突然気がついたのだった。実践することが欠けていたのだ。

ヴィパッサナー瞑想をしていると、いかに自分がこの現実の世界に生きているのではなく、自分自身によって捏造された世界に生きているのかをまざまざと見せつけられたからだ。

アンダーソン君のように、私は、現実にここに生きている人ではなく、夢とは言わないが、架空の世界で妄想して生きているのだ。『酔生夢死』から脱するには、まず、目覚めないといけない。目覚まし時計が軽く聞こえたかな・・・くらいでまずは満足しなければ。

紆余曲折あり、瞑想の世界に大きく足を踏み込んで、早一ヶ月以上が過ぎ、毎朝1時間の歩く瞑想、寝る前30分の座る瞑想は欠かさず行って来た。

極度の集中により、異次元の世界を感じるということもなく、突然変異的に人格が変わったわけではない。

しかし、あれやこれやと悩みに悩んでいた1ヶ月目の自分とは明らかに変わっていて、たいして心配事はなくなってしまったようだ。いや、無くなったわけではなく、少しずつ悩みの度合いが軽減されていっているのは、確かなようだ。

とにかく、瞑想を始めて、腹の動きだけに注意を集中させていても、いつのまにか、腹の動きから注意が離れて、明日やらなければならない仕事の用件、仕事の心配事やら、ふと思い出した過去の追憶などなど、私は、その場、その場の思考や妄想の中でアレヤコレヤ考え、悩み、あるいは、心地よい気分でいる自分を発見するのである。

腹の動きに注意している限り、私は、今ここの現実の世界に生きているのだが、この注意から引き離されたとき、自分が過去や未来に誘拐されてしまうのだ。

そのたびに、あっ妄想だった、あっ考え事をしていたと、それをラベリングし、確認して、また再度瞑想を開始するのだが、ものの数十秒もしないうちに、また妄想の世界に遊ぶ人となってしまうのだ。

瞑想をしているからこうしたことが明らかになるわけだけれど、普段の生活でも同様にこうした思考、妄想し、現在ではなく、未来や過去の囚われびとになってしまうわけだ。

『マトリックス』の夢の中の世界にいるのと同じように、私は、一日の大半を自分で作った妄想の世界で過ごす住民なのだ。

これは、私だけでは、きっとないだろう。

「今、ココに生きること」という意味の重要性に納得でき、この世の本当の姿がわかれば、悩みや苦しみもきっと消えて無くなってしまうだろうということも、なんとなくわかってきた。

ゆっくりと自分の足の裏の感覚を感じながら瞑想を1時間続けることは、最初は退屈で、かつ、苦痛であると思っていた。また、腹の動きを観察しながら座って瞑想を30分行うことがとても大変(呼吸が苦しくなり窒息しそうになったら、半跏趺坐の足がとても痛くなったり、腰が痛くなったり・・・様々な困難があった)であったが、40日ほど実践した今日では、楽しみになっている。

ということで、長い曲がりくねった道を50年彷徨った後にようやくたどり着いたところで出会ったこの瞑想は、思いの外素晴らしく、私に同感してくれる人たちに、大いに瞑想を勧めたいと思っているのである。

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2018年11月08日

ヴィパッサナー瞑想始めました

今より少しマシな人間になろうと思いって、インドのお坊さんにインド哲学を学び初めて、はや2年が経過した。

そして、わかったのは、少しもマシな人間になってはいないという残酷な事実だけ。

詰まらないことに心が千々に乱れて、妄想が妄想を呼んで、苦しみにのたうち回る日々。

Life is beautiful。

ではなくて、

Life is suffering。

ということは、うすうす気がつき始め、いまでは、それを肯定できる自分がいるのは、インド哲学を学んだ成果であると言えようか。

そうであるなら、これからどうやって生きればいいものか?

どうやれば、前に進むことができるのか?

何があっても、動じず、いま、ここに生きて、涼しい顔でこの世をすがすがしく去って行きたい。

では、何をしたら?

