2018年04月24日

ロードバイクに久しぶりに乗ってみた。

4月なのに、30度を超えた日曜日、久しぶりにロードバイクで近所を走ってきた。

風を切って走るとまではいかないけれど、1年ぶりくらいに走るロードバイクは気分のいいもんだ。

小沢峠の登りはなんか辛かった。鍛えないと楽しめないですね。

ただ、走るたびに、トリプルクランクの一番大きいところにギアが入らなくなる。何度も、サイクルハウス三上で見てもらうも、だめだねえ、こりゃ。

52−46−30だったか、トリプルのクランク、いまじゃ誰も使わないけれど、僕も、これは、要らないなと思うのは、最近のカセットが11−34なんていうのがあるので、これなら、クランクのギアは2枚でじゅうぶんじゃないの。ほんとうなら、11−38くらいにして、前1枚なんていうのもその内主流になるかも。

というわけで、走るたびに壊れるデュラエースに愛想を尽かしたので、新しいコンポーネントに換えようかと思案中。

デュラエースは贅沢なので、一つ下のアルテグラでいいかな、と思うのだが・・・

フレームだってそうだ。なんか、小さい感じがする。もっともっと遠くにハンドルがあるといいのに!と思う。

下りで首が痛いのも、フレームが小さすぎるからなのか知らん?

ヨガをやって、身長も1センチ伸びてしまったので、ああ、こりゃ、自転車全部交換するしかないのか?

キャノンデールとか、トレックのアルミの安いフレームに交換しようかしら?

果たして、そうしてお金をつぎ込んで、自転車に乗るのかな〜という思いもある。

ああ、悩ましい。

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2018年04月13日

パタゴニアのウインドブレーカーを着込んでジョグ

早朝、おNEWのパタゴニアのウインドブレーカーを着込んでジョギング。

汗をかき始めた頃、脱いで、ズボンのポッケに丸めて入れられるので便利。

ウインドブレーカーなしで走ったら、だんだん肌寒くなってしまったが、面倒なので、そのまま走り続けた。

薄いので自転車にも使えるだろうし、普段着にも着られそうだ。

パタゴニアとモンベルは、ちょっとしたおしゃれ心の違いが、大きく値段に跳ね返ってくる。

パタゴニアは、自然環境に過激なほど肩入れをしているのが好きだ。自然より大切なものが他にあるか?クジラもイルカも食べなくて済むならそれでいい。モンベルも自然保護運動を頑張っている。だから、こちらも応援している。

けれど、機能性で優れているので何着も買ってはいるけれど、愛着が持てるものが少ないのが残念なところ。モンベルには、デザインをもっと勉強して欲しいと思っている。

そう思うから、両社を応援している。

また、応援するといえば、朝日新聞がスクープ出したので、これは、会社がなくなるかどうかの乾坤一擲の大勝負であったろうに、よく頑張ったと思い(社長が一緒に飯を食ったりしたのは敵を欺くための演技だったんだろうか?)、20年ぶりくらいに新聞をとった(1ヶ月だけ)。

そんな新聞を読んでいたら、人が新しい習慣を身につけるのに66日間かかるというのがあった。

日に1度ジョギングというのも、これで1週間続いている。

2ヶ月続いたら、きっと、俺も昔のようなランナーになれるかもしれない。

新聞を久しぶりに読むと、小一時間はかかる。

走って、シャワー浴びて、ご飯を食べて、身支度すると、新聞を読む時間がほとんどない。

20年ぶりに、新しい新聞を読むという習慣を作るのには、やはり、66日間かかるかのかも。

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2018年04月12日

ダイエットが成功すれば

毎日10キロを走るよりも、2日に一回20キロを走った方がトレーニング効果が高い、と、田中宏暁先生の『ランニングする前に読む本』でも書かれいた。リディアードの本の本でも確かそんなことが書かれていたと記憶する。

足の裏の痛みがあり、もうこれ以上走らないと、腹回りが宇宙的規模で大きくなってしまうから、二日に1度、ランニングを再開して1週間。

痩せません!

今朝は、400グラム体重増加しておった(前日比)。

まあ、こんな短期間で、効果が出るはずもないのだが、脂肪を燃焼させて1キロ痩せるのに、7200キロカロリーを消費必要があるから、まあ、一月で2キロ痩せることができれば御の字でありましょう。

この田中先生の本は、何冊か読んでいるこれど、この講談社のブルーバックスから出た本は、買っておいて損はなさそうだ。

学術的にしっかりしている。

緩いニコニコペースで走り、週に二度ほどインターバル(マラソン目標タイムで1キロ走り1キロ休むを5回から10回くらい繰り返す・・・かなりキツそう)をするとサブスリーも夢じゃないということらしい。

マフェトン心拍域でランニングしている俺にとっても、あと週に2度ほどインターバルをすればいいので、まあ、間違ったトレーニングはしていなかったのだな、というのが科学的に立証されたわけだ。

本来なら、毎日走りたいところなのだが、パン種の発酵がちょうど二日に1度で完了するので、仕事前にパンを焼かねばならない。

というわけで、ランニング→パン焼き→パン焼き→という風に1年365日、こんな順番で朝の活動は続いていくことになる。

足の様子を見ながら、1日休憩し、また、それが、トレーニング的にも優れているというのだから、こんなにいいことはないじゃないの。

ま、そんなわけで、二日に1度20キロ!というのを目標に(まだまだそんなに走る気がしない)、運動してみようと思っているんである。

運動するやる気は満々なので、新しいサイクルジャージを2着(シックスとかいうところの日本製のやつと、海外のもの、勿論セール品)買ってもいるのだ。ところが、痩せているときの感覚で、Sサイズを買ったら、あれま、小さい小さい!

というわけで、交換してもらって、これで、週末は自転車に乗ろうというわけだ。

パタゴニアでトレラン用のウエアもあれやこれやを購入した。

だが、考えてみると、ダイエットが成功して5キロも痩せると、これらのジャージはぶかぶかになってしまうのかしらん。

まあ、そうなったら、それを受け入れて、また新しいジャージを買うことにしよう。

(夏のスーツも買ってしまって、同じ問題が生じそうである。が、問題が生じないのもこれはとても深刻な問題である)

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2018年04月10日

漢文の勉強をやり直す

漢文で華厳経を読むという授業に参加してきた。

漢字がただ配列されている華厳経のテキストは圧巻。

大学の先生が書き下し文を高速で読み上げて、一二点、レ点等を加えたり、感じの読みや送り仮名を書き入れた。

こんなの当たり前!という感じで、説明もなく読み上げていくので、漢文の基礎が・・・というか、大学受験レベルじゃなくて、そのまた上のレベルじゃないとついていくのが厳しいかも、とも思った次第。

それと、仏教の基礎知識も、あって当然という風に進みそうなので、ここらあたりも、自分の中で常識にしておかないといけない。如来と如去の違いとか。

でも、新しい知識を得ることは、最大の喜びである。

ほんと、漢文好きだな。どこまでいけるかトレーニングしてみたい。

が、しかし、基礎力が落ちているので、大学受験時に使った洛陽社の『漢文研究法』を書庫から本棚あら掘り出して、電車の中で読み続ける。

学んで時にこれを習う、また楽しからずや、と聖人も言っているじゃないの。

ああ、楽し。

学生さんの中には、西洋の若い男の子もいて、ああいう人たちって、漢文もわかるのかしらん?と思ったが、きっと、僕よりもわかっているんだろう。

西洋人の先生に、英語で日本の仏典を英語で行うという面白い授業があるので、これも、取るつもりだ。

あれや、これやと漢文も英語も勉強しないといけないが、ああ、楽し。

授幸せだということか。

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2018年04月08日

体重増に驚愕

腹回りの肉がだぶついてるぞ!と思って、体重計にのってみたら、驚愕の数値!

父親が死に、その二日後に義母が亡くなり、加えて慣れない仕事が相重なってものすごいストレスを感じていたのだが、そんな状況も抜けきったら、腑抜けになった。

かてて加えて、足の裏が痛むので、なかなか長距離を走る訳にはいかない。

それではと、ヨーガを一所懸命やった。やればやるほど、体が柔らかくなって、アーサナという体位の完成形に向かっていった。嬉しくて、どこまで曲がるか根を詰めたら、ついに腰を痛めた(軽度だが)。

というわけで、どれもこれも痩せるための「運動」の方策はなくなり、他のことと同様、儘ならない。

が、しかし、自転車ならいいんじゃないの?と思ったのだが、随分前に、自転車乗りならご存知のとおり、ロードバイクとマウンテンバイクに乗るためには、それぞれ違う形態のクリートがついた靴を持っていなければならないところ、靴箱もいっぱいだし、ロードバイク用の靴を2足すべて捨ててしまったのだった。

これからは、SPDのマウンテンバイク用のシューズでロードもマウンテンバイクも乗る予定というわけだった。靴を捨てた代わりに、ロードバイクにシマノの SPDペダル「 PD-A600」というロードバイクでも使えそうなデザインのペダルを買っていたのだった。

しかし、今度は、ロードバイクの古いシマノのペダルが外れないじゃないの。六角レンチを差し込んで回すもレンチが撓んで折れそうな感じ。もっと剛性のあるレンチはないものか?