55年間、甘えに甘えてこの世を生きてきて、生き方を軌道修正するのだから、それは真面目に取り組まなくては何事も達成できないのは、明らかである。

『あっ、瞑想だな。そうそうインド哲学は、瞑想だよ。』と、ふと思い立った。

ヴィパッサナー瞑想という、仏陀が悟りを開いた瞑想法があるとは聞いていた。

名前を『マインドフルネス』と変えて、欧米でも人気があるらしい。

その日、本を買った。

その日から、ヴィパッサナー瞑想を本を読みながら行ったみた。

翌日、東京で行っているいくつかのヴィパッサナー瞑想の初心者コースを確認した。

某日、朝の9時半から午後の7時30分まで、インドのお坊さんの懇切丁寧な瞑想の初心者コースに参加した。

こんな風に、自分が困ったとき、目の前にたくさんの人が私を助けてくれるのは驚きである。

そして、現在、早朝1時間。夜間ヨガと合わせて1時間、瞑想をし始めて、3週間になる。

このヴィパッサナー瞑想は、私にはとても合っているようで、これ一本に修行の道は決めて、続けていけそうな気がしている。

年齢的に後がないので、ヨガとヴィパッサナー瞑想で心と体を健やかに、そして、人生を完成するのに少しでも役立てばと思っている。

それにしても、インド人の3人のお坊さんに、(もう一人増えるかもしれないが、)インド哲学とその実践を学べるという僥倖に、本当に感謝しているのだ。

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2018年09月25日

週末そして今朝

今朝起きたら雨音がしないので、軽めに住宅地をジョギングしてきた。

今日1日のノルマの運動量を淡々とこなす。

月に35時間運動するという目標を立て、これで、残り5日で5時間運動すれば、今月も目標を達成したことになるのだが。

先月は、30時間の目標をクリア。今月も、秋雨前線の影響をあまり受けないで、頑張れば、なんとかクリアできそうかも。

なんだか、手元のガーミン・フォーランナーに急かされている気がしないでもない。が、こうやって、月々のゴールを設定しなければ、時間の隙間を見て運動するような行為には出ないでしょうよ。ローラー台だって引っ張り出してきてしまったのだから。

というわけで、月35時間の運動で、いっぱいいっぱいなので、来月は、40時間なんてことを考えていたのだが、再度35時間で足踏みをしておこうと思う。

思えば、足の故障(今でも、完全には治ってはいないが)でずいぶんと運動からは遠く離れてしまっていたが、先月より急接近して、今ここに居る。

というわけで、5時間位のビハインドを今週末に以下のように運動して、目標に近づけたかを書いておこう。

土曜日

北向地蔵までトレイルラン往復。往路に宮沢湖を半周してから通行料300円を取られる曼珠沙華で賑わう巾着田を迂回して北向地蔵までトレイルランしてきた。

メレルのジョギング用の靴は、とても滑るので、岩の露出したあそこやかしこでつるつると滑りを警戒しながらのラン。

帰りになおさんと久しぶりに偶然出会って立ち話をしたけれど、まあ、このあたりを走っていると知り合いに必ず会いますね。

これで、3時間。

日曜日

久しぶりに、山伏峠まで往復。これは、Panasonicのロードバイクで。

ケイデンス110を維持しながら名郷まで走る。名郷から山伏峠までは、ケイデンス50以下で。どちらも、ペダリングのトレーニング。

とても、辛かったので、復路はご褒美に好きなように走ることにしたが、ケイデンスは、95を下ることはなかった。効果が結構ありそう。

家について、2時間弱しか走っていないので、ゲイリーフィッシャーのシクロバイクに乗り換えて、山伏峠まで往復せんとして家を出たら、ブラケットに手を置けば、前にハンドルがずれ落ちてしまう。ステムを締め直してハンドルが動かないようにしても駄目。よくよく見ると、ステムとハンドルを接合する前の部分に横一本の亀裂があったので、緩めたところ完全にわれていた

そういえば、このステムは緩むことが多くて、今まで、何度も締め直していたのだった。購入したての頃、山によくこの自転車を担いで乗っていたのだが、一度、ハンドルから手が離れるかというくらい(実際片手が離れて危なかった)の衝撃を受けた時があったのだが、あのときにヒビが入ったのかなとも思う。

その後、何回かハンドルがよくずれるので、締め直していたのだが、マウンテンバイクのように4本のビスではなく2本のビスで止めているから緩みやすいんだなと思っていたのであった。この頃、すでに亀裂が入っていたと思われる。

しかし、乗り始めてすぐに異常に気がついたからいいものの、どこか遠くでハンドルが分離したら!と思うと怖いね。

ちなみに、ステムのメーカーはThomson。

ハンドルが緩んだら、ステムを疑い精査スべシ。

というわけで、もう一つThomsonのステムがあったので、壊れた前側のステムの部分を取り付けて、名郷まで走りに行く。

シクロバイクは、BBの位置が高いのと、ハンドルの幅が広く、また、タイヤが700✕35Cという太いタイヤを履かせているので、当初違和感があったけれど、スピードはロードバイクに劣らず出るし、ポジションも合うので、とても気持ちよく走ることができる。

途中、自転車乗りの事故があり大勢の自転車乗りが集まっていた。消防車が最初に来ていたが、多分ひどい事故だったんだろう。

そんな事故を見たら、急に疲れが出て、名栗で引き返した。

これで、3時間40分位の運動時間。

月曜日は、週末の疲れが出て、田圃の雑草取りして家に戻ってから、トレイルランに出かけようと家から50メートル位走ったら、体がとても重く、筋肉痛も感じたので、家に引き返して、映画を見た。

とても、充実した週末ではあったが、本当は、運動を1日2時間位にしておくと、翌日に疲れが残らず、体調を維持できるのだが、今週は、少し頑張りすぎた。

反省しつつも、ゴール通過を、やり遂げるのだ。

 

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