そして、去年は自転車に乗らなかったのね。面倒だから、そのままにして。

が、この宇宙的な規模で膨張し始めている腹回りの肉をなんとか押し留め、かつ縮小させることほど、現在の私に喫緊な課題は見当たらないので、専門のサイクルハウスミカミへ出向きペダルを取り外しにお願いに行った次第でありました。

店長でもこのペダルを外すのは苦労するはず!と思っていたら、あ・れ・ま、簡単に外し終わってしまったじゃないの。あっけない幕切れ。

というわけで、僕のクロモリPanasonicという電気屋の作った普通の人力バイクではあるが、ようやく乗れるようになったのであった。やっぱり、クロモリは細身で理想的な自転車の姿ではある。乗る気満々。

早朝、自転車に乗って、まあ、最初は名郷往復でいいじゃないのと思って起きてみれば、ああ、寒い。

日が昇れば暖かくなるかしら?と思ったら、風が冷たい。

これで、日和って、トレイルを走ったんだから、本当に自転車に乗りたいという欲求があるのかね?とも反省してみたが、まあ、長い目で自分を観察していこう。

というわけで、2日連続で、近所の山を走ってみた。

2日で1キロ減したが、あと5キロは痩せないといけない。

絶食して一気に体重減というのも必要かもしれないが、ライザップのリバウンドみたいな、痩身、デブとの永遠の繰り返しを回避すべく、食事と運動で健やかな肉体を維持していきたいと、こう思うのでありました。

体重計に乗るというのも、大切ではあるな。

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2018年04月02日

今度のデュラエースを買いそうになったが、やはりかっこ悪い?

何十年ぶりかで健康診断をしたら、身長が1センチほど伸びていた!

ヨガのおかげかしらん?背骨が伸びた?

そんなヨガも一所懸命やりだしたら、とたんに腰を痛めて、様子を見ながら軽めに行っている。

なんだか、年をとると、体は壊れ物ののように扱わないといけないらしい。

裸足系のシューズで走ったら、1週間続いたふくらはぎの酷い筋肉痛も、収まりかけていたので、さらに、同じシューズで10キロほどトレイルをかっ飛ばしたら、筋肉痛にはならなかった。

しかし、足の第二指の付け根の痛みは常にあって、なかなかトレイルランも毎日楽しむというわけにはいかないのだ。

毎日のように走らなければ、なかなか体力がつくまでには至らず、なかなか思うように体を鍛えることができない、昔のようには。

まあ、飯のタネにするならばしょうがないだろうけれど、一般人が1日2時間以上スポーツをするのは時間の無駄だと思う。あくまでも、これは気晴らしか、体力の増進に努める手段に過ぎないのだ。こういうことに気づいてよかったとは思うけれども、22時間すら運動することもできない体たらくから、一体どうしたら抜け出ることができるのか?

というわけで、暖かくなってきたし、趾の付け根は痛いから、そうだ!ロードバイクに乗ろう!と思ったものの、ロード用のシューズは3足とうの昔に捨ててしまい、マウンテンバイク用の靴しかないので、ロードもSPDしようにしようと思いついた。

というわけで、ペダルを交換しようと何十分も苦労したが、なかなか外れない。困ったので、サイクルハウスミカミさんに久しぶりにお邪魔して、ペダルを外してもらった。

ふむふむ。

これで、随分前に買っておいたPD-A600に変更して、いつでも走れるような状況になった。

が、ハンドルの幅が幾分狭く感じられて、これも交換しないと気持ちよく走れないよな。

今どき、トリプルのクランクはないので、新しいデュラエースに変えてしまおうか!など、色々考えてしまい、おいおい、お前は、以後ロードバイクに昔のように乗るようになるのかね?と自問自答してみれば、うん、走らないだろうな!というふうに意気消沈して、まあ、デュラエースはやめておくか!という風になったのであった。

それに、またまた黒色のデュラエースが、俺のクロモリに合うとはとても思えないぞ。

やっぱり止めておこう。

なかなか人生思うようにはならないものだ。

毎週末は、武甲山まで飯能から走りに行ったり、自転車で群馬県の方まで日帰りして帰ってきたりして、ああ、そんなこと本当に俺はやっていたのかよ?と信じられない気持ちが強くなっている。

もう一度、そんな体力を取り戻したいとも思うが、それでどうした?とも思う。

まずは、毎朝運動できるような習慣作りから始めないといけないが、田圃にパン作りというふうに、最近では、早朝他にやることが多く、なかなかうまくいかない。

思案のしどころだ。

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2018年03月27日

ふくらはぎの筋肉痛にやられておる

1ヶ月ぶりに裸足系のシューズで10キロほど走ってみれば、脹脛が尋常ではない筋肉痛で、歩行困難になっておる。

今朝は、早朝起きるときに、どうやって起きていいのかわからないくらい辛かった。

ほうほうの体で、四つん這いになって、手すりまで移動して、ヨイショと、手の力を使ってなんとか立つことができた。

足の裏の微細な小さな筋肉も筋肉痛があって、歩くたびに、ひそひそ話をするかのように、その声が痛みとして伝わってくる。

ああ、何度目の、ふくらはぎの筋肉痛なのだろうか?

走る→足の裏の痛みがひどくなる→数週間おやすみ→走る→筋肉痛というようなサイクルで、裸足系のシューズを履いて、たまに走るとふくらはぎの筋肉痛を避けることはできないのだ。

というわけで、この筋肉痛、全治1週間はかかるだろうと思われる。

足の裏の痛みも、このジョグではそれほど増さなかったので、週末くらいにはまた走れるであらう。

そうして、次に走った時には、軽めのふくらはぎ筋肉痛があり、その次には、ほとんどなくなっていく。そうして、鋼鉄の体は鍛えられていくのである。

しかし、しつこい足の裏の痛みが何年にも渡って退かないので、その分ヨガをやり、昔のように週末に何十キロも山の中を走ることもできないので、土日が空いて、田圃で農作業をしたり、映画を見に行ったり、美術館に行ったりできているのだから、それはそれでうまい具合に人生の舞台は移動しているのかもしれないが、やはり、走りたいのである。

走ればなんとかなる、という信仰をもっているかのように、今までの最悪の時も、走ることによってなんとか、耐えしのげたようなきがしているのだ。

ところが、走れないと、頼りにしている友人を一人なくしたが如く、なかなか、人生の壁を乗り越える勇気が湧いてこない。

走ることに頼りすぎるのも良くないことかもしれないけれど、代替できる何かを探さなければならないじゃろうて。

というわけで、その代替の習慣を得ようとして、ヨガも1時間30分位時間をかけて、本格的に毎夜行っている。いままで、5つくらいのアーサナしかやらなかったのを、12から15くらいに増やしたおかげで、少し腰を痛めたりして、これはこれで、熱心にやればいいというわけでもないのだ。

そして、何事もそうであるが、若い頃と違って進歩は遅々として進まない。時間は速く進むのに、進歩は蝸牛の歩みである。残された時間は短いので不公平である。1年3ヶ月ヨーガをやっても、本当にヨーガのアーサナの完成形に少しでも近づいているのであろうか?と思えるほどである。若い頃は、ちゃぶ台をひっくり返すかのごとく、さっさと止めて、違う青い鳥を探しに行っただろうが、おじさんになると、良いことはすぐにはやってこないということをよく知っているからそうはしない。そう信じられる確信があるのが、若いときと違ってあるのだ。

ところで、久しぶりに手にとってみた「資本論」の入門書が面白かったので、こいつは、是非読んでみたいと思い、数冊の入門書を図書館で借りて読んでみたら、なるほど!と思えるようになったので、さらに数冊、アマゾンで本を買って熱心に呼んでいる。

マルクスなんて、だれも見向きもしないこのご時世。現在熱心に勉強しているインド哲学もまた見向きもされないマイナーなものであり、かつインド哲学とは正反対の「唯物論」ではあるものの、また、そうであるがゆえに、二つの世界を行きつ戻りつしているのは、とても気持ちのいいものではないのだろうか?

ちなみに、最近の印度哲学の勉強の範囲は、仏教を中心で、親鸞上人すげえ!、「涅槃経」おもろい!と、月に1度の勉強会にも参加しつつ、静かに人生の謎を解明スべく、ああでもないこうでもないと学んでいるのであります。

4月からは、さらに、サンスクリット語を本格的に習い、仏典の勉強会にも参加する予定。

生きることは学ぶこと。さすれば、学ばざるものは生きる価値なし。

そう心に決めて、こっちの脳みそのトレーニングも同時並行で絶賛進行中!

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2018年03月08日

『女神の見えざる手』

なんだか、ずっと社会の渦に巻き込まれるようにして、仕事をして、ようやく小休止ができるようになった。

お金には全くならないのだけれども、やらなければならないことが多く、毎日が飛ぶように過ぎていってしまう。

そういえば、最近見た『女神の見えざる手』という映画は、変な映画だった。

大手ロビイスト事務所に勤務する主人公は、勝つためには手段を選ばないのが徹底していて、寝る間を惜しんで仕事をするために薬を飲みながら、命を縮めながら猛烈に仕事をしている。

彼女にとっては、仕事は彼女そのものであり、彼女の動静はすべて仕事に捧げられていいるようだ。

過労死しないのは、自分が、仕事を完全にコントロールしているからだろうが、しかし、なぜ、彼女がこうしてまで、仕事に傾斜してしまうかの理由説明が一切ないのである。

しかし、この映画は、印度哲学的に言うと、カルマ・ヨーガを彼女は実践していたのではないかと思ったりした。

カルマ・ヨーガは、在家で仕事を道具として悟りを得るというヨーガの実践である。

この中で、彼女は、セックスも、友情も、食事も、昇給や報酬にもほとんど興味がなさそうで、ただただ仕事に邁進する。

銃規制法を通すためのロビイスト活動をするのだけれど、彼女自身に、銃規制自体興味があるわけではない。

彼女が仕事を遂行する理由は、たったひとつ、あらゆる手段を通じて勝つという義務を遂行すること、彼女が仕事のために利用した同僚にそう告白する。

この義務の遂行というのが、『バガヴァッド・ギーター』で語られる、目の前にいる親類縁者と殺し合う戦いに躊躇しているアルジュナ王子に対し、クリシュナが言った「躊躇いを捨てクシャトリヤとしての義務遂行し殺せ」というセリフと同じように思えたのだ。

誰もが皆、生きるための義務を持っている。

人がその義務を果たさなくなったとき、現在の政治状況をみても明らかなように、腐敗し、臭ってくる。

義務を、義務と感じず、日常的に果たすことができるようになったとき、そこには、自由が生まれるのではないか。

ほんとうの自由とは、自分を滅却し、すべてのことを仕事に捧げてしまうというところに生まれてくるのではないか。

そこにエゴが存在するとき、それは、軋みとなって、自分を仕事の中に滅却することはできないだろう。

自営業者には過労死はないという。

働くことの秘訣がここにあるような気がしてならない。

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2018年02月28日

コツコツとやって進歩する

ヨーガを再開して1年と2ヶ月が経過しようとしている。

ヨーガのポーズも、アクロバティックな離れ業のようなものは遠慮して、ごくごく基本のものだけを、寝る前に30分ほど行っている。

しかし、なかなか体は柔らかくなりませんもので困ったものです。

けれども、少しずつではありますが、体に変化はありまして、中でも、苦手な正座してそのまま後ろに倒れるというポーズがあるのですが、当初は、両足首と頭の天辺を基盤にテント設営の際のポールを差し込んだように太鼓橋でブリッジしている状態でした。

10秒もその姿勢を持ちこたえられず、体がぴーんと張り詰めているので、両足首と頭頂部の3点で姿勢を保持し、体は張り詰めて、身動きがとれず、真横に倒れて浮いた片足首を自由にさせないとどうすることもできず、いつもフォークリフトが倒れるようにして、この苦しみから逃れて、目には涙を浮かべていたものでした。

けれども、現在は、両足首はなだらかに床と平行に着地し、頭の頭頂部ではなく、後頭部が床についており、なんとか格好のつく姿にはなっているのであります。

座って両足の裏と裏を合わせて鼠径部の方に引いてから、骨盤から前に倒れるというのも、苦手なポーズでありまして、微動だにしない骨盤は、前に倒れるのではなく、後ろに倒れるのではないかというくらいに硬直化しておりましたが、最近では、前に動くようになってきた。その際の痛みというものに精神を集中させて、味合うのがヨガの醍醐味ですが、最近は、ややこの痛みが気持ちよくなっくるほどになってきております。

まあ、55年間、私のように体を甘やかせれば、こういう状態に誰しもがなるのであります。

けれども、少しずつ、毎日、正しく行っておれば、必ずや、酸っぱくなってぱさぱさになってしまった自分の肉体も、すこしずつ16歳のころに遡りを始めることも可能であるのですね。

肉体の酸っぱさが、ヨガのポーズをすることによって体液に流され甘くなり、パサパサだった筋肉の隙間に、油が差されて、鳥のもも肉のような弾力性と油につやつやとしたものに変わっていくのは必定であると考えます。

若い頃のように、即効性はないけれども、地道にコツコツと努力する中、ある日突然、できなかったポーズが出来るようになったと思える日がやってくるのは、経験上明らかなのです。

肉体の進歩は、見たり感じたりすることが出来るので、なんとも励みになります。

ところで、インド哲学は、勉強すればするほどわけがわからなくなり、また、最近では、仏教の授業も受けたりして、あれやこれや、思想が入り乱れて、混乱しております。

こちらのほうも、目に見えるように進歩してくれるといいんですがね。

posted by ロビオ at 14:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

ヴェーダンタも仏教も

私の生まれた家では、浄土真宗のお寺に先祖の墓があり、その檀家である・・・というには、檀家らしいことはほとんどしておらず、家族で、南無阿弥陀仏と唱えたことももちろんない。

父が死んで、お通夜、告別式、仏壇の処理のための魂抜きとか、四十九日法要、納骨式等々、お寺と交渉する機会を持つにつけ、これを機会にと浄土真宗について少し学んでみたら、これが、すごくモダンな宗派であることがわかり、自分の中では、随分と評価が上がったのだった。

詳しくは、ネットで調べてもらいたいけれど、位牌を作らないというのも特色があるところだ。

というわけで、位牌もお寺に納めていただいた。このシンプルさが素敵だ。

浄土真宗といえば、慈円の『歎異抄』は気になっていて、大学生の頃一度読んで、何がいいのかさっぱりわからず、その後何度か読んだものの、しっくりと感じいるまでには至らなかったのを、数年前に、詩人の伊藤比呂美が『たどたどしく読む親鸞』という本をだして、フアンの私は飛びついて読んだのだった。それで、初めて、なるほど!と思い直して、いろいろな人の訳した歎異抄を読んでいる。

やはり、こういう宗教書というのは、死の世界に親しみだした年齢にならないとしっくり来ないのかもしれない。

歎異抄を読むにつけ、阿彌陀佛の請願力を信じるというが、これを信じるということの難しさ、困難さがひしひしと感じられ、南無阿弥陀仏と唱えれば成仏できるとは到底考えられず、いかに、大乗といえども、彼岸に立つのは難しいのではないかという思いが強まっていく。疑念を退け、信じることに徹するためには如何にしたら良いのか?

インドで言えば、バクティ・ヨーガという信心によって悟りに達する方法があるけれど、これもなかなかに難しい。

ではどうすればいいのさ?

毎日毎日少しずつ努力するしかないのだろうけれど、ちゃぶ台返しにならんように、焦る心を抑えつつ、一歩一歩進もう。

といわけで、五木寛之とか、梅原猛とか、吉本隆明とか、真継伸彦とか、著名人が惹かれている親鸞に親近感を覚えだして、今、勉強したいのは、仏教の中でも浄土真宗ではないかしらん、と、まだまだ、インド哲学を勉強して1年足らず、履修もぜんぜん終わらないのだけれど、ここに来て、仏教も勉強したくなってしたのでした、それも、激しく。

そんなわけで、今年は、仏教にも手を伸ばして、あちらこちらの大学の授業にも顔を出して、しっかりと勉強していくつもりなのである。

で、早速、「大般涅槃経」という「一切衆生悉有仏性」を説いた長い長いお経は、これは、私の力で独習では決してできないと悟りまして、早速大学のセンセイの教えを請いにこれから1年間の授業に参加して来たのでした。

それから、『歎異抄」の勉強会も来月から出席することにして、なにやら、学生のような1年になりそうだ。

posted by ロビオ at 11:46| | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする